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【寄付付き】軍艦島、炭鉱閉山から世界文化遺産登録まで(写真5選)

こんにちは。長崎新聞社のナガシンです。
みなさんは長崎市の「軍艦島」という島はご存知ですか。

軍艦島は正式名を端島(はしま)と言い、2015年に世界文化遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」の構成資産になっています。

日本の炭鉱産業を栄えた軍艦島は、これまで長崎新聞でも多くの記事で紹介しており、今回はこれまで紙面で掲載した「軍艦島の写真」をいくつかご紹介します。



2014年7月5日、長崎新聞紙面より


また、この記事で紹介させていただいた写真は、プリント版セットとしてもご案内していますのであわせてご覧ください。

なお、プリント版の売上は一部(1回のご注文につき500円)を長崎市が実施する「端島(軍艦島)の整備基金」に寄付させていただきます。

▼軍艦島の写真セットはこちら



2020年3月、30号棟の一部が崩落

今年3月30日、国内最古の鉄筋コンクリート造アパートである軍艦島の「30号棟」の一部が崩落していることが分かりました。

30号棟は1916年(大正5年)に建築された7階建てのアパート。
当時の最先端の技術で建設された建物であり、その価値を高く評価する専門家は多いですが、近年は劣化が急速に進行しており倒壊が心配されていました。


2020年3月30日、長崎新聞紙面より


1974年1月、炭鉱操業を終え閉山

1974年(昭和49年)1月15日、主要エネルギーが石炭から石油へ移行してゆく影響を受け、軍艦島は閉山となりました。

軍艦島は明治23年の創業開始から、84年にわたり累積1650万トンもの石炭を産出。15日当日は午前から島内の小中学校体育館で閉山式が行われ、従業員やその家族ら約780人が出席しました。

その後、4月20日までに全住民が島を離れ、軍艦島(端島)は無人島となりました。


1974年1月15日、長崎新聞紙面より


2014年10月、国指定史跡へ

2014年6月、文化審議会が軍艦島(端島炭鉱跡)を「高島炭鉱跡」の一部として国史跡に指定するよう文部科学相に答申し、同年10月6日に軍艦島は国指定史跡になりました。

これにより、2015年の世界文化遺産登録へ向けて必要な「国内法で適切に保護管理されている要件」が明確になり登録に向けての準備が整いました。


2014年7月5日、長崎新聞紙面より


2015年7月、世界文化遺産登録。世界とつながった1年に

2015年7月5日、軍艦島(端島)など長崎市内の8資産を含む「明治日本の産業革命遺産」が、長崎県初の世界文化遺産に登録されました。

長崎新聞では7月5日の紙面ラッピング特集だけでなく、同年大みそかの紙面でクルーズ船の寄港が過去最多を数えたことにも触れ、「長崎県が世界とつながった1年」と紹介させていただきました。


2015年7月7日、長崎新聞紙面より


2016年7月、軍艦島修復計画の提出へ

2015年の世界文化遺産登録決定時、ユネスコ世界遺産委員会は保全策を中心に8項目の注文を付けました。そのなかで最も重要な宿題は「風化が進む軍艦島(端島炭鉱)の明確な保全計画」の策定でした。

長崎市が設置した専門家委員会は、2018年から30年かけて段階的に整備する計画の概要をまとめ、政府と市は同計画を基に「修復整備活用計画」を策定。島内に林立する鉄筋コンクリート造の高アパート群を含め、どの施設から整備するか、などの優先順位を計画に盛り込んでゆくことになりました。


2016年7月8日、長崎新聞紙面より

軍艦島の調査を行っている
長崎大学大学院工学研究科技術職員の出水享博士(工学)に、現在の軍艦島が置かれている状況について、お伺いしました。

出水さん
「2020年3月に現存する日本最古の鉄筋コンクリート構造アパートの30号棟の南面の一部が老朽化で崩落しました。5月には同箇所の崩落が拡大し、6月には西側の一部が新たに崩落しました。外観からは確認できませんが、建物内部は、床が崩落しており、部分的に「はりぼて」状態になっています。今回は、その部分に風や波が作用して崩壊したと考えます。
今後は、崩落のスピードがさらに加速することが予想され、場合によっては、今後襲来する台風により大部分が崩壊するかもしれません。」

▼軍艦島3Dプロジェクト(出水享さんホームページより)


一部ではありますが、これまでの長崎新聞で掲載させていただいた「軍艦島の写真」を紹介させていただきました。

この記事で紹介させていただいた5枚の写真はプリント版としてご案内しています。なお、プリント版は売上の一部(1回のご注文につき500円)を「端島(軍艦島)の整備基金」に寄付させていただきます。

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