啄木は歌の人である。
人々が愛唱している和歌は数多くある。
東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる
たはむれに母を背負ひて
そのあまり軽きに泣きて
三歩あゆまず
こころよく
我にはたらく仕事あれ
それを仕遂げて死なむと思ふ
はたらけど
はたらけど猶わが生活楽にならざり
ぢっと手を見る
ふるさとの訛なつかし
停車場の人ごみの中に
そを聴きにゆく
かにかくに渋民村は恋しかり
おもひでの山
おもひでの川
ふるさとの山に向ひて
言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな
こころざし得ぬ人人の
あつまりて酒のむ場所が
我が家なりしかな
啄木の歌は心を打つ。
悲しく打つ。
啄木記念館 山本玲子学芸員によれば、啄木は生涯に九つの句をこの世に残しているそうである。
『
「林中に雪喰ふて居る小猿かな」
「思ふことなし山住みの炬燵かな」
「冬一日火に親しみて暮れにけり」
「小障子に鳥の影する冬日和」
「菜の花に淡き日ざしや今朝の冬」
「白梅にひと日南をあこがれぬ」
「梅一輪落つる炉辺や茶の匂ひ」
「梅も咲かずこの雪の里侘し」
どれも、冬の句になっていますけれども、こんなふうに啄木は渋民にいるときだけ俳句を作っていまして、東京や北海道で全く作ってないんです。
啄木にとりまして俳句を作るっていうのは、本当に穏やかな気持ちでいるときに作ったというふうに思いますし、そう思うと林中生活が啄木にとっていかに幸せだったか、静かで充実した日々であったのか、ということが想像できます。』
(「啄木の林中生活」啄木記念館 山本玲子 より転載)
啄木が何故句を九つした残さなかったのかと考えると、其処には句と歌の違いが横たわっているように思う。
俳句は幸せの詩といわれる。
句には季語がある。
自然の中に生きる自分を幸せに感じる時、句が生まれる。
一方、短歌には季語はあっても良いが無くても良い。
何を詠っても良く、悲しい感情のみ詠うことも出来る。
渋民村の啄木は、自然があった。希望があった。未来があった。
転々とした都会の啄木は、人の世に生き、悲しい感情を詠う表現方法として歌を選んだ。都会の啄木にとって自然は心の中にしかなかった。
歓びも悲しみも詠うことの出来る表現方法を伝えてきている日本の文学的伝統は豊かなものである。