アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

ギャンブラーのスリル

2008-01-03 12:02:52 | 究極というものの可能性
◎スッキリしない気晴らし

ギャンブラーも金がなくなれば、次は妻や娘を賭けの代とする。最後に妻女もなくなれば自分の命を賭けるしかなくなる。

そのスリルには、肉体を失うということがどういう事を意味するかを本能的に察知する、人間として最も真剣で根源的な閃きがある。

グレアム・グリーンは、ややうつ病気味だった10代の頃、回転式拳銃に一発だけ弾を込めて、レボルバーをカラカラと回し、こめかみに当てて、思い切って引き金を引いたものだ。

偶然にも、カチッという撃鉄の音を聞くと、真っ暗な闇夜にいきなり灯がついたように晴々とした気持ちとなり、その歓喜たるや人生が限りない可能性を持っているように感じたものであった。

まず、このようにダモクレスの剣のように頭上から死が降ってきて、いつでもすべてを失ってもおかしくない緊迫感があること。そしてその緊迫感の中で見ることを「ありのままに見る」などと言うのだろう。

このような緊迫感は、禅の公案で期待されるものと異なることはない。こうしたぎりぎりの灰色の世界のなかでパッと開けることをエンライトゥンメントなどと呼ぶのだろう。

グルジェフも、この緊迫感をいつも感じる器官を手に入れることが必要と見ていた。

現代人には、より尖鋭な意識に憧れる気持ちは無意識にあるものだ。その尖鋭な意識を求める気持ちは、通常は手近なギャンブルやスポーツやテレビゲームやオンライン・ゲームや恋愛やセックスに向かったりしていく。

だがいろいろな気晴らしを尽くしてみても、スッキリしなければ、結局は、どう見ても最後は死すべき運命にある自分がその運命を知りながら生き生きと生きることができるかどうかというポイントに向かっていくのではないだろうか。


    1日1善。1日1クリ。



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