趣味の電脳

WEBサイトの作り方、PCの周辺機器、タブレットの活用等について

つましい生活に感謝でございます

2012-05-22 10:57:26 | インポート

今朝、例によって娘を職場に送り出してから散歩をしました。すると、散歩道で、昔の勤め先の先輩に会いました。いろいろと四方山話をしていると、やはり自分の腰痛の話をしましたので、先方さんも自分の近況として病気の話をしてくれました。つまり、こういうお話でした。もう70歳になったので、仕事をやめたとたんに、それまで病気らしい病気をしなかったのに胃潰瘍になったということでした。原因は、神経性のものらしいですが、仕事を急にやめて生活環境が変わったので、それがストレスになってしまったそうです。

私の場合は、60歳の定年退職まで、明けても暮れても一貫してデスクワークでした。腰痛で退職してからも、ほとんど身動きできないので、毎日、朝から晩までブログソフトのwordpressやらmovabletypeやらブログンやらのインストール及びブログ記事の投稿に没頭しておりました関係上、生活環境にほとんど変化が無かったので、そういった病気の症状が出なかったものと思われます。

つまり、生活態度がほとんど変わらなかったので、ストレスは少なかったようなのです。

第二に、腰痛だから、家に引っ込んでいても不思議ではないというか、一般に、男が60歳で定年を境に家に引っ込んでいるのは不自然で心苦しくてストレスになるのですが、私の場合は自他共に止むを得ないという社会的な承認があるものですから、60歳で隠居しても全然不自然ではないわけだったのです。それどころか、腰痛で手術をしたので普通のおじさんのようにバリバリ仕事が全然できないので、「褒められもせず、苦にもされず、みんなにデクノボウと呼ばれる」・・・はからずも、そういう存在が認められている訳なのでありますから、いたって気楽な則天去私の心境でございます。

これが、もし、腰の手術をせずに全く健康であって、しかも、非常勤の嘱託員やはたまた天下りなどという気楽な職をタナボタで頂いていて63歳まで働くことになっていたならば、あるいは以前に勤めていた会社の関係でのボランティアの仕事を引き受けていたならば・・・と仮定すると、これは、もう悲惨というか、地獄絵そのもので世も末じゃという事態になっていたと思うわけであります。つまり、年金が15万円と、あと嘱託で15万円で合計で毎月の給料が30万円+退職金ですから、お金があり余って使い道に困るわけです。すると、当然、使わにゃ損だということで贅沢をしてしまって、霜降りの肉やらレストランに行ってフランス料理やら中華料理やら、物見遊山やゴルフ三昧、つきあいで毎晩の宴会・酒席などに更けざるを得なくなっていただろうと想像されるのであります。あるいは、ボランティアであっても、以前の会社の役職や肩書きを最大限利用して活動するわけですから、そこには奢り高ぶりの態度が染み付いているのでちょっとしたことに激怒したりして周囲から煙たがられるのが落ちです。その結果、自他共に強いストレスが生じるのです。こんなボランティアなど、やらないほうがマシであり、諸悪の根源であり、当然、これでは驚くほど早期に・・・1年以内に・・・今頃はどこかの総合病院に入院して体調が重篤に悪化していたでしょう。

即ち、人間、楽をして金を頂くとか、昔取った杵柄とか肩書きをちらつかせてボランティアをするほど体に悪いことはないのです。裏返せば、私は、腰痛になって手術を受けたので、働けなくなって退職状態なので、かなり損をしています。それで収入がなくて年金だけでつましく生活しているのであるからこそ、質素で我慢を覚えて節制をすることができると共に、取るに足りない無に等しい存在として謙虚にボランティアに就く気持ちになっているのです。そういう気持ちだからこそ、何とか健康が維持できているのではないでしょうか。そうでなきゃあ、もうとっくにお陀仏でしょう。今は、生きているだけで幸せです・・・こんなに、毎日感謝の日々はありません。こういう、つましいですが健康な境遇を与えられて、本当に身に余る光栄でございます。

