ちょこっとGUM

今、自分が出来ること。やれること。それを精一杯やっていかなくちゃ!!

コラム備忘録【3/12~3/14】

2021年03月14日 08時23分21秒 | マリーンズ2021
≪2021/3/12≫

佐々木朗希553日ぶり実戦へU18W杯韓国戦復刻

ロッテ佐々木朗希投手(19)が実戦デビューする。2番手として1イニングを投げる予定。

553日ぶりの実戦登板になる。19年9月6日、高校日本代表の一員として参加したU18ワールドカップで、スーパーラウンドの韓国戦に先発した。当時を振り返る。

最速163キロ右腕として、ライバル国からも注目された。宿泊先は他国代表チームと同じ。エレベーター内で「ササキ!」と声を掛けられることもあったという。試合の舞台は、韓国・釜山から車で小1時間ほどの現代車ドリームボールパーク。韓国戦はナイターで行われた。先発するも1回無失点で降板した。投球数は19。ユニホームに赤い斑点がついていた。

同年8月26日の大学日本代表との壮行試合(神宮)に先発した。初回に右手中指の血マメがつぶれて降板した。その後はノースロー期間も含め調整したが、復活登板で再発してしまった。リリーフ待機した5日カナダ戦途中のブルペンでは、直球が160キロに迫るような白熱の投球を見せた。結局登板機会はなく、翌6日に先発へ。しかし試合前のブルペンからやや制球が乱れていた。

試合では、NPBスカウト所持のスピードガンでの計測で、直球は最速153キロをマーク。3番の強打者への5球連続直球は全て148キロ。7球連続ボールもあった。2死後に永田裕治監督がマウンドへ向かい、マメがつぶれていることを確認。佐々木は続投を志願するも「あと1人、この回だけ」ということに。4番打者から空振り三振を奪い、降板した。

中指の血マメは初めてのことだった。7月末の岩手大会敗退後に、早々に練習を再開。関係者によると、夏の疲労を抜きつつフォーム固めをする中で、マメの兆候が表れたという。W杯使用球も試投していたが、そのメーカーの球は夏の岩手大会では使われていなかった。いくつかの要素が重なっての不運だった。

強豪私立校に比べれば、大船渡高は練習の絶対量は少なかった。選手たちの自主性が尊重される環境でもあった。プロ入り後、首脳陣やトレーナー陣が細心の注意を払いながら肉体強化に励み、いよいよゴーサインとなった。長いイニングを投げるのはもう少し先の話。着実に段階を踏みながら、先発デビューを目指す。【金子真仁】

(日刊)

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≪2021/3/13≫

佐々木朗希、不安募る3・12の10年後に見えた道

ロッテ佐々木朗希投手(19)は「3・12」に実戦初登板した。偶然だったが、忘れられない日になるだろう。10年前の「3・12」と同じくらいに-。

小学3年生だった。3月12日の朝を、兄と弟と3人で身を寄せ合って迎えた。11日午後の大地震。岩手・陸前高田が大津波にのまれた。家も、いつも遊んだ公園も。小雪も散るような寒さの中を、必死に坂を駆け上がり高台へ逃げた。駆け込んだ老人ホームには大勢の人がいた。両親や祖父母の姿はない。町を覆う水はまだ引いていない。

食べるものもほとんどない。12日朝9時近く、母陽子さんと再会できた。陽子さんは11日は仕事で大船渡にいた。浸水で移動できなかった。不安が募る。朝5時に車で出発。主要道は通行できず、普段は30分弱の陸前高田に3時間半かけて戻った。しかし4人で他の避難所を探しても父と祖父母がいない。疲れ果て、大船渡の親戚宅に車で避難。しばらくして父、祖母と悲しみの対面をした。祖父はまだ見つかっていない。

