菜花亭日乗

菜花亭笑山の暇つぶし的日常のつれづれ。
散歩する道筋は、日本酒、俳句、本、音楽、沖縄、泡盛、カメラに...etc

2017/11/30  日記  冬紅葉

2017-11-30 20:11:30 | (2)日記

2017/11/30 (木) 旧暦:1013日 祝日・節気: 三の酉 日出 :630分 日没:1628分 月出:1418分 月没:206分 月齢:11.64 干支: 辛酉 六曜: 仏滅 九星: 三碧木星

今日のあれこれ: 冬紅葉

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『冬紅葉: 残る紅葉
初冬
周辺が枯れを深めるなかの紅葉であり、また、冬になってから色が際立ってくる庭園や寺社などの紅葉でもある。』
(季語と歳時記)



冬紅葉の俳句:



・伊那谷へ長く裾ひく冬紅葉  高橋善子



・遠山の日々深みゆく冬紅葉  郷地美代子



・遠ざかるもののひとつの冬紅葉  豊田都峰



・映れるも浮かぶも池の冬紅葉  笹村政子



・茅葺きの解脱門より冬紅葉  小牧喜美子




紅葉は枝ごとだ。
1
本の樹の枝が一斉に紅葉し、一斉に落葉することはない。
細かく言えば、枝ごとに紅葉し、枝ごとに落葉する。

掲載写真の紅葉も、左が先駆け、右が続き、真ん中が最も遅く紅葉した。これで雨が降り、風が吹けば、すべて落葉し枯れ枝になる。


小牧の句。
【三解脱門】
仏語。解脱に至る方法である3種の三昧(さんまい)。一切を空と観ずる空解脱、一切に差別相のないことを観ずる無相解脱、その上でさらに願求(がんぐ)の念を捨てる無願解脱。三三昧(さんざんまい)
(デジタル大辞泉)

解脱門は普通に言う山門のこと。
門から先に解脱に向かう道がある。
冬紅葉も其処から見ることができる。


話は変わるが、今日は、カメラの日だそうだ。
由来は、1977(昭和52)年のこの日にカメラメーカー小西六写真工業(コニカ)が世界初の自動焦点(オートフォーカス)カメラを販売したことに因っている。
コニカは、AFを採用し、焦点合わせの苦労から人々を開放した。「コニカC35AF(ジャスピンコニカ)」は、2年間で100万台を生産したヒット商品になった。





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2017/11/29  日記  芭蕉忌

2017-11-29 20:22:46 | (2)日記

2017/11/29 (水) 旧暦:1012日 祝日・節気:  日出 :629分 日没:1628分 月出:1343分 月没:103分 月齢:10.64 干支: 庚申 六曜: 先負 九星: 四緑木星

今日のあれこれ: 芭蕉忌

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(妄想オムライス
http://tiiibikuro.jugem.jp/?eid=1854
より転載




『芭蕉忌: 翁忌、桃青忌、時雨忌、芭蕉会、翁の日
初冬
松尾芭蕉の忌日。元禄七年陰暦十月十二日その生涯を閉じた。
旅を愛し、俳諧を芸術にまで高めたひと。遺言により近江膳
所の義仲寺に葬られた。』
(季語と歳時記)



芭蕉忌、翁の忌、桃青忌の俳句



・芭蕉忌の雲を率ゐる雲一つ 宮田正和



・義仲寺に沈香燻ゆる桃青忌  横山昭子



・見てゐたる山も暮れたり芭蕉の忌  山口天木



・山国は山より暮れて翁の忌  藤岡紫水



・時雨忌や淡き灯点る高灯籠  土江比露




元禄71012日(16941128日)、芭蕉は旅に病み、帰らぬ人となった。
芭蕉は偉人なので老成した印象があるが、享年50歳、今ならまだ現役のバリバリだ。

大勢の門人たちに見送られての大往生だった。
最後の日々も、取り乱すこともなく、句を詠み、遺書を書き、関係者にお別れを言い、遺言で弟子たちに遺品の管理を委ねるなど死出の旅路も用意万端だった。流石芭蕉。

10
8日、病中吟として

   
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る

を詠み

10
日に遺書を書き、
12
日申の刻(午前4時頃)、死出の旅に出立した。

耄碌とかボケとは無縁な自覚のある死だった。


【データ】

芭蕉の最期の日々は、以下が参考になる。

松尾芭蕉 Wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B0%BE%E8%8A%AD%E8%95%89


芭蕉庵ドットコム

http://www.bashouan.com/




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2017/11/28  日記  人参

2017-11-28 19:32:00 | (2)日記

2017/11/28 (火) 旧暦:1011日 祝日・節気:  日出 :629分 日没:1628分 月出:1309分 月没:003分 月齢:9.64 干支: 己未 六曜: 友引 九星: 五黄土星

今日のあれこれ: 人参

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(おいしいねっと
http://o-e-c.net/syokuzai/ninjin
より転載




『ニンジン(人参、学名:Daucus carota subsp. sativus)はアフガニスタン原産のセリ科ニンジン属の2年草。

名称
属名Daucus、種小名carota はラテン語でそれぞれ「パースニップ」、「ニンジン」の意。英名carrotや、栄養素カロテン(カロチン)の名は後者に由来。

日本語名「ニンジン」の由来、および中国語名については、オタネニンジンを参照されたい。

概要
ニンジンは原産地のアフガニスタン周辺で東西に分岐し、世界各地に伝播した。オランダを通りイギリスへと西方へ伝来しながら改良が行われた西洋系、中国を経て東方へと伝わった東洋系の2種類に分類できる。東洋系は細長く、西洋系は太く短いが、ともに古くから薬や食用としての栽培が行われてきた。

日本への伝来は16世紀で、この頃は葉も根と同様に食用としていたが、明治時代以降では一般に根のみを食べるようになった。現在でも地域によっては、間引きのため抜去された株が葉を食べる商品として出荷されることがある。日本で江戸時代に栽培されていた品種は東洋系が主流だったが、栽培の難しさから生産量が減少し、西洋系品種が主流になっている。

なお、一般に薬草として用いられているオタネニンジン(朝鮮人参・高麗人参とも)はウコギ科の植物であり、植物分類学上ニンジンとは異なる植物である。

植物としての特徴
栽培には涼しい気候が適しているが、苗の段階では比較的高い温度にも耐えられる。そのため夏に種を撒いて秋から冬に収穫する方法が最も容易である。しかしニンジンは発芽率が低く、種の吸水力が弱いため種撒き後に土が乾燥すると極端に発芽が悪化するため、雨後を狙って種を撒くのが好ましい。また乾燥を防ぐために潅水したり、新聞紙や藁・籾殻などで被覆すると効果的である。

短根ニンジンは多くの土質で栽培が可能なためあまり考慮する必要はないが、有機質に富んだ砂質土壌が最適とされる。しかし過湿に弱く、水はけが悪いと根腐れを起こしてしまう。土壌酸度は弱酸性から中性が適し、酸性ほど生育が遅れ、裂根が多くなる。また線虫(ネコブセンチュウ類やネグサレセンチュウ類)の被害を受けやすいので、前作に被害にあったところは避ける。また、日陰では茎葉ばかりが茂り、根の肥大が悪くなるためなるべく日陰になりやすい場所は避けたほうが良い。

長根種は一部の地域で栽培されているだけで、現在は五寸ニンジンと呼ばれる長さ15 cm内外の品種が多く栽培されている。これは品種も肉質や外皮の色、形状と揃い、カロチンの含有量、作りやすさなどを目的にして改良が進んでいるものである。このほかプランターでの栽培が容易な長形や丸形のミニニンジンもある。

ニンジンは種を撒いて発芽するまでに7 - 10日ほどかかり、その後の生育も遅いペースで進む。新聞紙などを掛けて乾かないように管理していると、雑草が一斉に生えてきてどれがニンジンかわからないくらいになる。また生えてきたニンジンは生育が遅いため、除草作業を怠ると雑草に負けてしまい枯れてしまうので、生えてきた雑草に注意し、小さいうちに早く抜き取ることが大切である。

