倭国、大和国とヘブライ王国

ヤマトとはヘブライ王国の神・ヤハウエの民を意味するヘブライ語‘ヤァ・ウマトゥ’が変化したものであろう

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諏訪大社・御柱祭のイスラエル起源論

2006-11-11 10:29:33 | 歴史
 御頭祭が旧約聖書の「イサク奉献伝承」に由来すると考えた時、同じ諏訪大社で行われるいま一つの奇祭・御柱祭も同じような事に由来すると考えられないだろうか。
先に紹介した宮坂光昭氏の「諏訪大社の御柱と年中行事」の中で、その由来について`御柱起源論'と題する節で、以下のように述べている。
「御柱祭の起源について過去に30位の説が出ている。諸説が多いと言うことは、定説になるような有力な説がないということであって、色々な角度から更に検討する必要があろう。私は御柱祭が水平構造の祭りであると分析してきたが、支配者や神社が強制したり、統制のための祭りではなく、住民の自発的行為である。そのような観点から追求していく方法が、案外謎を解く鍵である。」
として沢山の説を紹介している。その内最も多い説が、「建御名方神を4本の御柱の中に閉じ込めるため」と言う説であると言う。氏は特にコメントしていないが、私は慕い・敬う神を閉じ込めるような祭りに、氏子が命を懸ける事など考えられない。
氏の言うように諸説があっても、この建御名方神の例の様に、別の見方をすると納得できない理由は、真の理由にはなりえないと言う事である。
御柱際については今更説明するまでも無いのだが、これからの話の展開上、今一度簡単に触れておきたい。
‘御柱祭’は直径1M位(3尺4寸)、長さが16M位(五丈五尺)のモミの木を神社(春宮、秋宮、前宮、本宮)ごとにそれぞれ4本、計16本切り出し、、夫々の拝殿の四方に立てるまでの祭りである。7年に一度行われ、遠いところでは神社から20Km離れた山奥から切り出される。その運搬の模様は、その都度TVで放映されているので、説明を省くが、誰もがその勇壮な、命懸けの祭りを驚きの目で見ている。前記の著書に依れば、「御柱は桓武天皇の時代に既に記録に現れているが、その遥か以前の縄文の時代の‘柱立て祭り’が源流かもしれない」と記している。
ここに‘御柱起源論'に是非とも加えたい説がある。それは久保有政氏の著書「日本の中のユダヤ文化」の中で述べられている。そのまま引用する。「この諏訪大社に伝わる`柱'信仰とは何なのか。古代イスラエルには`アシラ'信仰と言うのが有った。これはアッシリアから来た異教信仰で、女神アシラを崇拝するもので、そのシンボルは`柱'であった。」とし、`アシラ'の音が、`ハシラ'に変化したと述べている。「なるほど」と頷けるが、これだけでは説得力に欠けると思っていたが、いま一つ`御柱イスラエル起源説'を後押しする話が別の本に有った。それは小石豊氏の著書「古代出雲イスラエル王国の謎」である。同著・第2章の‘諏訪大社の御頭祭と御柱祭’に次のような記述があった。
「柱を山から滑り落とす儀式は、ユダヤ王国のソロモン王が神殿を立てるとき、(レバノンの)ツロのヒムラ王からレバノンの杉の木を買い取って、遠路エルサレムまで運んだ大事業の伝承に由来するのだろう。巨木を積んだ筏はツロの辺りから海路を下り、ヨッパから陸揚げされて、陸路を延々とエルサレムまで運ばれ、ソロモンの宮殿に建てられたのだ。「列王記I第5章2節、8~10節」に記述」としている。
レバノン杉について調べてみた。遥か古代、中近東に広く分布していたが、乱伐により紀元前にはレバノン山地のみに残ったとされている。この杉は標高1200M以上にしか育たないとされ、今でもレバノンに残り珍重されていると言う。エジプトの‘ツタンカーメンのお棺’や、‘クフ王の太陽の船'に使われたのがこのレバノン杉であったと書かれていた。地図でレバノンのツロと言う地名を探した。見つけた。レバノン山脈が最も海に近づいた、レバノンとイスラエルの国境付近にあった。地図にはTyreと記されている。(別の地図ではチルとも記されている)イスラエルのヨッパは中々見つからなかったが、「旧約聖書イスラエル地図」という地図に「ヤッファ」と記されているのがそうであろう。エルサレムに最も近い海岸にある。
距離を調べるとツロからヤッファまでは約150Km、ヤッファからエルサレムまでは約50Km位である。当時としては長旅であったと思う。
 今一度御柱際を振り返ってみよう。山奥から切り出されたモミの木は、多くの氏子により最大40度余の斜面を滑り降り、川を渡り、その後‘御舟’の先導で神社に引かれて行く。神社に着いたモミの木は拝殿の周囲に立てられる。
一方ソロモン王の時代は、レバノン山脈が海に迫った標高1200Mの山奥から切り出された杉が、山を滑り降りてツロの海岸まで運ばれる。そこから筏でイスラエルのヤッファまで海路を移動する。ヤッファからエルサレムまで厳しい陸路を経てソロモンの神殿に辿り着き、アシラの神として神殿の周りに立てられた。
如何であろうか。諏訪大社へ運ばれる時、御船が先導するのは地中海を航海してきた事を伝えているのかもしれない。正にレバノン杉の運搬作業の再現である。
 御頭祭の話、‘アシラ’と‘柱’の話、そしてソロモン王のレバノン杉の運搬作業から、御柱起源論として、次の解釈が加えられるのではないか。「諏訪の民にはイスラエル時代のアシラ神(柱)の運搬作業が伝承されていた。神(後に建御名方神に変わった)に対する強い信仰心から、2000年に亘り命懸けの作業を続けているが、その本来の由来は伝わっていない」と解釈すると、多くの謎が一気に氷解するのではないだろうか。
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4 コメント

