アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

聖餐と最後の日

2012-09-15 06:23:25 | キリスト者の秘蹟
◎終わりの日に甦る

ヨハネ福音書から。
『「わたしは生命のパンである。あなたがたの父祖は荒野でマナを食べた。そして死んだ。これは、人が食べると死なないように、天から降って来るパンである。わたしは、天から降って来た、生けるパンである。このパンを食べるなら、永遠に生きることとなる。わたしが世の生命のために与えることになるパンは、私の肉である」。

するとユダヤ人たちは互いに激しく議論し始めた。「この男はいったいどうやって自分の肉をわれわれに食べさせることができるのか」と言って。

そこでイエスは彼らに言った。「アーメン、アーメン、あなたがたに言う。人の子の肉を食べ、その血を飲まないなら、あなたがたは自分のうちに生命を持っていない。

わたしの肉を食し、わたしの血を飲んでいる人は永遠の生命を持っており、わたしは彼らを終わりの日に甦らせることになる。わたしの肉は真実の食べ物であり、わたしの血は真実の飲み物だからである。・・・・・・・生きている父がわたしを遣わし、わたしが父のゆえに生きているように、わたしを食している人もわたしのゆえに生きることとなる。

これは天から降って来たパンである。父祖たちが食べて死んだようにではなく、このパンを食している人は永遠に生きることとなる」。』
(タルムードの中のイエス/ペーターシェーファー/岩波書店P141-142から引用)

スーフィの覚者ハッラージは、自分の肉体を民衆の切り刻むままにさせたが、それと同様にイエスは彼の肉を人々に与えた。

私の肉を食べなさい、私の血を飲みなさいというのは、日蓮が、他宗派をことごとく批判して、ひたすらお題目を唱えなさいというのに似ている。他の宗派には目もくれず、イエスの教えに帰依しなさいという意味だからである。

人びとを終わりの日に甦らせるとは何か。人々の覚醒のタイミングがその人によってバラバラであるとすれば、覚醒の直前には、自我が死ぬのだが、一旦死んだ自我を甦らせるということが起きるのを終わりの日とした。

なぜそんなことが起きるのかといえば、イエスの肉を食らい血を飲んだという縁によって。
そんな感じだろうか。


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