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岸里の明月荘

2014年11月17日 | タイガース・GS

ナンバ一番時代にファニーズのメンバーが住んでいたという、大阪の岸里の明月荘。 ジュリーの25周年記念のNHKの番組では、ジュリー自身が紹介してました。 まだ存在していると知り、ジュリ友様が案内して下さるというので 行ってきました。 見ておかないと、もし取り壊しになったら、後で後悔しそうで・・・

大阪の地図はさっぱりわからない私、岸里がどの辺か殆ど見当もつかなかったのですが西成区とのこと。正直言って、西成はあんまり上品ではないイメージがあります。

岸里はなんばから少し先で、大阪梅田から30分ほどの意外に便利な所だった。あら意外に近い。 住むには「なんば一番」のある なんばに地下鉄一本で行けて、近くて便利なんですって。 だから、ミュージシャンが多く住んでいたそうです。 場所がら、家賃も安かったのかも?  梅田から、地下鉄内でおしゃべりしながらだと、岸里の駅にはすぐ着いたような気がしました、なんばから駅は三つ目。

          

駅の辺りは都会でしたが、道路から一歩入ると下町の風情の住宅街。 昭和のまま、時が止まってしまったよう。 ○○荘という名前の建物は今もそこらにあり、ここは今でもジュリー達が住んでいた時から変わらず、そういう賃貸物件があるんだなと思う。 「なんとか荘」という名前は、今はもう賃貸物件の名にはつけないよね。大学時代、私は兵庫県南西部の出身の為、東の阪神間の住宅事情は何も知りませんでした。大学の友人の住所が「武庫之荘」で、そういう名前の賃貸物件にお住まいなのかと勘違いしてました。私と違って山の手のお嬢様だったようです。いや全く関係ない話でした。

地図を片手にキョロキョロしていたらありました、明月荘。 駅から10分もかからなかった便利な場所です。とても静かな住宅街で、駅から人の姿をあまり見かけませんでした。 玄関先の画像。 ドアノブの下の手書きの看板は「犬の迷惑お断り」みたいな事が書いてありました。 玄関前にはシュロ等の植え込み。

まるで、ジュリー達が暮らしていた時にタイムスリップしたかのようです。 時間の流れが止まったままのように感じる、明月荘はとても静かな場所でした。

 

青っぽく映っていますが、実際は白っぽいかな?壁がひびだらけ。窓の4つ目の一番右がトイレ。

部屋は上下に8部屋。選挙ポスターの貼ってある窓の部屋に、リンド&リンダースの宇野山さんが住んでいて、その廊下を挟んだ向かいの部屋が、ジュリーとタローの部屋。今でも部屋には、ファニーズ時代のサインが壁に残っているんだそう。 ピーはサリーと、トッポは1人で住んだ。 昭和46年から、ほんの半年ほど暮らしただけです。

 壁の崩落が進んでいるようで、地面に剥がれおちた壁の残骸が。 夏に見た時には、壁の修理はしていなかったはず、とのことでした。

 

ひと部屋が三畳しかなく、そこに2人で住むという事は  若い男の子にはさぞ狭かったことと思う。 昭和40年代では、三畳間は賃貸物件では有り得る大きさでした。家賃は4500円とか。 安い?高い?

明月荘はその当時でもボロかったという話で、空き家になったのは やはり老朽化のせいでしょうか。

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 ザ・タイガースの真相」2011年3月20日 「時代の意志」宇野山氏(ジュリーの向かいに住んでいた)のインタビュー  ※一部を抜粋 。↓

宇野山氏にとって、明月荘での印象深い思い出は「沢田研二。 誰もいない部屋で一人膝を抱えて何時間も座っていた。彼は一日中、人と喋らなくても苦にならない性格のようだ」

ザ・タイガースについては「一番になる者には必然性がある。あれだけの粒ぞろいの若者が集まったのは偶然ではなく必然だ。時代という目に見えない意思の働きが、彼等を僅かな間に頂点に押し上げた。だが、それは自分たち以外の意思によってもたらされたもの故、自分たちの個我によって崩れてしまうのだ」と語る。

前座バンドだったファニーズに、ナンバ一番の専属バンドになれるよう取り計らったのは他でもない宇野山氏だ。彼等と宇野山氏の出会いもまた、時代という見えざる意思の働きだったに違いない。

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誰もいない部屋で一人膝を抱えて何時間も座っていたジュリーは、当時何を考えていたのでしょうか?

  • 2012年11月17日

 

みんなからのコメント コメントする

>直美さん、コメント有難うございます♪
明月荘、ほんとによくぞ今まで残っていてくれたと思います。
あの当時のジュリーの姿が浮かびますよね!
明月荘が、いつまでも残っていてくれると嬉しいのですが
壁の崩落がすすんでいるようなので、いつ取り壊されても
おかしくないような気がします。
>誰もいない部屋で一人膝を抱えて何時間も座っていた。

見える見える!
私にも見える!!!
胸キュン!

よくぞ残っていてくれますよね!
ずっと、保存しておいてほしいわ!
>YUMIさん、コメント有難うございます(^-^)
行った気になってもらえましたか? 思ったよりも便利な場所で
梅田からも近かったですが、明月荘の中には入れるわけでもないですから、
わざわざ行く必要はないですよ~。
ほんとに写真で充分ですから(笑)
>つるさん、今晩は~ 見えますよね、
部屋の中でひとりぼっちで膝を抱えたジュリーの姿が☆彡 
でも、未来への不安はあったかもしれないけど
きっと暗い目はしていなかったはず・・・

昭和50年頃までは、充分 世の中には神田川の世界がありました。
東京で下宿してた兄も3畳間住まいでした。
その頃は夏休みには、いつも痩せて帰ってきてました。
この頃の若者は贅沢だから、まず考えられないですね。
レポ、ありがとうございました。
「明月荘」へ行って来られたんですね~。
昭和がそのまま残っていましたか?・・・
ジュリー達がファニーズ時代からタイガースへの躍進の土台の時に住んでいた所ですか・・・
今となっては感慨無量な気持ちでしょうか?
無くなってしまわないうちに行く事が出来て良かったですね。
ちょっと私も見に行けて様な気持ちになれました。ありがとうございました。
見えます。見えます。
眀月荘の部屋でひざを抱えているジュリーの姿。
3日に1度くらいしかしゃべらなかったってタローも言ってたよね。
下宿って言ったら、やっぱり三畳ですよね。
裸電球が揺れて影を作ってね。
青春だわ~~~。

私が思い出すのは
大学2年の時に学校に来なくなってしまった友達がいて
家出して彼のところにいるっていうので
住所をたよりに行ってみたら、まさしく明月荘みたいな下宿屋。
共同玄関で靴脱いで上がるタイプのアパートね。
で、ドアをトントンってノックしたら
何ですかって上半身裸の暗い目をした学生が出てきてさ
〇〇は今出かけてますって。覗いたら三畳一間だったよ。
神田川の世界だわって感動して帰ってきた次第。

すみません。三畳から話がそれました。

レポありがとうございました。

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