4月に大船渡へ移り住んだ。「学校に行ってからは、4月くらいから…切り替えたというか、いつも通りになれたのかなと思います」。仮設住宅は小学校の校庭にあった。悲しみの中でも、新たな仲間たちと野球に夢中になって、すくすく育った。「野球があって、野球をしていて良かったなと思います」とこれまでの歩みを振り返る。

10年先なんてまるで見えなかったあの時から、10年が過ぎた。次の10年の道筋はハッキリ見える。美しい海の石垣島で語った。「何より、人としてももっと成長したい。もっと野球がうまくなった時に、人としても成長したなって思えるような10年後でいたいなと思いますね」。3・12が大いなる未来へのスタートだ。【金子真仁】

(日刊)

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≪2021/3/13≫

佐々木朗希の実戦初登板で元チームメイトが感じた伸びしろ「余力がある」

 2021年3月12日に行なわれた中日とのオープン戦で、2019年ドラフト1位でロッテに入団した佐々木朗希(ロッテ)がプロ入り初の実戦登板を果たした。1イニングを投げ、最速153キロの速球を中心に京田陽太、阿部寿樹、ビシエドを三者凡退。その投球内容は、昨季限りで現役引退した元投手の目にはどう映ったのか。2003年ドラフト1巡目でロッテに入団して通算308試合に登板、昨季は佐々木と"チームメイト"だった内竜也氏に聞いた。

── 佐々木投手の中日戦の投球を見て、率直にどう感じましたか。

「まずはケガなく投げ切れたのがよかったと思います。しっかりストライクも入っていましたし、抜ける球もほとんどなく、コースにも投げ切れていました。変化球を1球しか投げなかったのは、キャッチャーの田村(龍弘)が真っすぐ主体で投げさせたからだと思います」

── 全12球のうち11球が速球で、やや高めが多かった印象です。

「しっかりスピンが効いた球でした。2番の阿部選手には3ボール1ストライクから『絶対真っすぐが来るだろう』という場面で差し込んでショートゴロ。続くビシエドもバッティングカウントのストレートがファウルになっていました。真っすぐに関しては、力強い球を投げられていると感じましたね」

── わずか3人との対戦でしたが、才能の片鱗を感じられる部分はありましたか。あるいはまだ途上で、これから見えてくるのか。

「見る人がどれだけの基準で求めるかで変わりますよね。僕は去年の2月、石垣島のキャンプで初めて佐々木くんのキャッチボールを見て衝撃を受けました。真後ろから見たのですが、浮き上がるような球筋で、そんなボールを投げる投手はロッテにはいませんでしたから。『これはすごい選手が入ってきた』と衝撃を受けました。

 だから今回の中日戦は『佐々木朗希はすごいな』という投球を期待していたので、あの時の衝撃に比べれば『こんな感じか......』という内容でした。でも、そういうイメージを持たずに見れば、高卒2年目の19歳であれだけの球を投げるのは本当にすごいと思います。ほぼ真っすぐだけで、一軍の主力を抑えましたからね」

── 初めてキャッチボールを見た時の衝撃と、中日戦で受けた印象とのギャップはどのあたりにありましたか。

「投げ方が変わっていましたね。去年1年間、佐々木くんは一軍に帯同していて、そこでケガをしない投げ方、体に負担のかからない投げ方を教わって、今のフォームになったのではないかなと思います」

── 投球フォームは、高校時代のような荒々しさがなくなったように見えました。高卒でプロ入りして、フォームが"まとまる"投手は少なくないと思いますが、どんな理由が考えられますか。

「高校とプロではバッターのレベルが大きく違います。高校ではガムシャラに投げれば抑えられるという部分があったので、1年間一軍に帯同し、無駄なランナーを出したらいけないとか、力感なく投げることを勉強したのでしょう。それに一軍で投げる投手から『先発で長いイニングを投げるには、力を分散したほうがいい』というアドバイスをもらったんじゃないでしょうか。そういうことを考えたフォームづくりをしているのかなと感じました」