東洋系ニンジン
中国で改良された東洋系のニンジンは、16世紀に日本に伝えられ、各地で作られるようになった。赤色の金時にんじんを筆頭に、甘味が強くてニンジン特有の臭みが少なく、煮ても形が崩れにくいので和風の料理に重宝される。なかでも京料理では比較的多く用いられることから金時ニンジンは「京人参」とも呼ばれ、京野菜のひとつに数えられている。しかし、栽培しにくいことがネックとなり、第二次世界大戦後西洋系ニンジンが主流となってきている。正月料理用などとして、現在でも晩秋から冬にかけて市場に出回るが、栽培量が少ないためこの季節以外では入手が難しい。この他沖縄県の伝統野菜のひとつで黄色い島ニンジンまたはチデークニーと呼ばれる品種や、アフガニスタン原産の黒人参などが東洋系に含まれる。

西洋系ニンジン
西洋系ニンジンは、オランダやフランスで改良がすすみ、江戸時代末期に日本に伝来した。主にオレンジ色をしており、甘味もカロチンも豊富に含んでいる。五寸ニンジンが一般的な品種で、ちょうど五寸(15 - 20 cm)ぐらいの長さで、金時ニンジンなどと比べて太めなのが特徴。

かつての品種は特有のニンジン臭が強く、子供の嫌う野菜の筆頭格であったが、品種改良により最近では臭いも薄くなった。全国の気候に応じた品種が栽培されていて、1年中市場に出回っているが、ニンジン本来の旬は9月頃から12月頃である。

栄養・調理

カロテノイドを含む黄色や橙色のものや、前述の黒人参などアントシアニンを含む濃紫色や紅紫色のものがある。長さ15 cm内外の短根ニンジンが周年店頭に並び、さまざまな料理に広く利用される。生食、炒める、煮るなど、多くの方法で調理が可能である。玉葱・じゃがいも・人参をあわせて家庭常用3野菜という人もいる。西洋料理のブイヨン(出汁)作りやソフリットなど、料理にうまみを出す用途にも用いられる。甘みの強い素材なので、ハルヴァやケーキなどデザートの素材ともなる。摺り下ろして絞ったジュースも日常的に利用されている。

ビタミンAの前駆体となるプロビタミンAであるカロテン類が豊富で、緑黄色野菜に分類される。カロテンの呼称がニンジンのラテン語名に由来するように、ニンジンのカロテン量はずば抜けて多く、中くらいの半本で、1日のビタミンA必要量がとれるほどである。またビタミンBC、カルシウム、鉄も多く、栄養的価値が高い。β-カロテンを多く含み、カロテノイドの一種であるリコピンを多く含むトマトといっしょに食べると癌予防によいと言われている。一方、東洋系ニンジンの金時ニンジンに含まれるカロテンとしてはトマト同様リコピンが多く、一方β-カロテンはほとんど含まれていない。リコペンはビタミンAには変換されないため、ビタミンAの供給源として金時ニンジンは不適である。

生のニンジンにはビタミンCを失活させるアスコルビナーゼ(ascorbinase, EC 1.10.3.3, 反応)という酵素が含まれているので生食は好ましくないとも言われている[5]。このアスコルビナーゼはビタミンCを破壊するためダイコンなどビタミンCの多い野菜との相性が問題となるが、少量の酢やレモンを混ぜるとアスコルビナーゼのビタミンC破壊作用を弱めることができる[6]。しかし同じくアスコルビナーゼを含むキュウリの項にある様に、これによって失活されたと見えるビタミンCは、実際は酵素作用によって還元型ビタミンCから酸化型ビタミンCに変異したのであり、酸化型に変わったビタミンCでも体内で還元型に戻るという可逆的性質を持ってるため今日では生理作用も還元型と同等であるとされてる。

ニンジン独特の苦みは、メレイン、6-ヒドロキシメレイン、6-メトキシメレインが原因である。

2004
年(平成16年)8月の国際家政学会での発表によると、油を使うなら、200度もの高温は避け、短時間での調理にとどめる方が、カロテンの消化・吸収が良くなる。人参の皮は、白っぽく非常に薄いもので、機械により、出荷地で既に剥かれている。多くの人が皮だと思い捨てている部分には、実にグルタミン酸やカロテンなどの栄養が豊富に含まれている。


まれに出荷される葉は、野菜炒め・天ぷら・お浸しなどで食べることが可能である。味はセリに似て、独特の清涼感がある。

電子レンジでの発火現象
未調理の状態のごく少量のニンジンを電子レンジで加熱すると、電子レンジのマイクロ波によってニンジン内に電気が発生し、眩いスパーク現象と共に発煙して炭化することがある。これらの現象を回避するには、ニンジンに少量の水をかけるか、一度に調理する量を100 g以上に増やすことが必要である[7]

馬との関係
日本では『馬の好物』とされ、観光牧場ではエサやりイベント用飼料の定番となっている。このイメージから、「馬の鼻先にニンジンをぶら下げて走らせる」という連想が生まれ、人にやる気を出させるための「褒美」のたとえとして「ニンジン」が使われるようになった。

ウマに限らず動物は一般に甘味のあるものを好むため、家畜の調教などで褒美として甘い飼料を与える事がある[8]。ウマの場合、ヨーロッパではリンゴなどの果物やパン・角砂糖が、日本では(安価な)ニンジンが用いられた[9]。このため、日本で育ったウマはニンジンを好むが、他国で育ちニンジンを食べ慣れていないウマは食べなかったり、むしろ嫌う事もある。
類似の例として、ネコに魚があげられる。
』(Wikipedia



人参の俳句:



・下校の子待つ人参のケーキ焼く 成田郁子



・人参は嫌ひ赤毛のアンが好き 山田弘子



・人参あまく煮て独りにもなれず 坂間晴子





歳時記を見ていて人参が冬の季語になっていた。
年中人参は身近にあるので季節感は余り無いのだが、旬は11月から12月だそうだ。
そんなことで今日のあれこれは人参にした。

ニンジン大好き人間としては、成田の句は読んで嬉しい。
成田もニンジンが好きで、その子もニンジンが好きなのだ。
人参のケーキを焼いて、学校から帰ってくる子供を待つ。
子供の笑顔が見えるようだ。

子供の頃、オフクロが作ってくれるニンジンの五目飯が大好きだった。五目飯はこの場合炊き込みご飯だ。
ニンジンが一杯で、ご飯が紅く染まるほどニンジンが入っていた。鶏肉や椎茸や油揚げも入っているのだが自分にはニンジンが主役だった。
ニンジンはオフクロの味として永遠に変わることはない。

沖縄の料理は色々好きだが、本土でもありそうだが沖縄にしか無いものが人参シリシリだ。
人参を太目にささがいて、出汁と塩で味付けをし、玉子を入れるだけのシンプルなものだが、ほんのりと自然な甘みが心を和ませてくれる。

人参が嫌いな人もいる。
長じて人参が嫌いな人が多いのに驚いた。
こんなに美味しいのに、嫌いだなんて、不幸せな人だと。
不思議だった。

坂間は甘くにた人参を誰と食べたのだろう。
学校から帰ってきた子や勤め先から帰ってきた夫とであればよいのだが。
人参は家庭の味、家族の味だから、独りでないほうが自然だ。




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2017/11/27  蚊の不妊虫放飼による駆除が始まった

2017-11-27 21:33:02 | (19)科学・新技術・新製品


蚊の不妊虫放飼による駆除が始まった。

日本は冬なので、今は蚊の被害から開放されているが、また夏がやってくれば厄介な蚊に刺されることは避けられない。

昔は日本脳炎を媒介するので問題とされたし、最近は外国人の来日も多いし、日本人が外国から持ち帰った病原菌が、日本の蚊により媒介される危険も増している。

日本の公園には池があり、蚊は生息しやすい、万一蚊が病原菌を持てば、子供たちは公園で遊べなくなってしまう。

蚊の対策は、殺虫剤を散布するのは対症療法で、根絶はできない。もっと根源的な対策が必要だ。
虫の駆除は放射線を使い雄を無精子化する方法だそうだが、蚊の雄は放射線に弱く、大量生産はできないと言われていた。

