私のなべ四器(規矩準縄)

今、自分の周りで起きていること。ご近所のトマソンもそんなに、気にしてない。深めにかぶった帽子で、年内不定休営業中。

次郎長だもん

2015-05-11 06:13:42 | 気儘に散策
(写真:折り目のしっかりついた真新しい旗が初々しい)

次郎長ガイドウォーキングの受付時刻の9時45分を目指して急ぎ足で集合場所(次郎長の生家)に着くとダラ~とした雰囲気に「あら?」と思うのでした。

案内役の中田氏が言うには、「(次郎長の生家を)9時45分に開けて貰おうと思ったら10時だんてと断られた」とか。最初から時間には甘いようです。

受け取った工程表を見ると1時間半じゃ収まらないんじゃないのと思えるボリュームで気合の入り方の違いを感じるのでした。果たして参加者は最後まで付いて来れるでしょうか。

開会セレモニーが有ると言うから本部前に集まっていると、次郎長子分の衣装を着た役者が集まり始めそれらしい雰囲気に成って来た。会長のカメラ屋が「ガイドウォーキングの方々行ってらっしゃい」の一言で今日のイベントがスタートしたのでした。

後で聞いたのですが参加者は80人程だったそうで、この人数を引き連れて歩くのは、ちょっと大変ですね。

最初の訪問地「次郎長生家」に全員は入れないので(元々狭い建物)入れなかった人は外で待つしかないのだけど中田氏の説明も届かずちょっと残念でした。



次郎長の生家の中を通り裏口に出た所でこれからの工程の説明。
自分なりに今日のポイントは「壮士墓」と決める。

写真中央のちょんまげとサングラスが中田氏。サングラスは「ブラタモリ」を真似ているそうです。



妙慶寺の門前。次郎長が30歳の頃「お蝶」と結婚して住んでいた所。そう思ってみると見慣れた景色も違って見えてきます。



次郎長が何度か転居した中の一つで近所の巴川護岸から見える「壮士墓」(木が植えて有る処)を眺めていると、次郎長もこんな感じで見たのではないかと思うのでした。(港橋の袂に案内看板有)

勿論船は違いますが、川面の高さももう少し低かったのではないかと思います。



壮士の墓に到着。

静岡市の文化財として保護されているので形が残っているのだけど、すぐ隣に有った資料館の様な建物は解体され今は無い。中に有った資料(写真)は梅䕃寺に保管されている。



明治元年の内戦の死者(幕軍兵の死体が清水みなとに浮いていた)を「死ねば仏」と次郎長が言って賊軍(賊軍の死体に触る事を官軍が禁じていた)の遺体をこの地に葬った。その墓碑の文字「壮士墓」は山岡鉄舟の揮毫。

次郎長が残した遺産(功績)としては「ゆびまんじゅう」よりも「壮士墓」の方が好きです。




この敷地内にコンクリートの電柱があり「三共電柱KK」とプレートが嵌め込まれている。ネット検索すると「三共電柱製作所」がヒットし形も同じである事が分かる。それは昭和15年製らしいので、此方の物は(後から株式会社に成っただろうから)戦前の物ではないだろうかと思う。

たまたま「壮士墓」の敷地内に建てられたので一緒に静岡市指定文化財に成って居る所が面白いと思う。



マリンパークの近くに有る次郎長堤

何と邪魔くさい代物で、ボートのペンキ塗りなんかをしていたから堤の石に付着していて「なんだろうな」と思うのだけど、清水の人は「其れも清水の文化だんて」と受け入れるのでした。



しっかりとした保存が望まれます。

流石に疲れて来たので此処で離脱。(時間が押していたので午後の予定に影響していた)
家に着くと思った以上に疲れていて、愚息が母の日だからと言って作ってくれたホットケーキが妙に美味しかった。
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