── 一軍に帯同させるメリットはそうした点にもあるのですね。

「はい。ただ、今年も一軍に帯同させるのかは気になるところです。一軍に帯同すると、とくにビジターの場合、どうしても練習時間が限られるので、そこで体づくりが十分にできるのか......。二軍にいればしっかりと練習できますし、体もつくれます。

 ただし一軍に帯同していれば、今後は遠征先のブルペンで投げる機会が増えていくと思います。一軍と二軍の球場では土質が違うので、一軍のマウンドを早い段階で経験できているのはいいこと。一軍で投げる際、すぐに対応できると思いますし。そういうところも含め、首脳陣は総合的に判断していくはずです」

── 入団から1年が経ち、体に変化は見えましたか。

「そんなに変化はないと思います。ただ、投げ終わった時の力感がなかったので、まだ余力を残しているのかなと。中日戦は全力のピッチングではなかったと思うのですが、それでもあれだけのピッチングをするんですからね。これから体もできて、状態も上がってくると思うので、そうなった時にどれだけのボールを投げるのか楽しみです」

── 鳴り物入りで入団し、特別な環境に置かれていることを佐々木投手がどう受け止めて、結果につなげていくのか。特別待遇というのは、プレッシャーがかかりますよね。

「そうだと思います。個人的には、ずっと一軍にいるより、ファームでやったほうがいいのではと思う部分はあります。とくにロッテは、環境面で一軍と二軍の差があるので、ファームを経験することで『ずっとここにはいたくない』という気持ちが芽生えてくるはずです。それに、普通の選手なら教育リーグから始まりますので、プロ初登板をZOZOマリンで投げることは異例中の異例です。あの場で投げたいと思っている二軍の投手はたくさんいるはずで、佐々木くんにはいい意味でそれをプレッシャーとして受け止めてほしいですね。

 今は体づくりとしてステップアップの段階だと思いますが、2、3年先を見据え、しっかりアピールする気持ちを持ってやってほしいですね。今回の中日戦を見て、あらためて佐々木くんのポテンシャルの高さは再認識しました。だからこそ、もっともっとすごい佐々木朗希を見せてほしいと思います」

中島大輔●文

(Sportiva)

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≪2021/3/13≫

藤原、安田に続く新たなブレーク候補…ロッテ・山口航輝が期待されるチーム事情

昨季は2軍で全試合に出場し、4番打者として奮闘

 安田尚憲内野手、藤原恭大外野手に次ぐ、ロッテの新たなブレーク候補の台頭だ。オープン戦で4番打者として奮闘を続ける山口航輝外野手が、3月11日の楽天戦で待望の1号を放った。昨季は安田が若き4番として出場を重ねたが、今季は安田よりひとつ年下の山口が、同様の抜擢を受ける可能性がありそうだ。

 山口は、藤原と同期の高卒3年目の野手。昨季まで1軍出場は1試合もなかったが、プロ1年目の2019年から2軍で積極的に起用されており、2020年にはファームの4番打者を任された。こういった起用法からも、球団からの大きな期待がうかがえる。

 そんな山口が過去2年間で記録した2軍での年度別成績は下記の通り。

2軍での年度別成績【表:PLM】

 2020年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で2軍の試合数が大きく減少したこともあり、試合数自体は前年に比べて減少している。しかし、昨季のロッテが戦った2軍戦は全部で70試合であり、山口は全試合出場を達成している。安打、本塁打、打点、四球といった各種の数字は試合数の減少にもかかわらず向上し、進歩の跡も感じられる。

 前年との比較をすべく、2020年の2軍成績を前年と同じ114試合に換算した表を紹介していきたい。

2020年の2軍成績を前年と同じ114試合に換算【表:PLM】

 各種の成績は約1.6倍に上昇。数字の面でも成長がうかがえる。出塁率や四球の向上は、プロ初年度は課題のひとつだった選球眼も改善を見せつつあることがわかる。

 しかし、昨季途中に1軍選手の中で新型コロナの集団感染が発生したことにより、2軍選手の大半が1軍に昇格する一幕があった。その中で、山口は2軍で4番として一定の活躍を見せながら昇格の声はかからず。今季は満を持して1軍定着に挑むシーズンでもある。


