2016年10月28日順天の葦畑をそれなりに楽しんだ後は、いよいよ今日の
最終目的地名人シン・ガンス茶を訪ねました。気に入ると同じ所へのリピートを
することの多くなる私、今回で4度目の訪問です。
初回 2012年5月21・22日 南部バスTより光陽梅農園経由
二回目 2012年8月4・5日 KTX
三回目 2013年6月7日 KTX
名人シン・ガンス茶は、我が心の人が旅と自国文化についてエッセー『韓国の美
をたどる旅』を書いた時、お茶の項に関連して、手作り茶を訪ね歩くなか出会っ
たお茶です。既に東アジア茶文化研究所の協力を得て、韓国の茶文化について製
茶体験も含め理解を深め、原稿執筆も全て終えていたと思われる時期、研究熱心
な彼が更なるお茶を求め出会ったのでした。
シン・ガンス先生は仙厳寺の住職だった父親の下で、1989年迄仙厳寺の茶畑を守
り、その後は順天の高地で在来種のお茶を、肥料はおろか水さえも与えない自然
栽培の方法で作っていらっしゃいます。
禅僧によって韓国にもたらされたお茶文化、修行の一環として受け継がれてきた
その流れは、李氏朝鮮の崇儒廃仏政策の結果、茶畑は放置され、その後再びお茶
が必要とされるようになった時は、大量生産用に開発された改良種のやぶきた種
が入ってきて、現在全国のお茶の木の90%以上を改良種が占めているそうです。
「改良種は主に肥料を吸収させて育てるため、直根よりは横根が発達し、深根性
の在来種に比べ根を深く下ろせない。しかし在来種のお茶の木は根が背丈の3倍
まで育ち、大地の精気を吸い取ることができ、それゆえ深い味が出るのです」と
シン・ガンス先生はおっしゃいます。
名人茶ホームページより
在来種のお茶の木 改良種のお茶の木
シン・ガンス先生と出会い、在来種のお茶の精髄に触れた彼は、お茶を通じて
「私たちが子孫に継ぐべき文化遺産はまさに自然だ」と気づいていきます。
韓国は狭い国土にもかかわらず植物資源が豊富で、また自然環境は同じ植物に
非常に優れた薬性を持たすことができるといわれています。それは歴史ドラマ
の中で商人の中国との取引の中で高麗ニンジンが非常に珍重されることからも
信頼性が想像できます。
豊富な植物資源と言うと思い起こすのは、スーパーとかデパートなど無論コン
ビニも含めて近代的なショッピング場所がありつつ、その一方でソウル市内の
各町内には従来型式の市場があり、近郷から出荷されてくる瑞々しい新鮮植物
が山と積まれて売られている様子です。多分それは日本が高度成長過程で失って
しまった姿では無いかと思われます。
2012年になって初めて順天に出かけた私、彼が東アジア茶文化研究所で経験
した茶作りの過程を、追体験したくなり先生のお許しを得てやってみるという
幸せな機会を得ました。
その経験があったからか、元来乗りやすい性格のせいなのか分かりませんが、
その旅の最後にいただいた名人茶は、お茶は元々薬として用いられていた事を
自分の喫茶体験によって実感する鮮烈なものとなりました。
直前まで会食しながらシンガンス家自家製のお酒をいただいた私、アルコール
に弱いため、ほんの少量でしたが顔が真っ赤になっていました。食事を終え
喫茶室に向かう時、先生が私のその顔色を「お茶でクレンジングしてあげまし
ょう」とおっしゃったんです。
顔を、お茶で?クレンジング?、イメージが湧かずクエスチョンマーク一杯だ
った私、淹れていただいたお茶の一杯目を飲み干すや、顔の熱気がサ~ッと
ひいていました。
大地の英気を吸い上げ育った最高の茶葉を、名人の手でその茶葉に一番かなった
条件で仕上げたお茶… 12年・13年は、我が家にはちょっと贅沢品でしたが行く
度、ワンパックずつゲットして、少し離れて住む娘が帰る週末の一日などゆったり
お茶タイムを持つのが、無上の楽しみになりました。
丁度大切なお客様を迎えようとしていた16年の秋、図らずも韓国チングと順
天に遊ぶことになったのも、丁度良いタイミングと久し振りに先生のお茶をゲッ
トして、幸せなお茶の時間が持てるようにと願った次第です。
先生のお宅へは順天駅前1番バス乗り場から仙厳寺行き路線バスで向かいます。
バスセンターで入手した地図を片手に降りるバス停の名称をチェック、チェック。
しかと確認した筈なのに・・・、韓国人のチングも付いていてくれたというのに
どうもシン・ガンス茶を訪問する時は、決まって2停留所前で降りてしまいます。
余程停留所名が似ているのでしょうか!?
