アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

親鸞のご臨終

2006-12-05 05:51:48 | マントラ禅(冥想法7)
◎信仰のこの世での見返り

親鸞は90歳で亡くなったが,末娘の覚信尼が、その臨終に立ち会ったようで、「殿のご往生、なかなかはじめて申すにおよばず候」などとあることから、親鸞の臨終は、病気に苦しみながらの末期か何かで、かつ高僧の臨終特有の奇瑞も起きなかったことがうかがい知られる。

当時の人々にとっては、有徳の上人の最期は、病気に苦しむことのない大往生で、紫雲たなびき天人が迎えにくるような大スペクタクルがあるのが普通だったのだろう。仏教での成道者の最期は、日本ではそのようなものだという先入観が抜き難くあったのだろう。

ところがそれは根本的には、現世利益を求めての信心であり、いわゆる金が儲かる、地位が上がる、名誉が得られるが如き現世利益目当ての信仰は、ぎりぎりのところでは通用しなくなるものだが、その現実を受け入れるほど、人々の精神は熟成していなかった。

覚者、成道者で、末期が平安でない者はいくらでもいる。盗賊に斬られて大音声を発し亡くなった禅者、十字架にはりつけになったイエス等々。

結局弥陀の慈悲の大海とは、この世での救済ではなかったという現実に直面し、覚信尼は親鸞の妻の恵心尼に、「親鸞パパは、ひょっとしたら浄土に往生していないのでは」という不安までを胸に手紙を書いたのであろう。

現代人の誰しもが、この世での見返りなどないということを承知しながらも、冥想ができるかどうかが、次の時代のクリティカル・ポイント(鍵)になっていることは、この末娘の覚信尼の心境と軌を一にしている。


    1日1善。1日1クリ。

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