倭国、大和国とヘブライ王国

ヤマトとはヘブライ王国の神・ヤハウエの民を意味するヘブライ語‘ヤァ・ウマトゥ’が変化したものであろう

神社から見えてくるもの(2)神社の格

2005-07-30 13:13:38 | 歴史
 前回神社にも格の違いが有ることを述べた。平安の昔から「一ノ宮」、「「二ノ宮」、「三ノ宮」と格付けされ、明治になって政府により法律上でもはっきりと格付けされた。「官幣大社、中社、小社」である。これらの格付けは太平洋戦争に負け、アメリカ軍が進駐し、神道を国教から外した時点で廃止され、旧来の「一ノ宮」・・・の呼び名が復活した。これら神社の明確な格付け以外にも神社にはさまざまな顔がある。神宮、大社、神社に~~宮などの呼び名の違いに、どのような格付けの基準があるのだろうか?それぞれに祭られている御祭神から何かが見えてくるのではないかと、ネットサーフィンで調べてみた。
*先ずは最高位の神宮から祭られている御祭神を調べてみよう。
 伊勢神宮・・・天照大神、「八咫の鏡」
 熱田神宮・・・天照大神、「草薙の剣」
 霧島神宮・・・天孫降臨のニニギの尊
 宮崎神宮・・・神武天皇
 橿原神宮・・・神武天皇
 宇佐神宮・・・応神天皇
 明治神宮・・・明治天皇
 ヤマト一族の中でも功績の大きな神が祭られている
*大社はどうだろう
 出雲大社・・・大国主命
 諏訪大社・・・大国主命の子・建御名方神(国譲りで負けた神)
 住吉大社・・・イザナギの命の禊から生まれた三神(底筒男神他)、物部氏系
 春日大社・・・藤原氏の氏神であるが御祭神は建御雷神、建経津主神(どちらも 国譲りの時の天孫族側のヒーロー)
 伏見稲荷大社・・・秦氏の氏神
 天孫系の亜流の神々と外戚など深い関わりの大物が祭られている
*八幡宮
 本社は九州の宇佐神宮で御祭神は武勇に優れていた応神天皇であったことから源氏・ 鎌倉幕府の氏神とされ、以後全国各地の武将が支社を建立した。現在分社の数は4万社と言われ、全神社の1/4が八幡宮となり最大勢力でる。
*神明宮
 伊勢神宮の支社(分社)として全国に建立。官幣神社のはしりと言える
*天満宮
 菅原道真を御祭神としている。九州に流罪となり無念のうちになくなった道真の鎮魂のための神社。天神様として親しまれ学問の神様。各地に分社あり。
*水天宮
 天の御中主神、安徳天皇(不幸にして壇ノ浦で散った悲劇の天皇)の鎮魂のための神社。
*東照宮
 徳川家康を祭る。明治政府は朝敵の徳川の墓を上野から排除しなかった。古くは大国主命の出雲大社から連なる日本の美しい風習。
*神社
 神社の位置づけとして神宮、大社、~~宮の次に位置しているような気がする。神宮、大社の分社も多い。分社も含め全国区な神社を見てみると
 稲荷神社・・・伏見稲荷が本社で秦氏の氏神、全国に分社多数
 日吉神社・・・比叡山の地主神
 諏訪神社・・・諏訪大社の分社
 八坂神社・・・京都の八坂神社が本社、素戔鳴尊が御祭神。祇園祭で有名
 八幡神社・・・宇佐神宮、岩清水八幡宮の分社
がある。これらで日本の神社の殆どがカバーされるだろう。
*やしろ(社)
 村の鎮守様、神道が広がる以前の原始アメニズム的宗教。御祭神は動、植物、鉱物。これら‘やしろ’が神道の普及によって神社になっていったと考えている。
一説によるとこれら神社の総数は全国で15万社を数えると言われている。その中で分社の数が多いのは官製の神明宮は勿論だが、稲荷神社、諏訪神社、八坂神社など天孫族系ではない神社が圧倒的に多い。原田常次氏著の「古事記以前の神社」によると「西暦700年以前の神社の数は3000から5000くらいだったと思われる。著者が確認できたのは1600社であった。その内八坂神社他、素戔鳴尊を祭る神社が8割に達していた。残りが天照大神系であった」と記している。
先に祇園祭が全国の八坂神社を中心に行われている話をした。何故敗者の素戔鳴尊系の神社の祭りが栄えているのかは大いに不思議な点であったが、この古事記編纂期の8割に及ぶ八坂神社の数を見ると疑問が解けた気がする。
太平洋戦争で勝ったアメリカ軍が天皇をどう扱うか悩んだ末、国民の心情を考え、天皇を戦犯とせず「人間天皇・国民の象徴」とした事と、出雲王国に勝った天孫族が出雲王国の神々の処遇について検討した結果、出雲王国の指導者たちがあまりにも倭国の人々に人気が有ったので、素戔鳴尊や大国主命らを厚く処し、全国の素戔鳴尊系の八坂神社、諏訪神社などをそのまま残したことが、同じ政策であったのではないかと考えている。歴史は繰り返すのか・・・。