今回の方法は、放射線ではなく、ボルバキアという細菌を使うそうだ。
この細菌に感染した雄と交尾した雌が卵を産んでも、孵化しなそうだ。

今回実施したのはアメリカだが、ブラジルでは今年の8月に既に実施している。

実験が成功し、蚊が駆除されれば人が蚊に打ち勝つことになる。
素晴らしいことだ。



『「蚊で蚊を駆除」米で承認 子孫残させず群れの数減らす
11/27(
) 10:24配信 朝日新聞デジタル


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ヒトスジシマカ(米疾病対策センター提供)

米環境保護局(EPA)は、ジカウイルス感染症(ジカ熱)などを媒介する蚊を駆除するために、人工的に細菌感染させた蚊を「生物農薬」として自然界に放すことを承認した。細菌感染した蚊は交尾しても子孫を残せず、繰り返し放すことで蚊の群れを減らすことができる。殺虫剤を使わない新たな駆除法になると期待される。

【図解】蚊を使った「生物農薬」のイメージ

この蚊は、米バイオベンチャー「モスキートメイト」(本部・ケンタッキー州)が開発。カリフォルニアやニューヨークなど全米20州と首都ワシントンで5年間の販売が認められた。ネイチャー誌(電子版)によると、同社は来夏以降、一般家庭やゴルフ場、ホテル向けに販売を始める予定。

実験室で育てたヒトスジシマカ(ヤブ蚊)に、昆虫に感染する細菌「ボルバキア」を感染させた上で、ヒトを刺さないオスを選んで自然界に放つ。自然界のメスがこのオスと交尾して卵を産んでも、染色体の異常で孵化(ふか)しない。繰り返し放すことで蚊の数が減り、最終的に駆除できるという。

ボルバキアは、ヒトには感染しない。ハチやチョウなども殺してしまう化学農薬に比べ、蚊だけを狙いうちできて生態系への影響も少ないとされる。モスキートメイト社は、ケンタッキー州などで細菌感染した蚊を試験的に屋外に放ち、効果や安全性を確かめた。ブラジルや中国でも、別の企業や研究機関などが蚊を使った同じ駆除法の導入を進めている。(ワシントン=香取啓介)
』(朝日新聞社)




『デング熱対策に有効な細菌感染させた蚊を大量放出 ブラジル
2017
83012:20 発信地:リオデジャネイロ/ブラジル

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ブラジル・リオデジャネイロのゴベルナドール島で、蚊の放虫を行うフィオクルーズ研究所の専門家(2017829日撮影)。(c)AFP/Apu Gomes

830AFP】ブラジルのリオデジャネイロ(Rio de Janeiro)で29日、蚊を媒介したデングウイルスのヒトへの感染を防ぐために、細菌に感染させたネッタイシマカを多数、自然界に放出する1回目の試みが行われた。

フィオクルーズ研究所(Fiocruz Institute)の研究員らは記者団の前で、共生細菌「ボルバキア」に感染させたネッタイシマカを大量に放虫した。狙いは、繁殖によってこの細菌が拡散され、デング熱やジカ熱、チクングンヤ熱などのウイルスをネッタイシマカが伝播する力が弱まっていくことだ。

同研究所は昨年から、ボルバキアを蚊に感染させるプロジェクトの準備に取り組んできた。もともとはオーストラリア人研究者らが始めたプロジェクトだ。

フィオクルーズ研究所のデング熱対策計画を率いるルチアーノ・モレイロ(Luciano Moreiro)氏は、ボルバキアを保持するネッタイシマカを調べてみると、デング熱やジカ熱、チクングンヤ熱といったウイルスを感染させる能力が阻害されているか、減少していることが分かったと説明。「つまり、(ボルバキアを保持している)蚊を放虫すれば、これ(ボルバキア)が伝播する。まるで他の蚊に免疫力を与えるように。その結果、(デング熱ウイルスなどの)伝染自体が減少することになる」と語っている。

フィオクルーズ研究所の計画では、ボルバキアに感染させた蚊を週に160万匹ずつ放虫していき、ゆくゆくは週300万匹に増やす予定。

デングウイルスに感染すると、発熱や発疹、吐き気といった症状を呈し、死に至る例もある。ジカウイルスは重篤な出生異常の原因とされてきた。2016年、ジカ熱の拡大を受け、世界保健機関(WHO)は「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」を宣言。11月に終息宣言した。(c)AFP
AFP





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2017/11/27 日記 冬の雲

2017-11-27 20:13:24 | (2)日記

2017/11/27 (月) 旧暦:1010日 祝日・節気: 十日夜、上弦 日出 :628分 日没:1628分 月出:1235分 月没: ---- 月齢:8.64 干支: 戊午 六曜: 先勝 九星: 六白金星

今日のあれこれ:

「雲が流れる冬の空」

https://youtu.be/HRpOq_f1118



『冬の雲: 冬雲、寒雲、凍雲、凄雲、蝶々雲、富士の笠雲
三冬
鈍色の空に垂れ込めた雲を指すこともあれば、冬晴れの空にかかる積雲を指すことも。太平洋側は縞模様の層積雲や広がりのある乱層雲が多くかかり、日本海側大雪をもたらす積乱雲がよくかかる。』
(季語と歳時記)



冬の雲の俳句:



・過客とも冬青空を雲の行く  犬塚李里子



・いそがしや脚もやすめぬ冬の雲 斯波園女



・山羊なども気荒き日なり冬の雲 百合山羽公





雲にも季節の顔がある。
春は朧雲・霞、夏は入道雲、秋は鱗雲、冬は雲の形ではなく動きだろうか。
北風に乗って気ぜわしく流れ来て流れ去る雲。流れ雲と言えばよいだろう。

雲が切れて、青空が見えるのは良いが、すぐまた次の雲がやってきて太陽を隠し曇りになる。
晴れたり曇ったり慌ただしく変化する冬の空。

ゆったり流れる雲ならば、のんびりと見て楽しむこともできるのだが冬の雲はそうは行かない。
札幌にいた頃を思い出す。晴れた青空の遠くに黒い雲が一点登場する。これは吹雪くな~と予想していると。次第に近づき大きくなってきた黒雲が空を覆い始める、すると冷たい風が吹き付ける、俄に空が暗くなると強い風と一緒に激しい吹雪が始まる。地吹雪は空から降るのではない、地上の雪が風に乗って叩きつけるのだ。
北国の地吹雪は怖ろしい。

今日明日はお天気は良いようだが、明後日以降は寒気がやってくる。空を激しく冬の雲が行き交うはずだ。




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2017/11/26  三千盛  秋の酒蔵感謝祭  (その1)

2017-11-26 23:50:00 |    日本酒イベント


昨年は参加できなかった三千盛の秋の酒蔵感謝祭に参加した。

イベントの内容は、今回から少し変わったそうだ。

以下、三千盛のサイトから転載。

2017秋 酒蔵感謝祭のご案内

朝からうまい酒を酌み交わそう 酒コミュニケーションがとてもやさしく心地よい処です

手作りの屋台食堂で お酒に合う多くのメニューをご用意して
1日ごゆっくりお楽しみ頂けます 皆さまのお越しをお待ちしております

日時 20171126() 午前10:00~午後3:00
場所 三千盛酒蔵

出品酒 純米大吟しぼりたて、純米大吟にごり、純米、悠醸、小仕込純米、超特原酒、超特、朋醸、まる尾、手作り甘酒(当日限定)、など

催し 製造蔵ツアー(当日受付にて申し受けます)

