日本死刑囚会議=『麦の会』の会報
1992年4月14日発行
この会報に登場する死刑囚や獄中者は…
・宮崎知子死刑囚(現在も、名古屋拘置所におられる。存命。71歳)
・田本竜也刑死囚(2002年9月18日執行、36歳没)
・藤波芳夫刑死囚(2006年12月25日執行、75歳没。執行当時は立つことができず、車椅子による移動だったらしい)
・大石国勝刑死囚(2000年11月30日、執行、55歳没)
・K.H.さん(一審で死刑判決を受けたが、二審で無期懲役に減刑。しかし、この方が現在も存命かどうか?出所できたのかどうか?私は知りません。)
この会報で、各獄中者たちが、生い立ちについて語っているので載せます。
【宮崎知子死刑囚より】
“今、振り返り思いて”
【管理人より】
なぜ、私(管理人)が、こういうものを載せるのかというと…
日本国民のほとんどが、マスコミからの影響で、『犯罪者は、普段から、キエーッとか叫んで刃物でも振り回している狂人であり、冷静さを普段から持ってないおかしな人間』とでも思ってるのではないか?と思って、その偏見をなくしてほしいと思って、載せています。
日本の主要な新聞は、ほとんど、死刑囚や獄中者らの手紙等を新聞に載せてくれません。テレビ局が獄中者についてとりあげたとしても、新聞や雑誌が、獄中者について載せたとしても、高確率で、獄中者を徹底的に悪く印象付けるような報道の仕方しかしませんよね?犯罪は、犯罪者にとって、一部の時間で起こしたことでしかないんです。まあ、常習者や依存症が原因によるものだとしたら、また違いますが…
また、すぐに、『被害者が!遺族が!』と言って、『被害者』『遺族』という言葉を武器に使用する人達が多いですが、そっちはそっちで救済されるべきであって、加害者と被害者を常に同じ天秤にかけたり、比較論で話すのは間違いなんですよ。
当然、加害者は被害者と遺族に謝罪するべきです。しかし、加害者が、すぐに、ポンと、多額の賠償金や慰謝料を、被害者や遺族に払えるかというと、そうではない。被害者や遺族が救済されてなかったら、それは、国が出てきて補償してやるべき。犯罪者も、ポンと慰謝料を払える金持ちばかりではなく…いや、金がないからこそ、犯罪に走る。(金持ちだけど犯罪に走った奴のことは、また要因を考えるべき。)
よく、被害者寄りの団体や、ネトウヨや厳罰化大好き派とか、極刑厨とかが、「加害者は、拘置所や刑務所に入って、そこでご飯を出してもらえて、人権が守られてる、それにひきかえ、被害者や遺族は…」と加害者と被害者を比較して、どっちが優遇されているか?という話に持って行きますが、補償の面については、加害者と被害者のことは別々に考えるべき。
犯罪者らだって、好きで犯罪者になる道を選んだわけじゃない。本人達も当然、反省が必要だが、私達が個人ばっかり叩いてても犯罪がなくなるわけじゃない。犯罪を社会病理の現れと考えるなら、国や社会全体からすれば、犯罪者も社会的被害者と考えるべき。「なんで、そんな犯行に至る人間を出してしまったのか?」と。
ああ、それと、勘違いしないでほしいのですが、
『要因があったら、自分が不幸な生い立ちであれば、それを理由にして人に何をしてもいい』と、私は言っているのではないんで。
最近、特に、性犯罪について、「ストレスがたまってたら(性犯罪を)やってしまっても仕方ない、それは依存症だし」とか、とんでもねえことを遠回りに主張してる人がいますが、ストレスや依存症だという自覚があるなら、それを取り除く努力は当然本人もやってください。「イライラしてるから、犯罪も、イジメも、性犯罪もやっていいですよ。仕方ないのです」と、私は言ってるのではありません。