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ヤッテクレマシタ!!  (虚庵)
2006-11-16 12:17:33
へぶらいびと様
長い長い旅の末に、諏訪大社の「御柱祭」をも解明され、
お見事、感服、敬服の極みであります!!

「諏訪大社の神官殿にご紹介を」と依然申し上げて、
そのまま打ち過ぎて来ましたが、実は正直な所「躊躇」して
おりました。

身命を賭して尽くしてきた神の出自が、へぶらいびと様により
解き明かされることが、彼らにとってどの様に受け入れられるか、
正直なところ一抹の不安が心をよぎったからであります。

何れ、「倭国、大和国とヘブライ王国」が出版され、
より広く、そしてセンセーショナルに取り上げられる日を思えば、
友人として早めに披瀝するのが友情と言うものかも知れないと、
考えております。





Unknown (へぶらいびと)
2006-11-16 12:44:39
久しぶりのコメントを戴き安心いたしました。虚庵様のご友人の件は、もっともだと思います。何かの折に「こんな事を書いている男がいる」程度で紹介していただければそれで十分です。
色々有難う御座いました。
話は変わりますがこの「起源論」のブログに広告が3件ついています。今までトラックバックに同じような広告が付いたことはあるのですが、どうやって付けたのでしょうか?
Unknown (建御名方神)
2008-08-06 20:34:26
 大国主のくに譲りのとき、建御雷神に負けた建御名方神が諏訪に逃げ込んだ。そしてこの地から出ないという約束をしたかわりに諏訪神社に祀られたと読んだ記憶があります。

 諏訪神社はその前からずっとイスラエルにゆかりの御社だったのでしょうか?もともと太陽神天照大神は男神だったと聞いていますが、国譲りを迫る天照大神は女神? 大国主の神は国つ神 それとも支族の違うイスラエルゆかりの神? そのあたりがよくわからないのです。

 原日本人はいたのか...蝦夷。熊襲、隼人は北方からあるいは南方からきたのか。イスラエルの10支族に追われ駆逐され果は混交したのか?

 彼の地に残った2氏族と失われた10支族の関係また力関係は....現在世界経済を握っているらしきユダヤ系のひとびとと日本に残った10氏族との関りは?

 元伊勢 籠神社に祀られているのはヤハウェの神と聞きますが、もともと日本にいた神々はどれだけ純粋に残っておられるのか?政権交代は神さまたちもなさったのか?伊勢神社が毎年大きな餅を熊野大社に奉納する理由は?

 もしおわかりのことがありましたらお教えください。

Unknown (luca)
2008-08-06 20:36:04
すみません。名前が落ちていました。

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