藤原とは奇しくもOPSがまったく同じ数値

 オープン戦の初戦となった3月2日のオリックス戦では適時打を含む2本の二塁打を放ち、続く3日の同カードでも二塁打を記録。開幕ローテーション候補の1投手を相手にしても物怖じすることはない。オープン戦序盤では、4番という看板に負けない奮闘を見せている。

 山口は登録上では外野手だが、今季の練習試合やオープン戦では一塁手として起用されている。昨季は菅野剛士外野手と岡大海外野手が外野と一塁を兼任しながら出場機会を確保したが、山口も同様に、プレーの幅を広げていけるかにも注目だ。

 2019年に2軍で4番を務め、2020年は1軍でも4番として出場を続けた安田に続く存在として期待されている山口。とはいえ、2019年に2軍で本塁打王と打点王の2冠に輝いた安田に比べれば、2020年の山口の2軍成績は、やや不足している部分があったのも事実だ。

 ただ、終盤に昇格して1軍の舞台でもインパクトを残した藤原が、昨季の2軍で残した成績と比較すると、また違った見方ができる。山口と藤原の2020年の2軍成績は、それぞれ下記の通りだ。

山口と藤原の2020年の2軍成績【表:PLM】

 出塁率や本塁打のペースは藤原の方が上だったものの、打率や打点は山口が上回っている。また、OPSは奇しくも全く同じ水準だ。昨季の藤原は1軍での26試合で3本塁打を放ち、打率.260、OPS.707と、打撃面で一定以上の存在感を放った。2軍での成績を鑑みるに、山口にも同様に、一軍で活躍ができるだけのポテンシャルはありそうだ。


首脳陣の期待に応え、一気に一軍定着とブレイクを果たせるか

 また、藤原は身体能力を生かした守備や積極的な走塁も持ち味としているが、山口の場合は打撃面が最大のセールスポイントになる。出塁率や盗塁といった数字が高かった藤原と、打率や打点といったポイントゲッターに必要な成績で上回った山口。それぞれ、選手としてのタイプに沿った成績を残している点も興味深いところだ。

 さらに、中長期的なチーム編成という面でも、山口がブレークを果たせるか否かは重要な意味を持ってくる。藤原に加え、代走や守備固めとして1軍で活躍した和田康士朗外野手(22歳)、2軍で最終戦まで首位打者を争った高部瑛斗外野手(23歳)という2人の若手がいるとはいえ、荻野貴司(35歳)、清田育宏(35歳)、角中勝也(33歳)、福田秀平(32歳)と、現在の外野手の主力の多くは30代となっている。

 加えて、それに続く年齢層の外野手に目を向けると、加藤翔平(29歳)、岡(29歳)、菅野(27歳)と、20代後半の選手が顔を揃える。さらに、外野手最年長である荻野と清田選手を除くと、20歳以上の支配下登録の右打ちの外野手は、岡と山口の2人のみ(加藤選手は両打ち)。すなわち、外野の若返りを図る上でも、山口が一本立ちするか否かは、大きなウエートを占めてくることが考えられる。

 一塁手は打力が重視されるポジションなだけに、求められる打撃成績のハードルも、ほかのポジションに比べて高くなる。加えて定位置争いのライバルには、過去3年間にわたってチームの主軸を務めた長距離砲の井上晴哉内野手が存在。さらに、昨季はケガで39試合の出場にとどまった、NPB通算169本塁打のブランドン・レアード内野手も復活を期している。山口が開幕1軍に残るための競争は、これからより熾烈さを増してくることだろう。

