長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

教養と娯楽のはざまで…3

2016年09月04日 13時23分00秒 | マイノリティーな、レポート
 転石苔を生ぜずと申せども、石自体の価値が不変と認められるのは無機物なるが故であって、有機物たる人間であるからには、苔むすことによる価値を問いたいもの。
 記憶の虫干し…本棚に在ってここ十数年ほど手にしていない懐かしい友どちをぺらぺらとめくってみますると、

  我邦(わがくに)現代における西洋文明模倣の状況を窺ひ見るに、都市の改築を始めとして家屋什器庭園衣服に到るまで時代の趣味一般の趨勢に徴して、転(うた)た余をして日本文華の末路を悲しましむるものあり。―― 永井荷風『江戸芸術論』岩波文庫 2000年1月刊中、大正2年正月稿

 すっかり忘れておりましたが、1913年当時と現今、相対的にどうかは措いておいて、同じ想いに鳴く虫としては…  
 身近に日本の文化に触れることがなく育ってきた21世紀の日本人の多くの方々は、改めて日本の伝統文化に触れて驚愕してその魅力に開眼する…という、つまり内実異邦人なわけではあるけれども、それがきっかけで自国の文化に親しむようになる方がいらっしゃる一方で、感覚が異邦=外国人であると、微妙なニュアンスを理解することができずに背を向けるか、自らの尺度による注文を付ける。
 文化を供給する側はそうか、そういうことも国際社会においては忖度しなければならぬのか…と思い何らかの変化を施す手段を講ずる、そして文化は変容していくのでありましょう。

 私が物心ついた戦後の昭和期は、大人たちが躍起になって豊饒な平和国家の世界を築き上げようとしていた時代でした。
 それは物質に偏ったことではなく、むしろ精神性が重要とされていたのです。子供のころ読んだ本、五感を養うに接した芸術作品の数々、思えば有り難い時代でした。
 鑑みるに、このじゅうは商業主義…お金儲けになりさえすればよいという発想のもとから生み出される文化的とみなされる物事の数々。
 経済優先となって、人間の鍛錬された技術の上に成り立つ、心の糧となる優れたものは徐々に姿を消しつつあります。コストを下げ大量消費・生産のシステムの下に作られたものは粗製濫造品ばかりで、日常手許において文化的な心を養う道具類とは成り得ません。
 ものづくり日本を海外に向けて標榜するなら、広く職人を育てるに助成となるシステムを構築しなければ、日本の優れた技術は消滅していく一方です。日本の伝統を日々の暮らしで愛でる、生産する人々が廃業するにつれ、庶民にその日常性が失われてしまったのです。
 例えば雪駄一つ取ってみましょう。20世紀中でしたら、立派な本革の畳表の雪駄は3万~4万ほども出したら手に入りました。もちろん消耗しますが修理して長く履けます。
 しかし今は10万円以上、十数万円もします。雪駄の各部分を作る職人が絶滅したからです。日常に気軽に履いたりできません。これでは庶民は、日本文化を身近に感じて愉しむことさえ不可能です。

 さて、芸能にも格の区分けがあります。
 教養としてたしなみ、また娯楽として愛好する…人それぞれですから、自分の信条・心情・身上にマッチしたものを自分で選べばよいのです。
 熱海に海外からの観光客が増えた一方で、有名なお宮の松付近の銅像が非難の対象になっていると漏れ聞きました。
 ♪熱海の海岸散歩する~貫一お宮の二人連れ…という書生節のヴィオロンのメロディに乗って、繰り広げられる通俗なお芝居。明治期に大人気であった新聞小説も、戦後昭和、特に昭和50年代、高度経済成長を果たして、世界に冠たる経済大国の名をほしいままにしていた日本のカテゴリーでは、もはやパロディとしての喜劇、お笑いのネタでした。物質文明に負けて去っていった女を、徹底徹尾憎悪するしかない狭隘な男っぷりを笑う観点も余裕も生まれて久しい時代でした。
 「金色夜叉」において重要なことは情愛、義理人情よりお金を選んだ女の唾棄すべき価値観、そしてまた頑迷な男の、自らのトラウマに固執して一切合切を不幸のどん底に貶めていく暗愚さであって、貫一がお宮を足蹴(あしげ、と読みましょう)にするその一点ではありません。
 そしてまた彼は彼女を蹴飛ばしたわけではなく、縋りついてくる彼女を「ええぃ!」と言って振りほどいたのです。それを漫画的強調、カリカチュアされたのがあのシーンでありまして、お芝居を娯楽としてとらえている者にとっての金色夜叉という物語の象徴なのですね。

