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お城は大好物!

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川越本丸御殿に登城!

2011年07月26日 | 登城!!
4月の登城を今頃更新・・さぼりすぎだろ。

修築工事の終わった川越本丸御殿に登城しがてら小江戸川越を散策してきました。
灯台下暗し…たいして遠くもないのにじっくり見たことのない川越。
今回は『エコ登城』なので万歩計をつけて気合いを入れて歩きます。



まずは川越城大手門跡に建つ川越市役所へ。
本丸御殿に行くなら大手門跡からってのもいいかなと思ったし、
太田道灌の像もあるというので話のタネに見ておくことに。
交差点の角のとってつけたようなスペースに脈絡なくどーん!
どんな大手門だったのか全くわからないけど写真右手に進むと当時は
外曲輪、八幡曲輪、二の丸・三の丸そして本丸となっていました。

太田さん・・ちょっぴりちんちくりんな感じがするのはワタクシだけかしら?
写真でしか見たことないけど日暮里駅前の騎乗の像や東京フォーラム前の像、
岩槻市役所とかにある像は堂々とした佇まいで英雄らしさ満載なんだけどなw



近づいてみた。

やっぱり太田さん、ワタクシのイメージとは違うみたいΣ(゜Д゜)!
銅像って違和感を全然感じないのと「・・おや?」みたいな2種類があるね。

太田道灌は室町時代の武将で扇ガ谷上杉家の家宰として関東平野を駆け回り、
負けなしの戦歴を誇る文武両道の名将と言われ人望も厚かったそうだ。
道灌の活躍で扇ガ谷上杉家は関東管領山内上杉家を凌ぐ勢いになると、
恐れた山内上杉顕定は「道灌が謀反を企てている」と扇ガ谷上杉家正に讒言。
道灌はその言葉を信じた主君家正に糟谷の館(伊勢原市)に招かれ暗殺された。享年55歳。

道灌は死に際「当方滅亡!!」と叫んだという。(扇ガ谷上杉もこれまでという意味)
その後、両上杉家は何度も戦いを重ね、最後は北条氏の前に滅んでしまう。

アフォな主君に仕えると尽くしてやっても馬鹿を見ちゃうね・・
下剋上の世の中、太田さん謀反した方がむしろよかったのかも?

文武の他、築城の才もあり、江戸城・河越城・岩付城の縄張もした太田道灌。
川越市開府の始祖と仰がれて川越市役所前に今こうして銅像があるそうです。



本丸御殿方面に行く前にほど近い逆方向にある時の鐘を見ておきます。
室町時代の妄想からいっきに江戸時代に頭を切り替えますよw
大通りから小江戸を演出中の路地に入るとすぐ時の鐘が見えてきました。

岩槻城登城の時に見た時の鐘もそうだったけど、
川越の時の鐘も住宅街の中に突如、現れる感じでw
でも町全体で小江戸な城下町風情が演出されてるから素敵ね。
蔵造りの町並みとして有名な一番街や菓子屋横丁はこの先に続く。
小江戸川越観光の人気スポットだけど朝早いので観光さんの姿なしw



時の鐘から再び、太田道灌さんのいる川越市役所に戻り、
本丸御殿方面へ向かいつつ途中にある川越城中ノ門堀跡を来ました。
今日は万歩計つけてるから元気よくバリバリ歩くのだ。ワハハ。

通りに面した住宅街に挟まれた状態で突如出現する川越城中ノ門堀跡。
川越城の堀跡として唯一の遺構となるもので、2010年の春に復元された。
中ノ門堀はさっき見てきた市役所のところにあった西大手門から侵入した敵が
本丸方向へ向かうのを防ぐために造られたもの。当時、他に2つ堀があり、
合わせて3堀でがっちりガードしていたらしい。写真向かって左方向が本丸。



ちっさいわ~思ってたよりだいぶw

現在、残っている堀跡は18mなんだとか。それでも唯一の堀跡だからありがたや~
西大手門(写真右手)から攻めて来た敵は勾配60度の堀面(写真右側)が登れない。
もたもたしてるところを狭間から弓や鉄砲で嫌と言うほど狙い撃ちする作戦。

・・・見学、以上Σ(゜Д゜)!