食 実演 手打蕎麦 東濃地方のローカルフード屋台, 手作りチーズなど

入場料金 ¥500 【チケット11枚、三千盛オリジナル酒猪口付】

受付 三千盛店舗にて随時致します。

今回より、試飲はチケット制とさせて頂きます。
小仕込純米、まる尾はチケット2枚で酒猪口1杯、
それ以外はチケット1枚にて酒猪口1杯試飲できます。
追加チケットは、11500円(枚数限定)で販売致します。

駐車場はございません。
循環バス、または公共交通機関ご利用の上、ご来場下さい。

三千盛行き循環バス
多治見駅北口 ロータリー前より三千盛酒蔵と多治見駅との無料送迎循環バスを運行します。

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人乗りマイクロバス3台にて、朝930分頃から約20分間隔で往復運転します。
多治見駅改札を出たところで弊社の係員がお待ちいたします。

楽酒三千盛

NEW!純米大吟しぼりたて 2017新酒 Tasty & Dry
NEW!純米大吟にごり 生きた酵母 Sparkling& Dry
★ 悠醸 香り、旨みあふれる大吟醸
★ 小仕込純米【チケット2枚】 ドライテイストの理想郷へ
★ 純米 包みこまれた旨みの宝庫
★ 超特原酒 Elegant & Strong
★ 超特 進化を重ねる伝統のからくち
★ 朋醸 五年熟成の深い味わい

★ まる尾【チケット2枚】  核心的旨みの出現
★ 手作り甘酒(当日限定) 感謝祭Special (チケット不要、お一人様一杯まで)

製造蔵ツアー (申し込み順) 1回のツアー20

※事前予約は行っておりません。当日精米所前で受付を行います。

初回 11:30  2回目12:10~ 3回目 12:50
4回目13:305回目 14:10

蔵人がお酒の製造過程を懇切丁寧にご案内、説明致します。
酒米が水に触れ空気に触れる そして人に触れかたちを変えて2ヶ月ほどで酒に生まれ変わります。

食のエンターテイメント

手打ち蕎麦 名人 波多野利和
名人の蕎麦こぼれ話を聞きながら打ちたての香り高い新蕎麦をお召し上がり頂けます

屋台 わたなべ
こちらの地域「東濃」のローカルフードいろいろまた珍味もお持ちします

ぬくた屋
特製の陶器窯で炊き上げた
ごはんと手作りのお惣菜

いぶし工房 手作りチーズ
丹精込めて作り上げた とろけるようなスモークチーズ
 
ゆめくらぶ農場
豚汁、おでんなど、体の温まる食べ物をご用意

※ 飲食物、アウトドア用品(イス・テーブル等)などの
持ち込みは禁止しております。』


三千盛の感謝祭は、多治見駅から笠原町まで無料の送迎バスが用意されている。
今年は、バス3台で20分刻みで運行されるとのこと。
路線バスではなく、送迎バスで行くことにした。

多治見駅から税務署横のバスのりばに向かう。
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9:55に着くと、まだ長い列ができていた。
何台か来て徐々に番が近くなり、漸く乗り込むことができたのは50分後だった。

到着して、入場料500円を支払い、利き猪口と試飲チケットを受取り、入場。
酒の販売コーナーの前を通る。

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突き当りのスペースは屋台で、以前と変わっていない。

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殻付きの生牡蠣を焼いている店があった、以前はなかったような気はするが。

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ねぎま、やきとりは以前と同じだ。

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手打ちそばの屋台も変わっていない。

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チーズも変わっていない。この店のスモークチーズは美味しい。

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蔵の手前左側の中庭は、参加者が集う宴会場になっていて、以前と同じ。

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早く到着した人たちは、もうそれぞれ陣取って楽しんでいる。

試飲会の開場であるくい入ると、正面に出入り口が設けられていた。

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外に出ると、広いスペースが新しい宴会場になっていた。
これは広い。
以前は中庭だけだったので、混み合っていたが、これだけ広ければ、参加者の多くが宴を楽しむことができる。

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会場左側には、新しい屋台も出ている。
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会場で提供される料理・肴の種類も増えている。
三千盛の酒と肴の相性をじっくりと楽しむことができる

バスを待つ列に小学校の子供達がいて、どうかなと思ったが、これだけ色々食べるものがあれば、子供を含めた家族で感謝祭を楽しむことができる。




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2017/11/26  三千盛  秋の酒蔵感謝祭  (その2)

2017-11-26 23:45:00 |    日本酒イベント


蔵の中の試飲会場に戻る。

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チケット制になった効果だろうか、カンターに近づきやすくなっっている。

番号の若い1番まる尾側は混んでいるので、11番から利くことにした。
11銘柄であれば記録が可能なので、印象を記録した。


(11) 三千盛 あぺりてぃふ 純米大吟醸
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色は黄色の熟成色がある。立香は軽い老香だが気になるものではない。甘い入り口。トロリとした舌触り。酸は透明なもので引きが良い。含み香は軽い熟香と吟醸香の混じったようなもの。熟成酒だが、入り口の後の酸がフルーティーで、爽やかさもあり、中盤の重さを感じない。中盤以降軽く爽やかな熟成酒だ。


(10) 三千盛 燗旨吟醸 大吟醸
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燗酒: ぬる燗。立香は香ばしさを感じさせるもの。甘い入り口。含み香もほのかな香ばしさ。トロリとした舌触り。酸の膨らみと厚みが大きい。後半も酸が膨らむ、苦渋はなく。後口はピリ辛系。豊かさを感じさせる世界があり燗の良さを実感できる。



(9) 三千盛 超特 大吟醸
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立ち香は感じない。スッキリとした入り口。味のバランス良く、偏りがない。
燗酒を飲んだ後なので、酸が膨らまず、おとなしすぎる感じ。舌で探ると、切れの良い味わいに甘さを感じる。
ぬる燗にしてみたい感じだ。


(8) 三千盛 超特原酒 大吟醸
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スッキリした入り口で、辛口なのだが甘さを感じさせる。超特の後なので冷でも酸の膨らみとボデーを感じる。
超特と比べると厚み・膨らみ・含み香があり、冷でも楽しめる。味の偏りはなくバランスが良い。中盤からの切れが良い。飲み飽きしない酒だ。最も三千盛らしい世界を持った代表作だと思う。


(7) 三千盛 純米大吟にごり
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入り口は軽くシュワっと広がる発泡感と軽い辛味が弾けて快い。
にごり酒だが舌触りも酸も軽く引きが速い。中盤、広がった後、酸が戻る。発泡感のシュワッとした辛味と切れは持続する。
にごり酒だが重くはなく、スカッと爽快だ。


(6) 三千盛 純米大吟しぼりたて
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立香は、甘いものでお菓子を感じさせる。甘い入り口。トロリとした舌触り、酸は透明で膨らみがあり、広がりも適度。苦渋の主張はないので中盤以降の切れも良い。後口の切れも良い。
冷でもバランスが良く切れも良いので食中酒としても合わせられる。
燗にしたらどうなるか試してみたい。


(5) 三千盛 純米 からくち 純米大吟醸
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立香はあまり感じない。甘い入り口、滑らかな酸、膨らみは大きい。トロリ感は適度。酸は膨らむが軽さがある。含み香は仄かな熟香。中盤からの引きが速い。
引きの勢いがあり後半は早目に終わる。切れの良さとも言えるが、難しい処だ。



(4) 三千盛 悠醸 純米大吟醸
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色は透明。立ち香も感じない。甘くトロリとした入り口。酸の膨らみを感じるが熟なのかフレッシュなのかよく解らない含み香にエチル系のものがありクシャミが3回出た。鼻をくすぐる含み香だ。
フレッシュさと熟の両方を感じる、ブレンド酒を思わせる世界だ。


(3) 三千盛 朋醸 純米大吟醸
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色は僅かに黄みがかかっている。立香は軽い熟香。甘い入り口。酸はあるが辛味もあり主張がある。含み香も軽い熟香。酸はトロリ感はなく切れるもの。中盤はスッキリしている。後半も早目に終わる。
矢張り燗向きの酒と思う。