                            近所の公園風景

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リタイヤ生活でも自分にふさわしい仕事の依頼があればなお嬉しい

2012-05-08 07:01:36 | ボランティア

私は、昨年の4月に定年退職して、1年目の再任用の仕事中に腰痛を起こして、退職し、今年の2月に手術をしました。現在はリハビリ中ですが、一応3ヶ月が経過して経過が良好なので主治医は、もう普通に生活が出来ますとの診断結果でした。

そういう近況を、同業の知人に以前から連絡していたので、昨日、その知人から電話連絡があって、来週の木曜日から、週3回の有償ボランティアの仕事を依頼されましたので、快諾しました。

考えてみれば、腰痛事故に遭ってからは、もうかれこれ1年間も仕事をしていません。元来、自分には仕事を通じて世の中の人々のお役に立てるのだという天職観というか生きがい観を持っているので、それを見抜いているからこそ主治医が、まだまだ少しは働けるように必要最低限の手術をして、自由に動けるように治療してくれたのです。それで、「無茶をしないように完治するまでは仕事を控えるように」指示されていましたので、まさにこの1年間は”プータロー”の状態でありました。

そういう意味で、昨日の仕事の依頼は、自分にふさわしい出来る範囲のささやかな仕事なので、大変うれしくて赤飯を炊かなくてはならないような慶事であります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

でも、何も病気療養中のリタイヤの生活がつまらんといっているわけじゃあないのです。

もちろん、手術が成功したのは大変感謝すべきことだし、同じ時期に同じ病院に入院して同じような手術を受けた人と知り合いになったので、その人とメール交換してお互いの近況報告をして治療の励みになっています。また、一喜一憂するリハビリ生活にもそれなりに《家族のためにも体を大事にして早く良くならないといけないな》という使命感というか責任感や、《徐々に快癒していく》喜びがあるのも事実です。

また、リタイヤしているお陰で家族団らんの楽しいひと時もたくさん持てています。下記の写真は、妻の一番上のお姉さまのマンションにごく最近家族で行ったときの喜びの表情です。仕事に追いまくられていたならば、親戚づきあいもままならないところでしょうから、親戚と思いがけなく懇意に出来て、それはそれでいいものです。

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JR長岡京駅前の都市計画のすばらしさ

2012-05-07 20:15:19 | 外出の記録

先月末日、京都駅ビルに行く途中にJR長岡京駅に立ち寄りました。下の写真はJR長岡京駅前の風景ですが、私の独断と偏見で言えば、全くすばらしい都市計画が実現されています。中央に市民の憩いの場としての駅前広場、右に1階がフレンドマート・2~3階が駐車場・その上階がプールやトレーニングセンターの入居しているバンビオ2番館、正面に中央生涯学習センター、左に飲食店街、その背後に村田製作所のビルが建っています。
こういった市民の住んでよかった、働いてよかったという生きがいのある町づくりによって、今では、阪急長岡天神駅よりも、乗降客が多くなっているそうです。

nagaoka03.jpg

歩道橋の向こう側の2つのビルが村田製作所です。
nagaoka02.jpg

下の写真は、左がバンビオ2番館、道路は広い歩道と何車線にも拡張されている天神道路です。
nagaoka01.jpg

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当たり前の事がごく自然にできることが感謝です

2012-05-06 10:27:55 | 闘病

標題の通り、腰痛のリハビリは日にち薬です。前にも書きましたが、リハビリに専念しようと思ったり、筋肉トレーニングを行ったりするのは厳禁です。そんなことを少しでもしようものなら、一日でアウトです。大体、自分の体のことで少しでも良くなろうと治療に専念すること自体が、ロクな結果を招かないのです。結果は、筋肉痛や骨を痛めて、1ヶ月ぐらいは逆戻りさせて徹底的に悪化させているのです。ですから、手術後1ヶ月で、無理なトレーニングをするということは、手術翌日の状態に時計の針を戻すという愚かな行為になるわけです。つまり、せっかく1ヶ月かかって患部を回復させるために体力を100%使ってきたのに、これが振り出しに戻ってしまって、今度はこれを取り戻すためにまた100%以上の体力を消耗することになるのです。つまり、合計で200%以上の時間と体力を消耗するし、がっかりもするのです。

