アヴァンギャルド精神世界

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則天武后から六祖慧能

2012-09-14 05:57:59 | 丹田禅(冥想法8)
◎唐代の禅の南遷

統一中国は今や累卵の危うきにあるが、中国の唐の時代は、一気に国際化も進み、宗教の面でも道教、仏教が花開いた時期である。国教は道教だったが、武周革命の時だけは仏教を国を挙げて推進した。

その中心人物が則天武后。荊州の地方長官の武氏の娘だった彼女は14歳にして太宗の夫人に選ばれ、太宗の死に際し、感業寺に入り尼となった。26歳で法要の席上、太宗の跡継ぎの高宗に見初められ、還俗させられて、その皇后となった。

その後、則天武后は、功臣長孫無忌などを暗殺していき、ついに自ら聖神皇帝と号し、国号を唐から周に改めた。そんな彼女のお気に入りが薬売りの薜懐義(へいかいぎ)で、彼を宮中に入れるために僧にして白馬寺の住職とした。

薜懐義は、則天武后は弥勒菩薩の生まれ変わりで、唐王朝の至宝であるとする大雲経を創り、これにちなんで全国に官寺大雲寺を造営した。大雲寺では地方の高僧、学僧を呼んではセッションを行った。

この時宮中の寺で盛んに講義をしたのが、弘忍の門下である神秀、慧安らであったが、六祖慧能は入っていなかった。慧能は、暗殺を避けながら郷里の韶州に去った後だったからである。

師匠弘忍は、膝下で8か月米麦をついていただけの慧能について、「もはや仏法はここになく、私の教えるべき仏法は遠く南遷した」と評した。

結局中国禅は、今は残っておらず、日本の曹洞宗、臨済宗がその伝統を護持している。則天武后はかなりやんちゃなことをやったが、そいう人物なかりせば、慧能も出て来なかっただろう。この時代の後に廃仏の時代があるが、その時は皆切支丹のように一旦は隠れて修行せざるをえなかったのだから。

宗教の自由の有る時代が永続するものではないことを現代でも心すべきだろう。


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