なあんおばはんの日常

曲と街と光




https://youtube.com/watch?v=vjc2Dk092Bw




この曲を聴くと、
引越す前に住んでいた
都心のマンションから見えた
夜景を思い出します。

タワマンでは無いのですが、
丘の上に建っていたので
渋谷や六本木のビル群や
東京タワーが見えました。

あの街に住んでいた時は
なんだか
自分には合わない気がしていましたが
離れてみて
ああ、あんなところに
住んでいたんだな、と
妙に納得するというか。。

なんだか独特のキラキラした
眩しい虚栄と虚像に満ち溢れた
カオスな街でした。

あの街にいた頃のわたしは
道を行く人はみんな芸能人だと
思うことにしていました。
その話をすると
その街の住人達は笑いますが。

でも、そういう街でした。

その街には
違和感をずっと抱えながらも
5年以上住んでいました。

ダンナのお店をその街で
開いたからです。
なぜそんな街で開いたか、
というと
その街の隣町にあったバーで
若い頃ダンナがバイトしていたからです。

ある意味、
20代のダンナがその店でバイトしていたからこそ、今のダンナが在り。

その店で出会った繋がりから
彼は仕事を得て、
今が在ります。

大東京、
やはり凄いですね。
さすが首都。

私も東京に出てきたから、
彼と出会えたのかもと
思います。
ダンナは東京の人なので。

違う街には違う人達が暮らしていて
住んでみないと解らないこともあります。

ダンナが40年前にバイトしていた
そのお店は
数年前に閉店しました。

山田孝之の
東京ブラックホールというシリーズを
テレビで観た時に
ああ、東京の闇って
独特だな、と
しみじみ実感したことも
同時に思い出します。

まさに私の中でモヤモヤしていた
はっきりしない引っかかる何かを
あの番組は
ハッキリと明確に描き出していました。

観て良かったです。
なんだか非常にスッキリしました。
あの街に住んだから
感じた実感かもしれません。


今は普通の穏やかな町に住んでいます。

ドライブで首都高を通ると
あのマンションや
マンションから眺めていた
景色が見えるので
なんだか懐かしく眺めます。

あの日々は
振り返ると
わたしにとっては
静かな闘いの日々でした。

何と戦っていたのか?

もしかしたら東京ブラックホールに
吸い込まれないように
踏ん張っていたのかもしれません。


東京ブラックホールに吸い込まれて
知らず知らずのうちに
変わっていく人もいるのかもしれません。
変わったことの
良し悪しではなく、
それぞれが自ら
そういう未来を選んでいるのです。


東京でも
様々な街や場所があるので
その場所によって
住んでる人も街の色彩も
ガラリと変わります。

なぜあの街を選んだのか、

街に呼ばれたのかもしれません。

更に渋谷寄りの隣町には
以前仕事帰りに
所用で毎日通っていた場所がありました。

そういう意味では
なにか縁があったのかもしれません。

渋谷から歩いて帰った時に
たまたま近くを通ったら
巨大な光の基地のような
スタバができていて
すっかり様子は変わっていました。

あの街に通っていた、
あの日々は
何だったのだろうかと

ふと思います。
あの頃もいつも戦っていました。

いまは、
もう戦っていません。

いまの私は
長い時間がかかりましたが、
やっと自分自身を見つけたので
もう何かと戦う必要は無くなったのです。








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