ですから、リハビリなんかしなくても、日常生活の掃除、洗濯、買い物、散歩程度で十分なのです。

私は、手術後の翌日の夕方には歩行器で歩きました。そして6日後に歩行器をはずして自力で歩きました。そして、8日後に階段ののぼりおりをしました。10日後には、病院の外を歩きました。こういうことは、日常生活にもどるための最低限の機能訓練であって、これをしなければ足腰の骨や筋肉が萎縮してしまうので、しかたなく必要最低限度を実行していただけなのです。でも、同じような手術をした患者さんが、患部が痛むのを怖がって、歩行訓練をしている人はほとんど見かけませんでしたが・・・。これでは、退院してから足がふらついて倒れて家庭内事故になるかもしれません。結局、安静ばかりでも体に良くないと思うのです。

過ぎたるは及ばざるが如しで、及ばざるは、なお宜しくないわけです。

上の写真は、左足を右足の脛に沿って上げるトレーニングですが、こんなのはつい1ヶ月前は、いくら頑張っても10cmも上げることはできなかったんです。(上の写真) それで、無理に上げようとすると、腰の骨がキリリと痛むので、そういう筋トレはやめていたわけです。専ら、いいかげんな平地のブラブラ歩き=そぞろ歩きを毎日つづけていたのです。すると、最近では、下記の写真のように、膝の高さまで難なく上げることが出来るようになっているではありませんか?

本当に嬉しいです。当たり前のことが、ごく自然に出来るほど感謝すべきことはありません。

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手術後の体調回復は少しずつ確実に

2012-05-05 18:43:06 | 闘病

腰椎の手術をしたのが2月7日ですから、今日で大体3ヶ月程度です。実は、4月18日にサークルの飲み会、4月20日に以前に勤めていた職場の歓送迎会があったのですが、当時はまだまだ足元がしっかりしていない感じだったので、いずれも酒席ですからほんの少し飲んだだけだったです。2次会も誘われましたが、断りました。晩の11時ごろはやはり、夜道も暗いし危ないと感じたのです。特に足元がふらついて倒れることを恐れていたのです。

4月26日には、親戚の人との会合がありましたが、やはり、18日、20日でちょっとビールを飲んだだけでも足元がふらついている状態だったので、断りました。親戚も心づかいを示してビールは注文せずにウーロン茶を注文してくれたので、ありがたかったです。

ところが、意外にも嬉しいことに、5月2日に医師の定期健診を受けて、もうコルセットを外して歩いても大丈夫なほど手術した腰椎が安定してきているとの診断結果が出ました。それで、今日は京都駅まで行きました。大変な人混みでしたが、激しい人の流れにも負けずしっかりした足取りで歩くことができました。

これは、自分でも驚きです。嬉しいやら、びっくりするやら、もう有頂天でした。ただ繁華街を歩くことができるだけで、何故こんなに嬉しいんだろう?と不思議に思うぐらい嬉しかったのです。

京都駅ビル7階催場での「なばたとしたか原画展」会場前にて 左から次女・妻・長女です。         同会場入り口にて 左 長女 右 次女

 やっぱり、私は、すべてを捨てて、腰のリハビリをいい加減にのらりくらりと適当にやっていたのが正解だったのです。おかげさまで、日にち薬で、ことさらに頑張らなくても、少しずつ回復してきたのだと思いました。決して、リハビリをあせったり、専念したり、一生懸命したり・・・といったような思い上がった気持ちでしてこなかったのが幸いしたのではないかと考えています。

これからも、リハビリを頑張ったり専念したりすれば全快するなんてことは、夢にも全然考えていません。ありえません。そんな体に無理を強いるようなハードトレーニングは、おそらくひどい腰痛に見舞われることになるだろうから、”ボチボチそろそろといい加減に”・・・をモットーにリハビリを続けていきたいと思います。

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