(2) 三千盛 小仕込純米 DRY 純米大吟醸

立香は甘いもの。入り口甘い。酸は滑らか、仄かな発泡感を感じさせる。味の偏りはなく、スッキリとしてバランスが良い。中盤以降切れる。


(1) 三千盛 まる尾 純米大吟醸

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僅かに色があるが日本酒の自然な色である黄麹の色だろう。立香は仄かに甘くフルーティーなもの。甘い入り口、トロリとした舌触り。酸は滑らかで緻密、確りとしている。味のバランスが良く穏やかで暴れがない。
滑らかさと緻密さに三千盛の最上級酒を感じる。



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2017/11/26  三千盛  秋の酒蔵感謝祭  (その3)

2017-11-26 23:30:00 |    日本酒イベント


利き酒も終わったので、販売コーナーに行き、1本買って帰ることにする。


販売コーナーには、試飲の番号順に銘柄の説明が掲示されており、試飲した結果と間違いなく購入できるので有り難い。
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(1)
三千盛  まる尾 純米大吟醸
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(2) 三千盛 小仕込純米 DRY 純米大吟醸
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(3) 三千盛 朋醸 純米大吟醸
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(4) 三千盛 悠醸 純米大吟醸
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(5) 三千盛 純米 からくち 純米大吟醸
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(6) 三千盛 純米大吟しぼりたて
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(7) 三千盛 純米大吟にごり
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(8) 三千盛 超特原酒 大吟醸
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(9) 三千盛 超特 大吟醸
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(10) 三千盛 燗旨吟醸 大吟醸
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(11) 三千盛 あぺりてぃふ 純米大吟醸
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購入したのは、超特原酒の1升瓶。
三千盛の特徴を備えた酒で、バランス良く自己主張を控えるのだが、飲みごたえがある。
冷は勿論良いが、蔵元のお薦めはオンザロックだが敢えて燗にしてみたい。
燗なら燗旨吟醸、超特が良いのはわかっているが、超特原酒もいける筈だ。



<感想>
・以前と変わっているところがあるが参加者は以前より楽しめているのが解った。
会場が広くなり、屋台も増え、仲間・家族でゆったりと楽しむことができる。
お客さんの数も今回のほうが多かったそうだ。

・チケット制は今回が初めてだが、特に問題はない。
試飲会場も以前のように混雑して近寄れないということはなかった。
試飲・利き酒を飲み放題と勘違いして必要以上に飲み過ぎることがなくなったからだろう。節度のある人には何の問題もない。

・イベントの内容は、以前のような蔵内の音楽ライブや書のパーフォーマンスはなかったが、蔵元が直々にお客さんへお酌をする感謝祭のスタイルは変わっていない。
会場の広さも倍増以上になり、屋台の数も増え、料理も色々あり、酒と肴を楽しむイベントとしては以前より多くの人が楽しむことができるようになった。

・毎回三千盛の酒について思うことだが、三千盛はアイデンティティーの確立した蔵で、酒造りについては確固とした信念があるブレない酒蔵だ。
鑑評会の金賞を目指したり、流行を追って無濾過生原や吟醸香プンプンの大吟醸を造ったりはしない。
三千盛の今日の酒の殆どはスペック的には大吟醸だが、香りが立ち過ぎるものとか、中盤以降の甘・苦が浮く酒や、酸に偏った味わいや、後口の重い酒は無い。
香りや味の偏りを抑えてバランスを保ち、料理の邪魔をせず料理と結婚できる酒を造るのがコンセプトと言える。
どの蔵も同じような酒では、進歩もないし、飽きてしまう。
飲み飽きしない酒を造る三千盛は、貴重な存在と言える。



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2017/11/26  日記  金目鯛

2017-11-26 17:46:48 | (2)日記

2017/11/26 (日) 旧暦:109日 祝日・節気:  日出 :627分 日没:1629分 月出:1159分 月没:2304分 月齢:7.64 干支: 丁巳 六曜: 赤口 九星: 七赤金星

今日のあれこれ: 金目鯛

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(飲食万歳
http://wein.exblog.jp/6094583/
より転載




『キンメダイ(金目鯛、Beryx splendens)は、キンメダイ目キンメダイ科に属する深海魚。

分布
世界各地の深海に生息。

特徴
目が金色に輝き、魚体の色が赤いことから「キンメダイ」の名があるが、マダイやクロダイなどのスズキ目スズキ亜目タイ科とは異なる種類である。

利用法
旬は冬だが四季を通じてよく脂が乗っているため、煮物にすると特に美味であるほか、白身であらゆる料理に利用できる。身は軟らかく小骨が少ないため、老人や子供にも食べやすい。しかし旬が冬季である為に荒天の影響を受け漁の安定性が確保できない事、扱う漁師の減少などの影響で漁獲高も年々減少し、水揚げが最も多い伊豆半島などで地産地消の一環でブランド化して、価格の高騰と流通量の減少が続いている。

調理法
   
刺身、煮魚、干物、味噌漬け、粕漬け、酒蒸し、鍋物、ブイヤベース、ムニエル

人間との関わり
食料として見た場合、キンメダイの体内に含まれる微量の水銀に注意する必要がある。 厚生労働省は、キンメダイを妊婦が摂食量を注意すべき魚介類の一つとして挙げており、2005112日の発表では、1回に食べる量を約80gとした場合、キンメダイの摂食は週に1回まで(1週間当たり80g程度)を目安としている[1]。』
Wikipedia



金目鯛の俳句:



・金目鯛海恋ふ眼持ちにけり  島田利郎



・金目鯛裏返してもまなこかな  西田美ち



・うしほ煮の金目鯛の目母に盛る  福盛悦子





金目鯛は、冬が旬なので、これから美味しい季節になる。
今日のTVのグルメ番組で石ちゃんが下田の金目鯛をレポートしていた。

三色丼が運ばれてきたので、雲丹といくらと金目鯛と思ったらそうではなくて、下田では金目鯛は三種類あるそうで、地金目、平金目、トロ金目と区分されていた。
3種類の金目の刺し身がご飯の上に乗っており、醤油を使っていただいていた。
勿論、“まいう~”だが。

酒の会の肴で金目鯛の姿煮が出ることがある。
これは家庭ではできないので特に美味しい。
固過ぎず柔らかすぎすホロリとして脂の乗った金目鯛は美味しい。

俳句も、名前の通り眼を詠んだものが多い。
煮てしまえば白くなるので気にならないが、お造りの姿造りなどで鮮度の高いものだと、気持ちが繊細な人だと、真っ黒の瞳に睨まれているようで、たじろぐかもしれない。
西田は繊細な人のようだ。

沖縄でも鮪の眼玉は珍重され、眼玉だけ売られている。
筆者はまだ食べたことはないが、眼の球の周囲のトロリとしたところが美味しいそうだ。




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2017/11/25  日記  三島忌

2017-11-25 18:19:22 | (2)日記

2017/11/25 (土) 旧暦:108日 祝日・節気:  日出 :626分 日没:1629分 月出:1122分 月没:2207分 月齢:6.64 干支: 丙辰 六曜: 大安 九星: 八白土星

今日のあれこれ: 三島忌、憂国忌

「三島由紀夫 最後の演説」

https://youtu.be/_oNMABlVRtM



「三島由紀夫- 檄」

https://youtu.be/xG-bZw2rF9o



『三島忌: 憂国忌/由紀夫忌
初冬
小説家で戯曲家の三島由紀夫の忌日。一九七〇年十一月二十五日に「盾の会」のメンバーらと自衛隊の市ヶ谷駐屯地に乱入し割腹自殺をとげる。作品に『仮面の告白』『禁色』『潮騒』『金閣寺』『豊饒の海』など。唯美的な作家であった。』
(季語と歳時記)



三島忌・憂国忌の俳句:



・三島忌や空のプールに日の差して 片山由美子



・三島忌に爪の先まで酔ふてをり 北 光星



・かけちがふボタンどこまで憂国忌 増田 史




季語三島忌・憂国忌は重い。
俳句の世界には収まらない。

三島由紀夫が市ヶ谷で演説をした後、自決をした。
学生運動はあったが、平和な日本だった1970年。
突然の凄惨な事件に国民は驚いた。
それから47年の歳月が経過した。

アメリカの核の傘と平和憲法のお陰で、日本は戦争をすることもなく、日本の平和を楽しんできた。
三島の事件には蓋をしたまま、時計は止まっている。

片山は三島を愛しているのだろう。
空のプールの空虚と三島の不在が重なっている。
北は爪の先まで酔っている、そして酔っている自分を嫌悪している。
幼い中学生の13歳の女の子が拉致されたのは三島事件の7年後1977年の1115日だ。拉致の事件も平和憲法下で蓋をされたまま、時間は止まっている。
日本の国に他国人が入ってきて、国民を理由もなく連れ去る不条理を其の儘にして、今日も爪の先まで酔っている。
三島の演説を聞く自衛官は一人もいなかった。ボタンがかからないことは三島も知っていたに違いない。
47年の歳月が流れ、日本を守らなければならないような事変が発生すればボタンがかかるかもしれない。

日本の国民は、まだ突き詰められてはいない。
平和を守るのか日本を守るのか。
二者択一の事態がやってくるまでは、爪の先まで酔っているつもりだ。




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2017/11/24  日記  芋煮会

2017-11-24 20:29:08 | (2)日記

2017/11/24 (金) 旧暦:107日 祝日・節気:  日出 :625分 日没:1629分 月出: 1043分 月没:2112分 月齢:5.64 干支: 乙卯 六曜: 仏滅 九星: 九紫火星

今日のあれこれ: 芋煮会

「ゆっくり実況 山形の芋煮会 簡単レシピ付」

https://youtu.be/f2k0kTunR4o



『芋煮会(いもにかい)とは、日本の主に青森県を除く東北地方各地で行われる季節行事で、秋に河川敷などの野外にグループで集まり、サトイモを使った鍋料理などを作って食べる行事である。

呼称には地域差があるが、ここでは総称として「芋煮」「芋煮会」という呼称を用いる。

概要
芋煮会は、親睦を深める行事として、家族・友人・地域・学校・職場などのグループで行われている。山形県、宮城県では特に盛んに行われ、秋の風物詩となっている。また、新潟県や関東地方では、地域イベントを中心に芋煮会が行われている。芋煮会を開催する人々にとっては野外での宴会(またはお楽しみ会)のひとつであり、春の花見・秋の芋煮会として双璧をなす。

在来種の種芋苗を用いた東北地方でのサトイモ栽培では、収穫時期が例年10月頃になるため、一般的な芋煮会も大抵10月初旬から徐々に行われ始める。その後、大体10月下旬から11月初旬にかけてがピーク期となり、紅葉シーズンの終了、または、初雪が降ると共に終息する。

平成に入る頃からは、「町おこし」や「食のイベント」として大規模な芋煮イベントも行われるようになった。これらのイベントの内いくつかは、一般的な芋煮会のシーズンである秋とは異なる開催時期のものもあり、東北では盛夏や晩夏の開催例が見られ、関東では、春の開催例や東北では寒さのために既に下火となっている11月末の開催例も見られる。

歴史
起源
サトイモが日本に伝わったのは縄文時代とされるが、里芋は煮て食べるよりは茹でるか焼くか蒸すかが主な調理法であったと考えられるため、「芋煮」の成立は更に後世と考えられる。

江戸時代、米の不作に備えてサトイモも作られており、「芋煮」自体は家庭料理としても食べられていたが、サトイモの収穫時期に合わせて「芋煮会」の原型とみられることが農村部で行われていた。ただし、江戸時代には豚肉や牛肉などの肉類は一般に食べられていなかったため、現代のように芋煮に肉は入っていなかったと考えられる。「芋煮会」の原型は、野外で集団で鍋料理を囲む収穫祭的な意味合いの行事だったが、村をあげてのものだったという記載はないため少人数で行ったとされる。また、現代のように「河原」で行うとは限らなかった。なお、中秋の名月(芋名月)に団子ではなくサトイモなどを供えていたかつての風習[1]との関係も不明。

サトイモの種芋は穴を掘って地中での保存が可能だが、食用のものは7- 12℃に保たないと腐敗する(温度が低すぎても保存できない)ため、寒冷地の東北地方で越冬させるには囲炉裏や屋根裏などの温度が高いところでの保温が必要だった。その保存の難しさから、厳冬期前に消費する意味合いもあって「芋煮会」の原型が行われたと考えられる。また、青森県に「芋煮会」がないのは当時のサトイモの栽培限界より北にあったこと、東海地方以西で行われないのは、サトイモの保存が容易だったことなどが考えられる。

民俗学者の野本寛一は、「芋煮会」はこのようなサトイモの収穫祭が発展したものではないかと述べている[2]

多様化
1980
年代には、旅館やアウトドア施設が花見などと同様に「芋煮会プラン」を商品化し始め、シーズンに入るとタウン情報誌や新聞折込チラシなどで多数の広告を見るようになった。また、アウトドア施設(フィールドアスレチック)、遊園地、温泉旅館の他、紅葉スポット(紅葉狩り)、渓流(釣り、カヌー)、海岸の砂浜(釣り)など、何か別のアミューズメントとの組み合わせで芋煮会が行われるようになった。対して、以前の中心地である「河原」での芋煮会は、今も主流であるものの、往時と比べて少なくなってきた。 現在では、地域のイベントとして定着しているところもある。

近年は、ホテルのレストランを中心に芋煮を含め、様々な秋の味覚を取り揃えた季節限定コース料理も供されるようになり、収穫祭的な芋煮会の楽しみ方は多様化が進んでいる。

山形県村山地方の芋煮会の歴史
江戸時代の芋煮会
山形県の村山地方では、江戸時代の芋煮会の原型の様子をあらわす話がいくつか伝わっている[3]

中山町長崎では、里芋を鍋で煮て食べるときに鍋をかけたという言い伝えのある「鍋掛の松」が1917年(大正6年)まで残っていた。鍋は、近くの小塩地区の名産だった里芋「小塩芋」と、船に積んできた棒鱈と、最上川でとれたザッコ(雑魚)をいっしょに煮たものだったという。長崎は、1693年(元禄6年)の最上川五百川峡・黒滝の開鑿までは酒田港と結ぶ最上川舟運の終着港として賑わっていた。このことから、元禄時代以前の船頭たちが積荷を使って鍋をしたのが芋煮会のはじまりであると山形の郷土史家である烏兎沼宏之は述べている[4]。鍋掛の松は、芋煮のルーツをあらわす伝承遺跡として復元されている[5]

文化・文政時代(19世紀初頭)には、山形に移り住んだ近江商人たちが、京都の芋棒に思いを馳せながら、ニシンと里芋を煮て紅花取引の慰労会をしたという。

また、1845年(弘化2年)には、山形藩藩主の秋元志朝が、館林藩に転封されるときに芋煮の野宴を張ったとされる。

明治時代以降の芋煮会

明治時代(19世紀後半から20世紀初頭)になると、街の粋人たちが「野掛」といわれた山の芋煮を川原でもするようになり、1892年(明治25年)ころから川原での芋煮が定着した[3]。以降、芋煮会は、山形に置かれていた歩兵第32連隊の兵たちや山形高等学校(旧制) の学生が行ったり、見合いや商談、送別の場となったりした。

