倭国、大和国とヘブライ王国

ヤマトとはヘブライ王国の神・ヤハウエの民を意味するヘブライ語‘ヤァ・ウマトゥ’が変化したものであろう

神社、神道に見るイスラエルの影

2005-12-30 23:30:50 | 歴史
 これまで伊勢神宮から始まり、各地の神社の御祭神や御神体から日本古代の歴史を見てきた。「神社から見えてくるもの(3)ユダヤ教の礼拝所」の項で、神社の形やその風習がユダヤの礼拝所に良く似ているという話をした。
日本には記紀より古い歴史書は無いため、中国の歴史書に記載された事以外は遺跡からしか知ることが出来ない。しかし私は神社の中に日本の古代史が歴然として残されていると考えている。各地に残る由緒ある神社を見ると日本の古代史は神社から見えてくるといっても過言ではないと思う。
古代、日本は自然界の山、木、岩、時に生き物(動物)などを神として祭ってきた。人間を神として祭るようになったのは大国主の尊が最初ではないかと言う説があり、同時に神社の建物や色々な形式がユダヤの礼拝所を基にして和風にアレンジされたと言う。
武光誠氏の著作「古代神話」、「神道」によると6~7世紀ころ大和朝廷により全国に伊勢神宮の支社として神明宮が設置されたが、その頃全国の神社の7~8割は大国主の命他の出雲系の神であったと言う。これらが先に記した出雲王国は大和朝廷以前の倭国の覇王であった証拠になるのではないか。
先の武光氏の書によると、現在の調査では全国の神社の総数は約12万社と言う。一番多いのが稲荷神社で約2万社、次が八幡神社の1,5万社、意外なのが第3位天神様の1万社、4位が諏訪神社の約8千社、そして5位神明宮5,4千社が上位を占めている。この上位5社のうち天皇系が八幡神社と神明宮でほぼ2万社になる。一方出雲系は諏訪神社のみとなり天照系の半分以下しかない。8位に位置する八坂神社も出雲系であるがこの3千社を足しても約半分である。古代とは位置が完全に逆転している。いずれにしても第1位が天照系でも出雲系でもない稲荷神社(先に秦氏が造った神社という説明をした)というところに日本民族の抜群のバランス感覚が現れていると見た。
大和朝廷は神明宮・全国組織を使い、古事記の中の神話、日本の祖は天照大神であることを庶民に教えたのではないか。天皇はその天照大神から連なる尊いお方であり、出雲系の神は天照大神の下に位置する神であることを伝えていったと想像している。その成果が現代の神社の数に出ているのかもしれない。
同時に天皇家の年間の諸行事も伝えていき、それらが各地の行事として全国に広がり、今の日本の伝統や風習の基になっていった。
それらの風習、習慣は天皇家がイスラエルから携えてきた物であったのだ。

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
迎春 (へぶらいびと)
2006-01-03 18:45:16
虚庵様

おめでとう御座います。今年も毎日、美しい詩で心を和ませてください。更なるご活躍を楽しみにしています。
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お年賀 (虚庵)
2006-01-03 16:06:55
新年のご挨拶を兼ねて、トラックバックしました。どうぞ今年もよろしく。
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感動! (へぶらいびと)
2006-01-02 16:13:16
 コメントありがとう御座います。新年第一号の励みになるコメントです。執筆意欲が湧いてきました。
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Unknown (Stich)
2005-12-31 22:09:37
ブログ読ませていただきました。ここまで調べるのは大変でしたでしょうね。とても興味深く読ませていただきました。紀元前から外国と繋がっていたなんて。。驚きです。これからも読ませていただくのが楽しみです。頑張ってくださいね。
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