探求隊 隊長ルイのデジカメ日記

隊長ルイが、思いのまま気のままデジタルカメラで取ったブログです。
焼酎大好きなルイが書いたブログ芋焼酎うまか~も宜しく

根来寺にも桜咲く

2008-03-30 | 根来寺(岩出市)
根来の里にも桜咲く!!!


大塔(多宝塔) - 国宝。高さ40メートル、幅15メートルの日本最大の多宝塔。「多宝塔」とは二層一階建ての塔で、通例、初層(裳階)の平面が方形、上層が円形に造られる。この塔も、初層の外見は方形だが、初層内部には円形の内陣が造られており、円筒形の塔身の周囲に庇を付した、多宝塔本来の形式をとどめている。解体修理の際に部材から発見された墨書により、文明12年(1480年)頃から建築が始まり、半世紀以上経た天文16年(1547年)頃に竣工したと考えられている。また、基部には秀吉に攻められた際の火縄銃の弾痕が残されている。




大門 - 県指定文化財。江戸時代末期の嘉永3年(1850年)再建。高さ16.88メートル、幅17.63メートル、奥行6メートル。



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紀州 根来寺

2007-05-05 | 根来寺(岩出市)
新義真言宗の総本山。中世には堂塔2,700寺領72万石、僧兵の勢力も強大となり、一大武装集団として成長する。天正十三年(1585)、秀吉の根来攻めで、大塔・大師堂以外の建物がすべて焼失。江戸時代に復興される。

国宝の大塔は、真言密教の教義を形の上で示したもので、明応5年(1496)に建立さたれ日本最大の木造多宝塔で、秀吉の紀州征伐の焼打ちから残ったものであり、根来攻めのときの弾痕が残る。明治32年に国宝に指定されている。

戦国時代の根来寺の勢力は、南河内から和泉、岸和田付近まで及んでいた。鉄砲をいち早く取り入れた強力な武装集団として、戦国大名に以上の武力を持つ集団と化していた。織田信長は、石山本願寺の粛清の一環として天正五年(1577)、本願寺の兵力の一翼を担う雑賀党を攻め、鈴木孫一らに率いられる雑賀衆は、信長の軍門に下る。その余勢をかって信長は、高野山を攻めるものの、根来寺の軍勢の動向を意識し、決定的な策をとることができなかったという。
信長没後、羽紫秀吉が天下統一にのりだし、尾張で徳川家康・織田信雄の連合軍を攻めた。この時、秀吉の制圧を予期した根来勢は、徳川・織田方と通じ、岸和田城を攻めたものの、秀吉の留守部隊に敗れたとされる。翌・天正十三年(1585)、徳川家康と和議を結んだ秀吉は、「根来一寺を滅ぼせば、紀州の諸豪族は刃を交えず降伏する」と、根来勢の徹底壊滅を決意。10万の大軍を相手に根来勢は、積善寺をはじめに、千石堀、沢、畠中と次々に出城を攻め落とされ、根来寺に秀吉軍が着いた時には、寺衆はすでになく抵抗する者もいなかったと伝えられる。こうして、中世の紀北を席巻した根来寺とともに根来一山は灰燼に帰した 岩出市資料より。