芋煮に牛肉が使われるようになったのは、昭和の初め(1920年代後半)頃からである[4]。養蚕農家の人たちが、秋蚕後に繭業者の経費負担で芋煮会を最上川の川原で行い、そのときに当時普及し始めていた牛肉をおごらせたのが最初とされている。なお山形市内には明治時代に創業した牛肉店が多く、牛肉はその頃から普及しはじめたと考えられる。山形高校に在籍した作家の戸川幸夫は、1932年(昭和7年)の芋煮会の様子をエッセイ「わが山高時代の芋煮会」で記述しており、その頃からすでに山形名物の芋煮は盛んで、大鍋に芋、ねぎ、牛肉およびその代替品としての馬肉、こんにゃくなどを入れ、酒を酌み交わしていた、としている[6]。また、中山町立長崎小学校から1941年に山形県中学校(のちの山形県立山形東高等学校)に進学した烏兎沼宏之は当時、長崎町内の学生団として自分たちで開催したほかには、最上川でも馬見ヶ崎川でも芋煮会の姿は見かけなかったとしている。芋煮の材料は1980年代と同じく、里芋、牛肉、こんにゃく、ねぎが主であった。太平洋戦争の激化により、烏兎沼らが芋煮会の開催したのは1942年までであった[7]

1945
年(昭和20年)の終戦後数年は、肉の代わりにイカを入れていた[3]。暮らしが豊かになると、会場が飲食店に移り、川原の人影は消えていった[3]

1974
年(昭和49年)、山形市と山形市観光協会が伝統的な芋煮の研修会を開いたところ、大きな反響があり、川原での芋煮会が促されるようになった。1977年(昭和52年)からは、前年の唐松観音堂復元を機会に「山形いも煮祭り」が開催された[8]。その後は、山形市内のスーパーマーケットが芋煮の材料や薪などのセット販売や鍋の貸出をしたり、飲食店のメニューに芋煮が加わったり、レトルトの芋煮が販売されたりするようになり、芋煮会はますます盛んになっていった。こうした動きの中、1989年(平成元年)に「日本一の芋煮会フェスティバル」が開催され、10万人の人出を集めた[9]

山形市で里芋を栽培・販売しているさとう農園株式会社は、明治時代に行われた馬見ヶ崎川改修工事がきっかけで河原での芋煮会が広まったとしている[10]1891年(明治24年)まで行われた馬見ヶ崎川改修工事において、河川改良工事に従事した人たちは河原で大鍋を用いたちゃんこ鍋のようなものを昼飯として食べていた。これらの人たちが、1945年の終戦後に当時を偲んで河原で秋に大鍋を囲むようになり、その具材として里芋も用いたのだという[10]
...』()Wikipedia)



芋煮会の俳句:



・一村をからつぽにして芋煮会  佐々木よし子



・芋煮会の大鍋五万食といふ  彦根伊波穂



・退官の署長の酔や芋煮会  白岩三郎





芋煮会と言えば、山形だ。
秋晴れの日には、河原に行って芋煮会をやってみんなで楽しむ。 これが山形の文化だ。
里芋他の素材は勿論、山形にはブランド牛も在り、出羽の銘酒も数多い。河原で宴を催す環境は揃っている。

以前、東北地方をドライブした時、丁度芋煮会のシーズンだった。
旅人だが、芋煮をご馳走になった。その芋煮の美味しかったこと。今でもはっきり思い出す。

山形は遠く、ホイホイとは行けない。
已む無く、一昨日芋煮を作ってみた。
里芋、牛肉、蒟蒻、牛蒡は欠かせないが、色々入れれば入れるほど美味しくなる。
牛肉・里芋を追加して作った2日目の方が味の厚みと牛肉の香りが汁に含まれて一層美味しくなった。

山形生まれでなくとも、仲間で芋煮会は楽しい。
集って芋煮と銘酒を合わせれは、幸せな時を過ごすことができる。





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2017/11/23  日記  勤労感謝の日

2017-11-23 18:17:59 | (2)日記

2017/11/23 (木) 旧暦:106日 祝日・節気: 勤労感謝の日 日出 :624分 日没:1630分 月出:1000分 月没:2020分 月齢:4.64 干支: 甲寅 六曜: 先負 九星: 一白水星

今日のあれこれ: 勤労感謝の日

「勤労感謝の日 両親に“ありがとう”」

https://youtu.be/Q-MHIORSYYU



『勤労感謝の日(きんろうかんしゃのひ)は、日本の国民の祝日の一つである。日付は1123日。

概要
勤労感謝の日は、国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23720日法律第178号)第2条によれば、「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」ことを趣旨としている。1948年(昭和23年)に公布・施行された同法により制定された。

農業国家である日本は、古くから神々に五穀の収穫を祝う風習があった。また、その年の収穫物は国家としてもそれからの一年を養う大切な蓄えとなることから、収穫物に感謝する大事な行事として飛鳥時代の皇極天皇の時代に始まった新嘗祭(にいなめさい、しんじょうさい)の日が第二次世界大戦後のGHQの占領政策によって天皇行事・国事行為から切り離される形で改められたものが「勤労感謝の日」である。

新嘗祭は1872年(明治4年)までは旧暦11月の2回目の卯の日に行われていた。1873年に太陽暦(グレゴリオ暦)が導入されたが、そのままでは新嘗祭が翌年1月になって都合が悪いということで、新暦11月の2回目の卯の日に行うこととした。それが1873年では1123日だった。しかし、翌1874年からは1123日に固定して行われるようになった。1123日という日付自体に深い意味はなく、たまたま日本が太陽暦を導入した年(1873年)の11月の2回目の卯の日が1123日だっただけのことである。

休日としての歴史は1873年公布の年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム(明治6年太政官布告第344号)から続いている。

一時は51日のいわゆるメーデーに勤労感謝の日を移動させる案が浮上したが、現在は頓挫している。
...』(Wikipedia



勤労感謝の日の俳句:



・ぺしやんこの靴に勤労感謝の日 杉浦一枝



・よく笑ふ妻ゐて勤労感謝の日 加古宗也



・勤労感謝の日とうちゃんと手をつなぐ 小嶋良之




今日は、勤労感謝の日。
歴史的には新嘗祭だが、復古趣味に囚われることはない。
働いて世の中を動かしているすべての人に感謝する日で良い。

働いている人にとっての勤労感謝の日は様々だが、保育園の参観日になったりする人もいて句を詠んだりすることになる。

父親にとっての勤労感謝の日。
感謝してくれて、良く笑ってくれる妻がいて、手を繋いでくれる子供が居れば、それでもう十分と思うことができれば幸せな日だ。




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2017/11/22  藤井四段が史上最年少で50勝達成

2017-11-22 22:07:26 | (16)時事・世相


29連勝当時の大騒ぎは収まり、藤井四段が追い回されることは、少し落ち着いた様子だ。

だが、当人は相変わらず将棋の道を躍進している。
高校進学も決めたようだし、狭く小さくではなく、広く大きく育っているのは素晴らしい。

次の課題は、初タイトルがいつかだが、この50勝達成の実績を見ると、時間の問題と思える。

ゆくゆくは、コンピューターも歯が立たない、新しい将棋を指せる境地を目指して欲しいものだ。


『<将棋>藤井四段が50勝 中学生棋士最速の10カ月29日
11/21(
) 22:36配信 毎日新聞

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50勝を達成し、笑顔を見せる藤井聡太四段=大阪市福島区の関西将棋会館で2017年11月21日午後11時1分、川平愛撮影

中学生棋士の藤井聡太四段(15)が21日、大阪市福島区の関西将棋会館であった王座戦1次予選で平藤真吾七段(54)を破り、昨年12月24日のデビュー戦以来、10カ月29日で通算50勝を達成した。現在は棋戦の数が増えているとはいえ、過去の中学生棋士4人と、現タイトルホルダー6人の双方で最速記録を持つ羽生善治棋聖(47)の1年2カ月10日より3カ月あまりも速い驚異的ペースだ。

藤井四段はデビュー戦で加藤一二三九段(77)に勝利すると、いきなり29連勝して連勝の新記録を作り(6月26日)、「藤井フィーバー」を巻き起こした。30連勝がかかった対局は佐々木勇気六段(23)=当時五段=に敗れたが、その後も順位戦C級2組で6連勝(無敗)とトップに並ぶなど、快進撃を続けている。