今回も手前で降りることになってしまいましたが、1・2キロ歩けば着くと分かって
いますから、余裕で秋の風景を楽しみながら歩きます。バスを降りて歩く道は↓
こんな道です。山間の長閑な所ですが整備されていて歩きやすいです(この写真は
翌日撮影)
この看板のある所を右へ入って行くと黄金の実りの向こうに先生ご一家の住む
韓屋が見えます。
入口を入り案内を乞うと先生・奥様が出迎えて下さいました。挨拶を済ませると
先生はすることがあるからと席を外されましたが、奥様が心をこめて、何杯も
お茶を淹れて下さり話し相手になってくださいました。4度目にして初めてお目
にかかった奥様は、シャイな先生と違い気さくに親しくお話してくださる方で、
一しきりおしゃべりとお茶を楽しんだあとは、ご紹介いただいた民宿へ移りオン
ドルの入った部屋でゆっくり休みました。
左側にある韓屋が宿泊した民宿 中央の水色っぽく見えているのが製茶工場
民宿からみたシンガンス茶の全貌(左:民泊用韓屋、中:勝雪軒、右:居宅)
翌日は昨日用事があって不在だったお嬢さんに会い、お久し振りの挨拶をし、お茶
をワンパックゲット^^遠路ようこそとお茶の花を乾燥させ小さな瓶に詰めた物や
お嬢さん手作りの、心のこもったプレゼントをいただき満ち足りた思いで名人茶を
お暇したのでした。
最終目的地名人シン・ガンス茶を訪ねました。気に入ると同じ所へのリピートを
することの多くなる私、今回で4度目の訪問です。
初回 2012年5月21・22日 南部バスTより光陽梅農園経由
二回目 2012年8月4・5日 KTX
三回目 2013年6月7日 KTX
名人シン・ガンス茶は、我が心の人が旅と自国文化についてエッセー『韓国の美
をたどる旅』を書いた時、お茶の項に関連して、手作り茶を訪ね歩くなか出会っ
たお茶です。既に東アジア茶文化研究所の協力を得て、韓国の茶文化について製
茶体験も含め理解を深め、原稿執筆も全て終えていたと思われる時期、研究熱心
な彼が更なるお茶を求め出会ったのでした。
シン・ガンス先生は仙厳寺の住職だった父親の下で、1989年迄仙厳寺の茶畑を守
り、その後は順天の高地で在来種のお茶を、肥料はおろか水さえも与えない自然
栽培の方法で作っていらっしゃいます。
禅僧によって韓国にもたらされたお茶文化、修行の一環として受け継がれてきた
その流れは、李氏朝鮮の崇儒廃仏政策の結果、茶畑は放置され、その後再びお茶
が必要とされるようになった時は、大量生産用に開発された改良種のやぶきた種
が入ってきて、現在全国のお茶の木の90%以上を改良種が占めているそうです。
「改良種は主に肥料を吸収させて育てるため、直根よりは横根が発達し、深根性
の在来種に比べ根を深く下ろせない。しかし在来種のお茶の木は根が背丈の3倍
まで育ち、大地の精気を吸い取ることができ、それゆえ深い味が出るのです」と
シン・ガンス先生はおっしゃいます。
名人茶ホームページより
在来種のお茶の木 改良種のお茶の木
シン・ガンス先生と出会い、在来種のお茶の精髄に触れた彼は、お茶を通じて
「私たちが子孫に継ぐべき文化遺産はまさに自然だ」と気づいていきます。
韓国は狭い国土にもかかわらず植物資源が豊富で、また自然環境は同じ植物に
非常に優れた薬性を持たすことができるといわれています。それは歴史ドラマ
の中で商人の中国との取引の中で高麗ニンジンが非常に珍重されることからも
信頼性が想像できます。
豊富な植物資源と言うと思い起こすのは、スーパーとかデパートなど無論コン
ビニも含めて近代的なショッピング場所がありつつ、その一方でソウル市内の
各町内には従来型式の市場があり、近郷から出荷されてくる瑞々しい新鮮植物
が山と積まれて売られている様子です。多分それは日本が高度成長過程で失って
しまった姿では無いかと思われます。
2012年になって初めて順天に出かけた私、彼が東アジア茶文化研究所で経験
した茶作りの過程を、追体験したくなり先生のお許しを得てやってみるという
幸せな機会を得ました。
その経験があったからか、元来乗りやすい性格のせいなのか分かりませんが、
その旅の最後にいただいた名人茶は、お茶は元々薬として用いられていた事を
自分の喫茶体験によって実感する鮮烈なものとなりました。
直前まで会食しながらシンガンス家自家製のお酒をいただいた私、アルコール
に弱いため、ほんの少量でしたが顔が真っ赤になっていました。食事を終え
喫茶室に向かう時、先生が私のその顔色を「お茶でクレンジングしてあげまし
ょう」とおっしゃったんです。
顔を、お茶で?クレンジング?、イメージが湧かずクエスチョンマーク一杯だ
った私、淹れていただいたお茶の一杯目を飲み干すや、顔の熱気がサ~ッと
ひいていました。
大地の英気を吸い上げ育った最高の茶葉を、名人の手でその茶葉に一番かなった
条件で仕上げたお茶… 12年・13年は、我が家にはちょっと贅沢品でしたが行く
度、ワンパックずつゲットして、少し離れて住む娘が帰る週末の一日などゆったり
お茶タイムを持つのが、無上の楽しみになりました。
丁度大切なお客様を迎えようとしていた16年の秋、図らずも韓国チングと順
天に遊ぶことになったのも、丁度良いタイミングと久し振りに先生のお茶をゲッ
トして、幸せなお茶の時間が持てるようにと願った次第です。
先生のお宅へは順天駅前1番バス乗り場から仙厳寺行き路線バスで向かいます。
バスセンターで入手した地図を片手に降りるバス停の名称をチェック、チェック。
しかと確認した筈なのに・・・、韓国人のチングも付いていてくれたというのに
どうもシン・ガンス茶を訪問する時は、決まって2停留所前で降りてしまいます。
余程停留所名が似ているのでしょうか!?
