アヴァンギャルド精神世界

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エリ・ヴィーゼルがネズミ講に投資して大損の次第

2010-08-02 05:48:54 | 時代のおわり
◎善と金融商品投資

エリ・ヴィーゼルは、ナチスのアウシュビッツ収容所からの生還者であり、その悲惨な体験についての著書「夜」などによってノーベル平和賞を受賞しており、世間的には尊敬を受けている人物である。そのエリ・ヴィーゼルが、こともあろうにネズミ講に投資して、大損をするとは。

そのネズミ講は、バーナード・マドフのものだった。このネズミ講は、運用総額六兆円と言われる巨額なもので、香港上海銀行他海外の有力金融機関や日本の野村などの機関投資家も巨額の損失を蒙った。その道のプロである機関投資家が損をするのは、相場のこと(詐欺みたいなものではあるが)であるからやむを得ないとしても、人間の尊厳について確かな見識を持っているはずのエリ・ヴィーゼルがこれにひっかかるのは意味が違う。

エリ・ヴィーゼルは、ルーマニアにあった、ハンガリー系ユダヤ人。アウシュ・ビッツで父親を失い、戦後にアメリカに亡命し、ジャーナリストとして、アウシュビッツ体験を語ることで名声を博してきた人物。
そのぎりぎりの体験のなかで本当のものに出会えたならば、その人は、少ないもの、与えられたもので満足することを知るので、金の亡者になることはまずなかろう。

ところが、エリ・ヴィーゼルは、マドフへの投資によって、個人資産の大半を失い、ヴィーゼル・ヒューマニティ財団は、約14億円の損失を出した。

アウシュビッツでは、指輪やアクセサリーはおろか金歯のはてまでナチスに召しあげられた。アウシュビッツで亡くなった人やその遺族は、これを聞いてどう思っただろうか。

エリ・ヴィーゼルは、最初からそれがネズミ講と知っていたわけではないとか、弁解するかもしれない。また資金運用それ自体に白黒はついていない、と富の神マンモンあるいはフォックスはうそぶくかもしれない。ほんとうに資金運用、投資というものは白でも黒でもないのだろうか。自分が汗水流さないで金が稼げるというのは、それは博徒、ギャンブラーみたいなもので、歴史的に人が蔑んできたところのものではなかったのだろうか。

つまり金融商品への投資もパチンコも、人間の清貧という点からは、似たりよったりのところがある。そうした人間や行為には独特の荒れた感じがあるものだ。しかしカード決済には今や普通預金口座を使うものだから、普通預金は微々たる利息ではあるが、一つの金融商品投資に分類されてしまう。つまり今や万人がその荒れた感じのものに巻き込まれて暮らしているのである。

善とは、悟った人の行動のあり方である。諸悪莫作衆善奉行とは、悟った人の行動が悪事をせずに善行だけ行うものであることを示す。

一日一善。人間が一日の間にできる善行の数はたかがしれている。たとえば毎日ひとりの死にかけた人を救うという大善を(その対価をもらうことなしに)し続けることはできない。一日のうちで人ができる善など、功過格表に照らせばたかがしれている。一挙に何千善などはできない。
そして何年もかけて積んだ何千もの善行をその投資商品につぎ込めば一挙に倍になるなどというものはないのだ。積善は金融市場よりもシビアなルールで行われている。 

対価を求めず善を行う、その善行で発生した功徳は自分で消費せず他の人に回してやる(回向)。その積まれた功徳こそが次の時代の通貨の基準になるのではないか。「功徳を回向する」ってのは仏教でも基本動作だ。善・功徳は金のように転々と流通するのである。

次の経済システムは、善を裏付けとした通貨システムになるのではないか。金本位制でなく、善本位制。

経済価値の増加に見合って通貨が発行されるという現代の通貨システムと、それを土台にした金融市場での調達と運用は、全体から見れば、人間を著しくスポイルするものであるがゆえに、おそらく神から遠く離れたシステム・・悪魔のシステムであったなどと後世から評価されるのだろう。

エリ・ヴィーゼルは、ノーベル平和賞を受賞したが、悟った人ではなかった。







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