倭国、大和国とヘブライ王国

ヤマトとはヘブライ王国の神・ヤハウエの民を意味するヘブライ語‘ヤァ・ウマトゥ’が変化したものであろう

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第三の海の道・高句麗ルート

2007-06-05 00:30:06 | 歴史
 今日は古事記編集会議をお休みして、久しぶりに古事記から離れた話をしたい。
以前このブログで倭国への渡来ルートは幾つも有り、黒潮ルート、魏志倭人伝ルート、そして日本海の親潮を利用した第三のルートがあることを述べてきた。
第三のルートにも(その一)、(その二)があることも述べた。(その一)とは新羅国辺りから親潮に乗り出雲・山陰にたどり着くコース、(その二)が高句羅国(時代によっては渤海国)から親潮に乗り山陰を通り過ぎ北陸から越の国に辿り着くコースがあることを述べた。
黒潮ルートを利用した王族が大和朝廷であり、百済との関係が深い。魏志倭人伝ルートは当初は朝鮮の各国が利用していたと思われるが後に大和朝廷がそのルートを押さえたのではないか。そして親潮(その一)の新羅関係の渡来人が出雲王国を作り、親潮(その二)の高句羅が越の国を造ったと言う仮説を提示してきた。
歴史研究会が発行している月間の機関紙・「歴史研究」第552号を読んだ。その中に「信濃の夜明け 壮大なパノラマ」と題する随筆が載っていた。筆者はY氏。
この中に私の気持ちを高ぶらせる記述があった。それは「信濃川の上流の千曲川の支流に犀川があり、その川沿いに点々と築かれている積石塚遺跡は、高句羅の葬送儀礼様式である」と書かれている。そしてこの事実は善光寺平に住み着いた人々が、高句羅からの渡来人が多いことを示していると語っている。更にもう一つの資料が肉付けをしてくれる。それは「大室古墳群のある高井群高井造りの出目が、弘仁六年(815年)に完成した「新撰姓氏録」に高句羅国主雛牟王二十世の孫汝安祁王なり」と出ている事が高句羅系渡来説を補強してくれるとしている。
私が古事記の解釈で述べた、国生みで‘何の脈絡もなく突然佐渡島を生む話’と言う記述は、イスラエルのある支族が越の国を攻略するために、まず佐渡島を攻略した事を表わしているという説を展開した。その支族は親潮ルート(その二)に乗って高句羅辺りから渡来したのであろうとしたが、この仮説を裏付ける物は、日本海の海流を表わす地図くらいしか無いので、机上の空論的なものであった。
しかしこの「歴史研究」の随筆で、越の国と諏訪地方が深くつながることが証明された。また話が跳ぶが諏訪大社に祭られている御祭神・建御名方神が新潟から信濃川、千曲川を遡り、諏訪の地に入ったのではないかと言う話しの裏づけにもなる。
ここに漸く私の仮説が空論でない事が裏付けられたようで本当に嬉しい。
高句羅からの渡来は越の国が形づいたあとも長く続いたであろう。後に大和王朝の血が途絶えそうになったとき、応神天皇の五代孫として越の国から畿内に入り、大和朝廷を次いだ継体天皇も、このルートに乗った高句羅系の天皇であったと想像している。
古代の天皇の中に`神'の字が付く天皇が三人居る。神武天皇、崇神天皇、応神天皇。私はこれらの三人が百済、高句羅、新羅のそれぞれの出目の初代天皇ではないいかと言う大胆な仮説を考えているが如何であろう。


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2 コメント

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やっと卒業できました! (らき☆すたオタ)
2007-06-05 22:54:21
ほんと、ここを教えてくれた人アリガトー! ぼくだけのメイドさんをゲットできました! ttp://pet.pio2.net/
無題 (諸葛Akira)
2011-10-22 22:37:42
万世一系は、間違いないと思われます。



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