 これまで1軍出場がなかった立場から大きくステップアップする可能性を秘めているだけに、あとはこのままアピールを続け、そのチャンスを掴み取れるかどうか。若手の台頭が目立つマリーンズから、また新たな新星が生まれるか。若き4番が見せる思い切ったスイングに、今後も要注目だ。

(フルカウント)

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≪2021/3/14≫

佐々木朗希×槙原寛己氏 新旧剛速球対談

 160キロをコントロールし、日本最速投手へ――。スポニチ本紙評論家の槙原寛己氏(57)が13日、ZOZOマリンで衝撃の実戦デビューから一夜明けたロッテ・佐々木朗希投手(19)を直撃インタビューした。前日の中日とのオープン戦(同)で1回を完全に抑えた投球を振り返りながら、最速で163キロを誇る球速への考え方にも鋭く切れ込んだ。この模様は同日深夜のTBS系列「S☆1」でも放送された。
 ◆初登板の点数は「90点以上」

 槙原氏 「ナイスピッチングでした。一番、印象的だったのは『楽しかった』という言葉だった」

 佐々木朗 「最後、(ビシエドを)三振に取ってベンチに帰る時、『楽しかったな』という思いがこみ上げてきたので」

 槙原氏 「その気持ちが大切だよね。特にビシエドの場面は、やっぱり三振を取りたかったでしょ?」

 佐々木朗 「取るぞという気持ちで投げました」

 槙原氏 「ギアが上がったと思う。スピードも質も上がった。『俺の球を打てるもんなら打ってみろ』という気持ちになったか?」

 佐々木朗 「打たれるかなと思ったんですけれど、ファウルだったり、空振りを取れたんで、少し自信じゃないですけれど、落ち着けましたね」

 槙原氏 「最後は首を振って、真っすぐがいいところに決まった。本拠地の歓声はどうだった?」

 佐々木朗 「今まで結果が出ていない環境だったので凄く気持ちよかったです」

 槙原氏 「最速は153キロだったけれど、どれくらいの体感だった?」

 佐々木朗 「昨年のシート打撃も含めて力む癖があった。そこを捨ててストライクを取れるように投げていて、結構、投げている感じでは余力があったかなと思います」

 槙原氏 「点数をつけると何点ですか?」

 佐々木朗 「初登板ということも含めて、この時期なので90点以上は」

 槙原氏 「今後、佐々木朗希はどうなっていきたいのか。昨日はコントロールを重視しながら投げていたけれど、球威で160キロをどんどん連発する投手を目指すのか、コントロールも踏まえて完成した投手でいきたいのか。どんな理想像を持っているのか」

 佐々木朗 「やっぱり、僕は投手は球威、球速だと思うので、160キロをコントロールできる投手になって変化球も含めて、先発でゆくゆくは160キロのコントロール投手になりたい」

 槙原氏 「全部網羅した投手になりたいんだね。若いうちはスピードを求めていいと思う。満員のスタンドで160キロが出たら、凄いことになる」

 佐々木朗 「そういう投手になれるように頑張ります」

 ◆まずは1軍先発で勝利

 槙原氏 「2年目で自分の中でルールを変えたと聞いたが?」

 佐々木朗 「生活は凄く変えて、ゲームがめっちゃ好きなんですけれどやめて…」

 槙原氏 「ちなみになんていうゲーム?」

 佐々木朗 「コール オブ デューティです」

 槙原氏 「あの撃ち合いするやつ?みんなで?」

 佐々木朗 「そうです。それをやめて、早く寝るようにして、生活リズムを規則正しく、おじいちゃんみたいに早く起きて、早く寝て、そういう生活にしている。回復も早くなり、練習も精神的に余裕を持って臨めるので、凄い良かった」