中の門堀からまっすぐ行けば本丸御殿だというのに途中の小道をちょいと曲がり、
先に富士見櫓跡を見ることに。地図はなくても野生の勘で何となくたどり着く。

富士見櫓も住宅街の中に違和感ありありにどーんと現れる感じで。
櫓跡(写真奥の階段がある小山)の目の前に川越城田曲輪門跡の石碑。
なんだか超~適当な感じで、夏なんか草ボーボーなんじゃないかと思われる。
川越城の貴重な遺構だというのに放置プレイされている感じが満載ですw



櫓跡には登れるんだけど、登っていいことがありそうな気がしない。
しかしたいして高くないので登って降りて数分だと思い直しいざ参る。

川越城には城の中央に太鼓櫓、東北の隅に虎櫓、本城の北に菱櫓、
そして南西の富士見櫓と4つの櫓があり、一番高台にあったこの富士見櫓は
天守の代わりに使われていたと考えられているそうだ。
大して高くないけどこの上の櫓なら当時は富士山丸見えだったんだろうね。



やっぱりね・・登りきったら中途半端に工事してますよ的な。
富士見櫓はそれらしき図面なんかも見つかっていてずいぶん前から
復元予定が持ち上がっているというけど結局、進んでないようだ。
2階だか3層だかの櫓だったらしい。復元されたら見てみたい。



ようやく本日の大本命、川越本丸御殿にたどり着きましたw

日本100名城19番 川越城に登城! ・・てか御殿だけどΣ(゜Д゜)!
でもそんな小さいこと気にしちゃだめ。思えば武田神社だってそうだった。
同じ埼玉にありながら修復工事完了を待って満を持しての登城なんだから。



めっちゃドヤ顔な感じしますw

大唐破風と大ひさしのついた立派な玄関、渋さと品格があります。
川越17万石の威風漂う本丸御殿。川越城唯一の遺構で貴重な建物。




玄関で靴を脱いであがり受付で拝観料を払って100名城スタンプをもらいます。
掛川城の二の丸御殿と同じく、庭に面した廊下を歩いて部屋を見て廻ります。
掛川城の二の丸御殿は廊下に畳が敷かれ部屋も広かった。
欄間なんかも部屋によってはとっても凝った作りだったけど、
川越本丸御殿は余計な飾りがなさそげで質実剛健な超武家風。

何も足さない、何も引かない・・潔くって男らしいわ!
政務を行う場だし、お堅い印象の松平さんだから当然かw



庭も渋い。財政難でコストパフォーマンスを重視したってことは・・ないないw

川越本丸御殿は嘉永元年(1848)藩主松平斉典が造営したもので、
玄関と大広間、移築復元された家老詰所のみが現存している。
家老詰所は明治維新後、福岡市の福田屋の分家に移築され昭和62年まで
母屋として使用されていたものを川越市が貰い受け、当時に近い場所に
移築復元したそうだ。移築とかされてなければ重文だったかもしれない。

川越本丸御殿は嘉永元年(1848)藩主松平斉典が造営したもので、
玄関と大広間、移築復元された家老詰所のみが現存している。
家老詰所は明治維新後、福岡市の福田屋の分家に移築され昭和62年まで
母屋として使用されていたものを川越市が貰い受け、当時に近い場所に
移築復元したそうだ。移築とかされてなければ重文だったかもしれない。



家老詰所で政務に励む家老3人衆・・うつむきがちで何やら難しい顔。
あれ、やっぱ財政難だった? 家老たちが見どころにひとつなんですw



一見、この肌色にこのメイクって何だか悪役ちっくですが
真面目で頑固一徹、忠義な家老が真剣に思案中ってところでしょうか?



家老の間の廊下天井。きれいに修復されているのが分かります。
どこに行っても思うけど修復する大工さんは本当にすごい!!
現存として存在しているのはメンテナンス出来る人がいればこそ。


は~たくさん書いて頑張ったw
登城してすぐ書かないと感動が薄れちゃうね。

反省反省・・・もう間もなく8月になろうっつうのに
ワタクシ4月から5月にかけて登城した全7城もまだ溜め込んどります。。

ちなみにお盆にも11城回る無謀な計画立て中・・どうすんだ?


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