脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病を患って苦節10余年、Rondo-Nth の生活&世相その他つれづれ雑記です。どうか気楽・気長にご覧下さい。

父を葬ること。

2016年11月20日 11時24分45秒 | 近況
夢の中で、法事が開催されていた。死んだのは父なのか、私なのか判ら
ない。誰のためか陰膳が据えられており、喪服を着た大勢の会葬者が着
座する前で、何故か魚のぬいぐるみ帽子を被った「さかなクン」が、
魚とはどういう生き物であるか、熱弁を振るっていた。

誰もが、御経でも聴くようにシンミリとさかなクンの話に聞き入ってい
た。すると突然場面が変わり、キング・クリムゾンが演奏を始めた。私
はジョン・ウェットンが歌うと湿っぽくなりそうで、ヤダなと思ってい
ると、目が覚めた。畳の上には、読み止しの本が伏せられていた。


  *   *   *   *   *   *   *   *


( 私の父は海辺の町の出身で、父の父親は魚屋をやってたらしい。
冒頭の夢はそれと関係があるのだろう。キング・クリムゾンは、父と無
関係だが、死んだのが私であり、私への葬送曲なのかもしれない。)

父がこの世を去って、49日。親族が集って法要と納骨を行い、墓の中
に入って貰った。ようやく慌ただしい葬祭儀式のひと通りが終わった。
ヒトが亡くなると四十九日までは落ち着かないものだと、昔年配の方々
が口を揃えて言っていたのを思い出して、喪主の身になって本当にそう
だと実感した。

今でもまだ、在りし日の父の姿を思い起こすと、胸が詰まるような気分
に陥るが、一方では清々した気持ちもある。自分の役目をひとつ終えら
れたということもあるが、父と私は波長が合わなかったので、目の上の
タンコブが消えたというのもある。

享年86歳7か月だったが、健康に気を付けて養生すれば、90まで何
とか生きられたと思うが、そんな性格のヒトではなかった。それでも、
こんな歳まで生きてこられたのは、医療の進歩や生活の質の向上等、長
寿の時代になったからだろう。

仏教では四十九日までは中陰といい、生と死の中間の存在とされる。霊
として浮遊している時間であり、四十九日の忌明けに「仏」となる。基
本的には誰もが等しく、上も下もなく仏になる。「成仏」するのだ。
私は、仏教のこういう考え方に好意を抱く。

四十九日というものは、その間こちらも「死の時間」の中に閉じ込めら
れる。故人への望郷のような時間、生前の存在感が影のように付きまと
う時期でもある。そんな風に、心性は極度に観念的に傾きながらも、一
方で、弔問の挨拶対応や贈答品の手配、役所・銀行等への事務手続き等
俗事に忙殺される。こちらも聖俗の淡いにたゆたうかのようだ。

人は誰もが、全てを残したまま、ひとり遠くに去ってしまう。誰もそれ
を追ってはいけない。そんな死者の姿にこそ、救いがあるような気もす
る。自分もやがては、そんな瞬間を迎えるのだ。あちらの仲間入りをさ
せて貰えるのだと思うと、ふっと気持ちが緩む。

結局こうして‥、<永遠>の繰り返しに溶けてゆくだけなのだ。
そう‥、そうなのだ。そうなのだが、
今、こんな観念で括ってしまって、お仕舞いでいいのだろうか?
何かが、違うような、こんな綺麗な合理主義で済ませて良いのだろうか?

私は未だ、父という人間を理解し得ないでいるし、よく消化出来ていな
い。小柄で不器用で無粋で無教養な父だった。それでも、いやだからこ
そ、仕事も生活も何事も懸命に、恥をかなぎり捨てて生きるしかなかっ
たのだろう。無欲で寡黙、自分を主張表現することが拙い父だった。物
事の処し方や人間関係の立ち回りがヘタで、子として手本となる親では
なかった。

私の思いの中に生きる父、在りし日々の父に回想の中で対面しつつ、残
りの私の人生、もう少し父と歩みたいと思う。勿論現実の父は既に死に
墓に眠るのだが、私の気持ちとしては、父を葬るにはまだ早い。もう少
し胸に<父>を感じていたいと思う。








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