 槙原氏 「吉井投手コーチとは投球についてどんなことを話したの?」

 佐々木朗 「あまり話せていないけれど、『良かったぞ』と言われたので、また、次、もっといい投球ができるように頑張りたいです」

 槙原氏 「仲悪いわけじゃないよね(笑い)」

 佐々木朗 「あはははっ…。全然、そんなことないです」

 槙原氏 「吉井コーチは『スピードガンをゴミ箱に捨てたい』と。あまり気にさせたくないということなのかな?」

 佐々木朗 「この時期というのもあるし、(力を)抑えた上で数字が出たらそれはいいと思う。まずは抑えることが最優先かなと思います」

 槙原氏 「ZOZOマリンはスピードガンの表示はどこ?自分の正面の上に見えるの?」

 佐々木朗 「そうなんですよ。嫌ですよ。後ろは見ないんですけれど、前にあると見ちゃうんですよ」

 槙原氏 「こいつ、気にしているんだなと思われるのも嫌だし…。でも、気になりますよ」

 佐々木朗 「まあ、そうですね」

 槙原氏 「そこを突き詰めて、日本最高スピードを更新し、そして勝てる投手。こんな目標ということですよね」

 佐々木朗 「はい、そうですね」

 槙原氏 「今季の目標は?」

 佐々木朗 「今年はまず1軍で先発で投げて初勝利を挙げて、そして後半戦ぐらいからローテーションに入れるように頑張りたいと思います」

 《佐々木朗の実戦デビュー》12日の中日とのオープン戦の6回に2番手で登板し、3者凡退に抑えた。先頭の2番・京田を149キロで一ゴロ、3番・阿部を150キロで遊ゴロに打ち取り、最後はビシエドを152キロで見逃し三振に仕留め「マウンドから見た景色は凄く興奮した。楽しんで投げられた」と振り返った。全12球中11球は直球で、最速は153キロ。自己最速は163キロを誇るだけに、井口監督は「だいぶ余裕を残していた」と評した。

 《槙原氏の剛速球伝説》現在の高校生最速記録は佐々木朗の163キロだが、槙原氏も1981年のセンバツで大府(愛知)のエースとして147キロをマーク。これが当時の甲子園最速記録だった。巨人に81年ドラフト1位で入団。佐々木朗と同じように高卒1年目は体づくりに専念し、2年目から頭角を現す。デビュー戦となった83年4月16日の阪神戦で初完封するなど12勝を挙げて新人王を獲得した。84年には当時の日本最速155キロを計測している。

(スポニチ)

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≪2021/3/14≫

佐々木朗希の球友願う「全部ひっくり返すくらい」
これからも俺たちがついてるぞ! 12日にプロ初登板したロッテ佐々木朗希投手(19)の勇姿を、岩手・大船渡高時代のチームメートたちもネットで観戦した。同じ陸前高田市出身の村上泰宗さん(19)は「マウンドに上がる時の顔がりりしくて、やっぱり朗希は岩手の誇りだな~って思いました」と感慨深そうに振り返った。

敵か味方か。関係性は小中高で変わっても、大船渡と陸前高田の野球少年たちは昔から互いに見知った顔が多い。応援の気持ちも人一倍だ。163キロ右腕とバッテリーを組んだ及川恵介さん(19)は、オフに久々にキャッチボールで球を受けた。「まだ2年目。朗希が十何年と長く活躍していく中で、(球団も)今はエースの役割とかを求めていないと思います。今できることを精いっぱいやってほしい」と思いやった。

仲間を思う気持ちが強いからこそ、田中友輝さん(19)は訴えた。「記事を書く仕事の人に言うのもあれですけど」と物腰低く断った上で「朗希も必死で頑張っていると思うので、それを調整不足だとかいうのは…腹が立ちますね」と口にした。「いろいろ言われてきた部分を全部ひっくり返すくらい頑張ってほしいです」と熱く願う。

3人とも高校でグラブとバットを置き、今は地元から離れて大学生活を送る。野球が大好きな彼らの夢でもある佐々木朗は「期待と責任を背負ってやりたいと思います」と誓う。故郷の思いもボールに乗せる。【金子真仁】

(日刊)

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