アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

二匹の魚とキリスト

2008-04-11 06:02:34 | 冥想アヴァンギャルド
◎救済者や世界全体のシンボル

ユングによれば、2世紀頃までは、イエス双魚宮の二匹の魚を関連づける記述はなかったという。二匹の魚とキリストのつながりは後付けでつけられたものらしい。曰く

1.二匹の魚それぞれ反対方向に配せられている図像があるが、これは交差すれば、つまり十字架となる。二匹の魚は十字架の表象である。

2.二匹の魚は道徳的な対立をイメージする。その対立とは、キリストと反キリストに収斂していく。

つまり、最初は金の時代だったが、最後は人々が争いあう鉄の時代となる。つまりキリスト出現からしばらくは善い時代だが、時代の終りには反キリストが登場して地上を荒し回る時代となる。

つまり、神は、信者に公平に幸福を与えるのではなく、ヨブにみられるように不公平さと気まぐれで不幸をばらまくという不安を与え続けてきていること。また時代の最後には反キリストが登場するという預言まであってそうした不安を裏付けていること。

一匹がキリストで、もう一匹が反キリスト。反キリストは近代的自我の発達の頂点のシンボルでもある。

3.二匹の魚は、処女の息子。一匹が親で一匹が子。

4.古典的な母子の悲劇。つまり母が子を若くして失うが、子は死んでいる最中に英雄的な夜の航海を行なって、その死を克服して復活する。

5.分娩の危険性
昔は出産時の死亡率が高かった。

6.救済者、救世主
 ユダヤでは、魚は彼岸で祝福を受けた者の食事であった由。またタルムードのサンヘドリン98aには、「病人が自分ではどこにも見出すことのできない魚を、切に待ち望んで求める時に初めて救世主が現れる」とのことなので、魚は救世主のことである。
(参考:アイオーン/CGユング/人文書院)

どれも、神と自分が別であるという世界観を大前提とした見方。ユダヤ教、キリスト教は、そうした特徴から西洋風の考え方で、クンダリーニ・ヨーガの伝統に則った宗教である。

ところで、どこに行けば魚と見れるのだろうか。誰が魚と見たのだろうか。


    1日1善。1日1クリ。


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