日本は海に囲まれた島国なので他国の文化が
あまり入ってきません。
だから、「英語や中国語が話せると世界中の人と話せるよ!」
と、言ってもピンと来ないし
「話せなくても別にいいんじゃね?」(笑)
って感じになってしまいます。
マレーシアで塾をやっている知り合いの先生がいます。
その先生と昨夜、話をしていたのですが
マレーシアにいる日本人はみんな英語や中国語はじめ、
その他の言語を体得することが必須条件になっているそうです。
というか、当然の「常識」になっているようです。
わかりやすくたとえるなら
「靴を履くようなもの」
なんだそうです。
みなさんは、外に出るためには靴を履きますよね。
あたりまえですよね。
もし、靴がなかったり小さくなったり、破れたりしたら
新しいものを買いに行きますよね。
現地の人にとって、語学を体得することは
そのくらいあたりまえのこと、なんだそうです。
本当の目的はその先にある、ってことです。
語学を体得することが目的なのではなく
体得してからが本当の「やりたいこと」への
挑戦なんだってことです。
現地にいる日本の子どもたちが
そんな感じだというから驚きです。
その先生もどうにか、この感触を日本にいる子どもたちにも
感じてもらえないものかなぁ~と仰っていました。
日本に居てはなかなか感じられないことなので
どうにか輸入できないものかと、僕も考えたいと思います。
あまり入ってきません。
だから、「英語や中国語が話せると世界中の人と話せるよ!」
と、言ってもピンと来ないし
「話せなくても別にいいんじゃね?」(笑)
って感じになってしまいます。
マレーシアで塾をやっている知り合いの先生がいます。
その先生と昨夜、話をしていたのですが
マレーシアにいる日本人はみんな英語や中国語はじめ、
その他の言語を体得することが必須条件になっているそうです。
というか、当然の「常識」になっているようです。
わかりやすくたとえるなら
「靴を履くようなもの」
なんだそうです。
みなさんは、外に出るためには靴を履きますよね。
あたりまえですよね。
もし、靴がなかったり小さくなったり、破れたりしたら
新しいものを買いに行きますよね。
現地の人にとって、語学を体得することは
そのくらいあたりまえのこと、なんだそうです。
本当の目的はその先にある、ってことです。
語学を体得することが目的なのではなく
体得してからが本当の「やりたいこと」への
挑戦なんだってことです。
現地にいる日本の子どもたちが
そんな感じだというから驚きです。
その先生もどうにか、この感触を日本にいる子どもたちにも
感じてもらえないものかなぁ~と仰っていました。
日本に居てはなかなか感じられないことなので
どうにか輸入できないものかと、僕も考えたいと思います。