 なんという牽強付会な発想でありましょうか。
 フェミニズムの正当性を前面に押し出して、特に深く物事を考えずにぼんやりと平穏無事に暮らしている人々の向こう面を張って脅かして、自分たちの理屈でもってロードしていく、嫌な感じですね。確かに日本人はお人好しで油断が過ぎるのですが、人災よりも天災に気を付けなくてはならない環境に根を下ろして生きてきた風土ですから、ただもう、欧米的発想にはびっくりしてしまうばかりなのです。
 自分たちの先見的で賢明な価値観には在り得ない野蛮な風習を描いた人々の話は聞きたくもない、という一見正当に見える理屈によって、日常であるがゆえに、身過ぎ世過ぎ曖昧なままに日本的なものとともに生きてきた者たちは右往左往してしまうのでした。

 前時代の忌むべき価値観の所産であるものは撤去廃絶せよ、という方々は、自分は色眼鏡をかけない、という色眼鏡をかけているのです。
 自分の物差しで異文化を測るのでは、それらを理解することは到底できません。
 そしてまた前時代の価値観で成り立つものを理解するには、その時代の価値観、考え方というものを知らなくてはなりません。そして一歩踏み込んで、彼我の考え方の違いを知って、なおかつ、過去が存在していた状況から変遷して、それらの事象を客観視できる今、現時代に至ることができたのはなぜか、と考えるべきではないでしょうか。 
 それこそが歴史から何をどう学ぶのか、ということではないでしょうか。
 そうすれば二度と再び同じ轍を踏むという過ち(それを過ちととらえるならば、ですが)を犯すことなく、平和で豊かな未来を招来できるというものではないでしょうか。
 そして初めて、禍々しき過去の時代を再現するという、現実の悪夢から逃れることができるのです。

 教養として歴史を知ることはできても、歴史から生まれたお芝居を娯楽として楽しむには、頭で理解するのではなく心で愉しむことが必要です。
 10分でわかる名作のあらすじを読んで、何が分かるというのでしょう。知っているという蘊蓄をひけらかして自慢することはできるかもしれませんが、含蓄のある美しく優れた日本語の文章と世界観を、心で味わうという愉しみ方は体得できません。

 一方向からの解釈でしか物語の価値を測れないとしたら、日本文化の重要性、魅力を知ることはできないでしょう。
 それにつけて連想されるのが、子供が死ぬ、という一点で非難されつつある歌舞伎・文楽の作品群です。江戸期に発生し明治・大正・昭和をかけて錬成された伝統の演劇は、身分制度という障壁があるゆえに、ただLoveやらPeaceやらいう欧米の芝居より、葛藤が複雑で奥深く、人間が生きるということを描いていると思います。
 昭和時代にたいへん人気のあり、いまでも三大名作として上演され続ける「菅原伝授手習鑑」、これは子供が身代わりになって死んだという、ただそれだけの話ではありません。
 1945年以降の日本には、戦争が終わって何もかも失っても…それは物質だけでなく自らの魂の拠りどころもですが…生き続けなければならぬ人々がおりました。逆縁を呪いながら暮らさなくてはならぬ親たちが、国のために戦争に召集されて死んでしまった自分の子供を悼み、泣きに来る芝居だったんじゃないかなと、私は思うのです。
 それは、八月が来るたび、何の気なしに友達の家に遊びに行ったらお盆の祭壇に軍服の若い人々の写真が供えてあって、「この人だぁれ?」「これはね、戦争で死んじゃった伯父さんなの」という会話が小学生の友人同士にかわされる世代には、身に染みて感じ取れることでした。

 同時代性というものは、教養が娯楽に転じるにおいてまことに重要な要素なのです。
 ですから、21世紀の今、日本の伝統文化たる歌舞伎・文楽・落語(演芸含む)に親しもうと思う若い人々が、20世紀に結実した感覚を血肉として感じられないのは、当然のことなのです。
 そして欧米的尺度でもって批判対象にするしかない、という感情が生まれるのは残念なことです。(つづく)
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