今回も手前で降りることになってしまいましたが、1・2キロ歩けば着くと分かって
いますから、余裕で秋の風景を楽しみながら歩きます。バスを降りて歩く道は↓
こんな道です。山間の長閑な所ですが整備されていて歩きやすいです(この写真は
翌日撮影)
この看板のある所を右へ入って行くと黄金の実りの向こうに先生ご一家の住む
韓屋が見えます。
入口を入り案内を乞うと先生・奥様が出迎えて下さいました。挨拶を済ませると
先生はすることがあるからと席を外されましたが、奥様が心をこめて、何杯も
お茶を淹れて下さり話し相手になってくださいました。4度目にして初めてお目
にかかった奥様は、シャイな先生と違い気さくに親しくお話してくださる方で、
一しきりおしゃべりとお茶を楽しんだあとは、ご紹介いただいた民宿へ移りオン
ドルの入った部屋でゆっくり休みました。
左側にある韓屋が宿泊した民宿 中央の水色っぽく見えているのが製茶工場
民宿からみたシンガンス茶の全貌(左:民泊用韓屋、中:勝雪軒、右:居宅)
翌日は昨日用事があって不在だったお嬢さんに会い、お久し振りの挨拶をし、お茶
をワンパックゲット^^遠路ようこそとお茶の花を乾燥させ小さな瓶に詰めた物や
お嬢さん手作りの、心のこもったプレゼントをいただき満ち足りた思いで名人茶を
お暇したのでした。
また時々お伺いさせてもらいます。
お茶は緑茶なのでしょうか?
以前韓国で飲んだお茶は、随分と種類があり、緑茶ではなく、ウーロン茶系統のような気がしました。
いろいろな製法があるのでしょうか。
自分で調べもしないで、ゴメンナサイ。もしよろしければご教授ください。
お具合が悪いというのにお越しいただきありがとうございました。
名人茶は日本では煎茶と呼ばれる類のお茶です。
作り方は多分、日本でも機械化される以前はこう作っていたのではないかと思います。
長くなりますが、初めて訪問した時に別なサイトにアップした記事から
茶づけり体験部分を転載しますので、お読みいただけたらと思います。
まず茶葉は全て人の手で葉先をつまんで摘んで作業場へ集められます。
すると薪で高温に熱した大きな鉄釜で煎ります。手袋を3重にはめたアジュモニが
二人掛かりで手際よく手を動かし続けます。傍らには先生が付きっきりで
時折釜の中に素手を入れ、茶葉の具合を確かめたり、混入した細い木の
枝などを取り除いたりされます。
一定程度煎られた茶葉は、今度は蓆の上にあけられ、揉みに入ります。
軍手を嵌めた手で莚に押しつけるようにギュッギュ、ギュッギュと
揉むというより丸めるような感覚でやっていると、もうそれ以上丸まらない時が来ます。
そうなると次の段階干し(?)に移ります。干しは時間にして10分かそこら
それほど長時間ではありません。そして2度目の煎りに入ります。
2度目の煎りが済むと、不思議です。
最初の揉みでそれ以上丸まらなくなっていた茶葉がまた丸まり始めます。
そのように煎り、揉み、干しを繰り返すこと最高9回、茶葉や気候次第で
繰り返す回数は先生の感と経験で決まります。最高9回まで繰り返すそうです。
名人茶のお茶の種類は、上記の方法で作ったいわゆる日本で言う緑茶と
それを1年ほどかけて半発酵させたものがあります。
また茶葉を摘む時期による違いと、お茶の木を栽培する環境の違い
(竹林や香りのある樹木の下)で、何種類かあるようです。
長くなりました。お読みいただきありがとうございました。
半発酵のお茶もあるんですね。日本にどうして伝わらなかったのか、あるいは広まらなかったのか、これは大きな謎ですね。
今度訪れたら、いくつかの種類の茶葉を楽しんでみたいと思います。
半発酵茶では中国のウーロン茶がありますし、全国的には作っているのかどうか不明です。
シンガンス茶で試みているというところでしょうか!?
狭い経験の範囲内の情報で、一般化できるものでは無い事をご承知おきください。
再訪ありがとうございました。