21日現在の藤井四段の通算成績(未放映のテレビ対局を除く)は50勝6敗。今年度に限っても40勝6敗(同)で、対局数、勝利数、勝率、連勝数(年度またぎで29連勝)の全4部門でトップに立っている。

藤井四段は対局後、「一局一局積み上げたものが節目(せつもく)の数字となったのは感慨深い」と話した。【新土居仁昌】
』(毎日新聞)




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2017/11/22  日記  達磨忌

2017-11-22 11:21:00 | (2)日記

2017/11/22 (水) 旧暦:105日 祝日・節気: 小雪 日出 :623分 日没:1630分 月出:913分 月没:1929分 月齢:3.64 干支: 癸丑 六曜: 友引 九星: 二黒土星

今日のあれこれ: 達磨忌

「平成26年度達磨忌法要(行道部分のみ)」

https://youtu.be/7ZxRTm7wN6U



『達磨忌(だるまき): 初祖忌、少林忌
初冬

陰暦十月五日、菩提達磨の忌日。達磨はインドの高僧で、中国に 初めて禅宗を伝えた人。少林寺で九年間、面壁静座をしたことは 有名である。大通二年入寂と伝えられる。

(季語と歳時記)



達磨忌の俳句:



・達磨忌や箒で書きし不二の山 小林一茶



・達磨忌や寒うなりたる膝がしら 加舎白雄



・達磨忌や宗旨代々不信心 炭太祇





今日は、陰暦10月5日、達磨大師の忌日である。
本来なら今日なのだが、禅宗系寺院では法要を新暦で行っているようだ。

『達磨忌(だるまき) 105

「七転び八起き」のことわざや「ダルマさん」の愛称で知られている達磨大師は、初めてインドから中国に禅の教えを伝えられた方で、禅宗の初祖と言われています。「震旦(中国のこと)初祖」または「円覚大師」ともお呼びし、宗門寺院では本堂の向かって左の段にまつられています。

赤い縁起達磨(ダルマさん)は、達磨大師が寒さよけに頭から「被」と呼ばれた掛け布団をかぶって坐禅している姿がもとになっているとされます。特に、群馬県の高崎市がその産地として有名ですが、寺院のみならずお宮でも、縁起物として売られます。これは、ダルマさんが何度転んでも起き上がるので、縁起が良いとされたのです。

また、選挙の時などもたまに見受けられますが、ダルマさんの「目」を墨で書き入れる風習があり、養蚕地帯に多く見られることだとされます。春蚕が当たるとダルマの片目を入れ、秋蚕も良いともう一方の目を入れるのです。

達磨大師は、中国北魏・梁代頃に、インドから来た渡来僧と伝えられ、お釈迦様から数えて28代目のお祖師さま、中国禅宗の初祖とされるお方で、円覚大師菩提達磨大和尚と称します。

「碧眼の胡僧(青い目の異国の僧)」とも表現されますが、伝記に関しては諸説ございます。禅宗の伝統的な見解では、梁の普通8年(527年)に南海より広州(広東省)に上陸し、梁の都、建康(南京)に来て、武帝(蕭衍)と問答を交わし、帝との機縁がかなわず北に渡り、嵩山少林寺に入って、面壁九年(九年間、壁に面して坐禅すること)されたことから、「壁観婆羅門」と称されました。

なお、梁の武帝と達磨大師との間で交わされたとされる問答は以下の様に伝えられています。

如何なるか是れ聖諦第一義。(仏法の根本義はと何でしょうか?)
磨云く、廓然無聖。(カラリとして、聖なるものなど何もない。)
帝云く、朕に対する者は誰そ。(一体、私の前にいるあなたは誰なのでしょうか?)
磨云く、不識。(そんな事は知らない。)

このほか、武帝が即位して以来、寺を造立したり写経したり、僧を得度させること、記録としてこれ以上の者がないほどであったが、一体どれほど多くのの功徳があるだろうか?とたずねた武帝に対し、「無功徳(功徳など無い)」と答えたともされます。

この問答は、「達磨廓然の話」として有名でありますが、経論の文字にとらわれず自己の本来の面目に徹することを目指す、達磨大師の禅思想をよく示しております。

そして、達磨大師は105日に、論敵の毒殺によって亡くなられたと言われています。達磨忌は、達磨大師の命日にあたり報恩の法要を営み、ご遺徳をしのぶ日です。つまり、達磨大師さまが、第27祖の般若多羅尊者より正法を受け継がれ、強い誓願をもって、中国に来られたことを讃歎しつつ、我々も達磨大師の示された正しい教えを益々広めることを誓う意味で、曹洞宗のお寺では、この達磨大師のご命日をお迎えして、報恩の法要を営むのです。』
(曹洞禅ネット
http://www.sotozen-net.or.jp/ceremony/annual/darumaki
より転載)


達磨さんは、親しまれている存在だ。
七転び八起きのダルマさんは、挫折から立ち直る方法を示してくれる。
少林寺拳法で身体を鍛えてくれる。
禅で心を練ってくれる。


季語達磨忌の俳句は見つからないと思ったが、見つかった。
俳人たちは、伸び伸び自由に句を詠んでいる。

炭太祇など言いたい放題だ。

些細なことには拘らない、心を囚われないのが禅の方法だから、リスペクトしすぎて萎縮することもない。

世間に暮らしている我々は心を狭く、囚われすぎている。




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2017/11/21  日記  波郷忌

2017-11-21 19:50:28 | (2)日記

2017/11/21 (火) 旧暦:104日 祝日・節気:  日出 :622分 日没:1631分 月出:824分 月没:1842分 月齢:2.64 干支: 壬子 六曜: 先勝 九星: 三碧木星

今日のあれこれ: 波郷忌

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(水仙のこぼれ話
http://blog.goo.ne.jp/kyonoyudetamago15/e/94bcb9f128d605eb0308439c9d07f907
より転載



『波郷忌: 忍冬忌、風鶴忌、借命忌
初冬
十一月二十一日。俳人石田波郷の忌日。大正二年松山市生まれ。
上京して「馬酔木」編集部に入って秋櫻子の知遇を得る。昭和十二年「鶴」創刊主宰。戦後は胸部疾患のため療養生活を送り、昭和四十四年没。五十六歳。墓は東京深大寺にある。』
(季語と歳時記)



波郷忌の俳句:



・芋の葉の波郷忌ちかく乾びけり 杉山岳陽



・海近く住み海を見ず風鶴忌  松本三千夫



・咳き込みて人を離るる忍冬忌  内藤静



・冠雪の石鎚山晴るる惜命忌  石本秋翠



・口つぐみをれば波郷忌暮れにけり 大井戸辿



・酔ひざめのただただ寒し波郷の忌 仲村青彦





今日は1121日、俳人石田波郷の命日である。
波郷は1969年(昭和44年)1121日、56歳で没している。

墓は、東京都調布市の古刹深大寺にあり、境内には句碑がある。

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(水仙のこぼれ話
http://blog.goo.ne.jp/kyonoyudetamago15/e/94bcb9f128d605eb0308439c9d07f907
より転載


石田波郷
・吹き起こる秋風鶴を歩ましむ

弟子の星野麥丘人の句碑も寄り添い建てられているそうだ。
・草や木や十一月の深大寺

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月に深大寺には見えない波郷の姿がある。


波郷忌は、別の命名が在り忍冬忌、風鶴忌、借命忌とも呼ばれる。
例句には、それぞれの句を掲載したが、波郷忌がわかりやすくて良いと思う。

病と戦う日々を過ごしたは今日の生活を思うと、明るい気分にはなれないのか、重めの句が気になる。

大井戸も仲村も重い気分だ。
波郷忌でなくとも、11月のこの時季は寒く冷え込む日ではあるのだが。


【データ】

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(東京都江東区
http://www.city.koto.lg.jp/011502/kuse/koho/houdou/h29/h2909/290907hakobera29.html
より転載


石田波郷 Wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E7%94%B0%E6%B3%A2%E9%83%B7




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