倭国、大和国とヘブライ王国

ヤマトとはヘブライ王国の神・ヤハウエの民を意味するヘブライ語‘ヤァ・ウマトゥ’が変化したものであろう

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古事記編集会議「イザナギの軍拡」

2007-05-20 01:02:23 | 歴史
 今回の編集会議はイザナミと別れ、単独政権を確立したイザナギが、出雲国の軍備増強に対抗するため更に軍拡をして行ったと伝えられる話をどう纏めるか。その後イザナギの政権が安定し、天照大神に政権を譲った話をどのように纏めるか議論する事になった。
出雲・イザナミ側の軍拡は既に次のように表わしている。「黄泉の国のイザナミの頭から、胸から、腹から、陰から、左右の手足から八柱の雷神が生まれた。この軍装備に恐れをなしてイザナギは逃げ帰った」。
またイザナギも既に「もしイザナミが千人生めば、吾千五百人を生む」と軍拡宣言している。
黄泉の国(死者の国)から高天原に帰った伊邪那岐命は、直ちに軍拡に取り組んだと伝えられている。その様子は今までの物語と同じように、新たな神生みで表わす事になった。そして「黄泉の国(死者の国)から帰った物語としたのだから、禊をし無ければならない。その禊した物から神が生まれる話はどうか」との案が出され異論なく決定した。
具体的には伊邪那岐命が黄泉の国に行った時身に着けていた品々(杖、帯、袋、着物、袴、冠、手巻きなど)を禊した時に神が生まれる事とした。それだけではその後に作られた閣僚の数に比して少なかったため、伊邪那岐命が体を禊した時にも神が生まれた事にして、合計26柱の神を作った。その中には安曇族の祖となった底津、中津、上津の各綿津身神や、住吉三神と成る底、中、上筒男神があった。安曇族も海に長けた一族、住吉三神も海の守り神とされている事から、主に水軍の増強を表わしていると判断できる。(既に山津神(陸軍)は沢山生んで有る)
次に今日一番重要な議題、伊邪那岐命内閣の後継者たちの誕生を、どう表わすかの討議に入った。纏まった案は伊邪那岐命が顔を洗うときに、目や鼻から生まれることに決まった。
伊邪那岐命は顔を洗う。左の目を洗ったときに天照大神、右の目を洗った時に月読尊、最後に鼻を洗った時、素戔鳴尊が生まれる話で纏まった。
こうして高天原で最も大事な神・天照大神が生まれるところまで物語が進んだ。この三柱の神を‘三貴子’と呼ぶ事になった。
この話から見えることは単なる軍拡ではなく、邪馬台国全体の組織固めが行われ、イザナギから見てもほぼ安心して引退できる体制が出来た事を表わしているのではないだろうか。
編集委員は次の伊邪那岐命の言葉で、邪馬台国・高天原の体制が整った事を上手く表わした。「この時伊邪那岐命、大(いた)く歓喜びて詔りたまひしく、『吾子を生み生みて、生みの終(はて)に三柱の貴き子を持つ』と詔りたまいき」。
古事記の編集者達はイザナギ、イザナミを夫婦神とし、国や神を生む話を進めてきたが、ここに来てついにこの物語を構成する基本事項を根底から崩してしまった。それは男の神である伊邪那岐命が、単独で沢山の神を生む話としてしまった事である。否、せざるを得なかったのであろう。
もし編集者達が最初から私の物語のように、「イザナギ、イザナミは共に勇猛な武将であった」と言う仮説で話を進めてくれば、ここに至り‘男の神が子を生む’と言うしまらない物語には成らなかったであろう。
古事記の編集者達はこの不都合には目を瞑り、次のテーマ、伊邪那岐命から天照大神への政権委譲の話へ議題を写した。
古事記の中でも次の話は、天孫降臨物語に並ぶ大事な一節である。それは最後に生まれた三貴子の内から、大和一族の祖と成る神を決める物語だからだ。
この一節は議論の余地はない。編集会議前の大和朝廷の指示通り、言い伝えに従い当時の女王(卑弥呼であったと思う)を、天照大神と言う名とし、大和一族の祖とした。古事記には次のように記す事とした。
「すなわち御首珠お玉の緒もゆらに取りゆらして、天照大神に賜ひて詔りたまひしく、『汝尊は高天原を知らせ』と事依りさして賜いき。」
ここに伊邪那岐命より高天原の統治権が天照大神に委譲された。
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