倭国、大和国とヘブライ王国

ヤマトとはヘブライ王国の神・ヤハウエの民を意味するヘブライ語‘ヤァ・ウマトゥ’が変化したものであろう

大和言葉とヘブライ語

2005-07-04 17:36:45 | 歴史
 日本語の構成は縄文の世のネイティブから伝わった倭語に、仏教の伝来と共に入ってきた漢語を取り入れ基本が出来上がった。漢語も外来語であり、その後西欧各国の言葉を外来語として消化してきた。大和言葉は濁音が少なく、フランス語を聞くような、優しさ、柔らかさを感じる。
何十年も日本語を聴き、話してくるとその言葉が大和言葉か否かが、直感でわかる様な気がするがどうだろうか。
何かを修行する者や受験生などの馴染みの言葉に「虎の巻」(とらのまき)と言う言葉がある。「虎の巻」の出典は「六韜」(りくとう)と言う中国の兵法書の中の「文、武、龍、虎、豹、犬」の六巻の「虎巻」(こかん)から来ているとしている。これは漢語を大和読みして和語としている例。
いま一つの由来がある。日本の修験者(山伏)が持つ修行のための書を「トラの巻」と呼ぶことから、武術、学術などの修行者が使う指導書を「トラの巻き」と呼ぶようになった。現在の「虎の巻」と言う言葉の使われ方から考えると修験者と修行者、受験者の類似性から、後者の由来の方が正しいような気がする。
それでは何故修験者の持つ修行用の教えの書を「トラの巻」と呼ぶようになったのだろうか?
虎という動物はその昔日本には居なかった。冒頭に述べたように大和言葉でなければ外来語である。漢語からだとすれば「虎巻」(こかん)となろう。中国以外から来た外来語と考えられる。ここで又斜めから見てみよう。

現代の世ではあまり馴染みがないが日本には古くから山岳信仰があり、それらを司る行者を山伏と呼んでいる。現在は何派かは知らないが仏教に属しているのだろうか?中国やインドなどに似た様な物が無い事からすると、日本の古代神教と思われる。我々の知っている山伏の姿は額の上部に黒い小さな箱をつけ、ほら貝を吹く。または鞍馬山の天狗を想像する。天狗の顔は赤く、鼻が高く、髪は白や黄金色が多い。私は直ぐに「あっ!イスラエル人だ!」と直感した。私と同じ感想を持ったのがM・トケイヤー氏である。氏が始めて京都で山伏を見た時、「その井出達があまりにユダヤ的であった」と言うのだ。私は顔からだが、氏は服装から直感したのだ。氏は言う。「頭に付けている物はユダヤの人が付ける‘フィラクテリー’にそっくりだ」。日本ではこの物を「兜巾(ときん)」と呼んでいる。更に「法螺貝はユダヤ人が祭りのときに吹くショーファールと言う笛に似ている。この笛は羊の角から作られている。日本には羊が居なかったのでねじれた角に似ている法螺貝を使ったのだろう」と言い「山伏の衣装の袖にある房と、胸当てもイスラエルの祭司の衣装に良く似ている」と言っている。そしてもう一つ、山伏の井出達に無くてはならないものが有る。天狗が手に持っている巻物、「トラの巻」である。
かって古代のイスラエル人は、シナイ山で神から「トーラの巻物」を授かった。山伏は山で天狗から巻物を授かった。天狗をイスラエル人と仮定すればその巻物は「トーラの巻物」と呼んでも可笑しくは無い。当時トーラを和語では表わすことが出来ず、外来語としてそのまま取り入れて使った。そして時代は流れ、虎と言う動物が居ると言う事が中国から伝わり‘トーラ’が‘虎'に変化して行ったと考えられないだろうか。
先「に中国の兵法書の話をしたが、私はこのトーラの話の由来の方に軍配を揚げたい。

 日本人の直感で判断しても大和言葉とは思えないが、古くから使われていて外来語とは思えない言葉。これらの中にトーラと同じ歴史を持つ言葉が沢山有るような気がする。久保有政氏の著「日本の中のユダヤ文化」とヨセフ・アイデルバーグ著「大和民族はユダヤ人だった」から紹介したい。
イスラエルが語源でそのまま残った言葉と、大和風に優しく訛った言葉があると言う。エッサ、エッサ、エンヤラヤーなどの日本人もその意味や語源が理解出来ない掛け声などは前者に当たる。青森のねぶた祭りの掛け声「ラッセラー、ラッセラー」、弘前のねぷた祭りの「ヤーヤードゥ」等も同じだ。故川守田英二博士は東北地方に広く伝わる夏祭りの踊りの歌「ナニャドラド」の歌詞は全てイスラエル語だと断じている。これら日本人が理解出来ない言葉が、イスラエルの人々には理解できるのだ。
それでは完全に大和言葉に成ってしまっているイスラエル語を紹介しよう。
ヨセフ氏はイスラエルが語源と思われる大和言葉が3000語もあるという。
 先ず音も意味も同じものを紹介する。ばれる、だべる、映える、凍る、枯れる、曲がる、傘、物、蜜、辺り、壁、火傷(やけど)、匂い、許す、憎む、商う、書く、被る、住む、訛る、困る、何時(いつ)、ありがとう、など。
 次に少し変化、或いは大和風に訛ったと思われる言葉を紹介する。先にイスラエル語、後に和語を示す。マツァ:餅、ミガド:帝、ナギ:禰宜、ハデクハシェム:辱め、ハルク:歩く、カム:神、エフォダ:お札、ハカシャ:拍手、ハヤ:早い、ホレル:掘る、コメツ:供物、ナハク:泣く、ナケル:除ける、ナシ:主、ユルシュ:許す。

以上で40位有る。英語と日本語を比べて音と意味が同じものが幾つ有るだろう。SOと「そう」位ではないだろうか。Rordと道路が似ているが逆様である。他には思い出せない。イスラエル語と和語にこれだけの類似性が有れば偶然とはいえない。他にも似ている言葉を探せば3000語も有ると言うのだ。間違いなく弥生の早い時代にイスラエルの失われた支族が日本に辿り着き、倭人と同化して行き、日本の文化の基本に大きな影響を与えたことが、この言葉の類似から伺われるのではないだろうか。
我々の身近な風習の中にどれくらいイスラエルの風習が、それとは解らず浸み込んでいるかを次回に紹介したい。