二十歳くらいの頃、お中元の時季にある酒屋へアルバイトに行って、酒瓶やビールケースの積み下ろしや、配達などの手伝いをしたことがありました。
そこに、やはりこの時季だけ手伝いに来るお兄さんがいて、今はちゃんとした勤め人なのに、お中元にかさなる週末だけこの店の配達を手伝っていたのでした。
年齢は30歳前後だったと思いますが、白髪まじりの長髪で、オフを利用してのバイトだったので無精髭を伸ばし、若かった私にはとても渋くてカッコいい大人の男という感じの人でした。
そのMさんの運転する軽トラの助手席に座って、私は彼からいろんな話を聴きました。
その中のひとつが、「雨を見に行く話」でした。
学生の頃の夏、暇を持て余していたMさんとその仲間たちは、当時Mさんの住んでいたアパートの部屋にたむろして、だらだらと時を過ごしていました。
何か面白いことはないかと、みんなでタバコを吸いながら話していると、ひとりが車があるのでどこかへドライブに行こうと提案しました。
けれど車はツードア4人乗りのスポーツカータイプで、仲間は5人。乗って乗れないことはないけれど、定員オーバーです。それでもここにいるよりはましだと、出かけることに決まりました。
出かけることには決まりましたが、さてどこへ行くか。
その時、Mさんがいいました。
「雨を見に行こう」
空は真っ青に晴れていて、山際には多少の積乱雲のこどもがのぞいていますが、すぐにどうというような雲ではありません。
今ならケータイ電話を使ってお天気情報を調べるなんてことも可能ですが、そのころ、もう40年以上も前のことだから、そんなものはありません。おまけに新聞なんて取っていなかったので、情報源といえばテレビかラジオですが、それはいっさい見ない聴かないというルールのもとに、Mさんたちは出発しました。
とにかく雨雲を求めて、西へと向かったのです。運転を交替し、乗る席を替わってはして走り続けました。
しかし、行けども行けども空は晴れていて、その日に限っては日が傾いてきても夕立ちの気配すらありませんでした。
やがて日が沈み、誰も知らない町の片隅で、仲間たちは思案しました。けれど、誰ももう止めて帰ろうと言い出す者はありませんでした。みんなはなけなしのお金を出し合い、その晩の食料を調達し、郊外の公園に車を止めてなかば野宿のようにして眠りました。
次の日、彼らはまた雨を求めて出発したのですが、現実問題としてはガソリンです。
ほぼ満タンに近かったガソリンは、まだ給油ランプは付かないものの、すぐに尽きようとしていました。給油するにしても手持ちのお金は限られています。
彼らは四方の空を眺め尽くしました。そこに雨を降らせそうな雲を探しました。すると、前方の山際に少し灰色がかった雲が掛かっています。
「あれに賭けよう」と、Mさんたちは走り出しました。あの雲が雨を降らせてくれなかったら、その時はもうあきらめて帰らなければなりません。誰も何も言いませんでしたが、それは暗黙の了解ごとでした。
2キロも走らないうちに、フロントガラスにポツリと水滴が落ちてきました。彼らは路肩に車を止めて空を仰ぎました。みるみる雨粒は大きくなって、地面を叩きつけるように降り出しました。仲間たちはシャワーを浴びるように雨に濡れました。
それはほんの一時の通り雨で、さっと降り止むと雲のあいだから太陽がのぞき、小さな虹まで掛かったというのです。
Mさんは私に言いました。若いときは馬鹿をしなきゃ面白くない。意味のないことでもそれが自分の財産になることがある、と。彼は重ねてこうも言いました。
「世間じゃ晴れた空を良い天気っていうだろう。でも、俺たちはそのときからそうじゃなくなった」
私は後年、中東辺りの砂漠のある国では、雨の日を良い天気だということを聞いて、Mさんのことを思いだしたのですが、今では彼も還暦を過ぎた年頃で、私も負けないくらい、いいオヤジになったのだけれど、今でもMさんには馬鹿をやっていて欲しいように思います。
そう、私は間違いなく馬鹿やってますから・・・・・・。
そこに、やはりこの時季だけ手伝いに来るお兄さんがいて、今はちゃんとした勤め人なのに、お中元にかさなる週末だけこの店の配達を手伝っていたのでした。
年齢は30歳前後だったと思いますが、白髪まじりの長髪で、オフを利用してのバイトだったので無精髭を伸ばし、若かった私にはとても渋くてカッコいい大人の男という感じの人でした。
そのMさんの運転する軽トラの助手席に座って、私は彼からいろんな話を聴きました。
その中のひとつが、「雨を見に行く話」でした。
学生の頃の夏、暇を持て余していたMさんとその仲間たちは、当時Mさんの住んでいたアパートの部屋にたむろして、だらだらと時を過ごしていました。
何か面白いことはないかと、みんなでタバコを吸いながら話していると、ひとりが車があるのでどこかへドライブに行こうと提案しました。
けれど車はツードア4人乗りのスポーツカータイプで、仲間は5人。乗って乗れないことはないけれど、定員オーバーです。それでもここにいるよりはましだと、出かけることに決まりました。
出かけることには決まりましたが、さてどこへ行くか。
その時、Mさんがいいました。
「雨を見に行こう」
空は真っ青に晴れていて、山際には多少の積乱雲のこどもがのぞいていますが、すぐにどうというような雲ではありません。
今ならケータイ電話を使ってお天気情報を調べるなんてことも可能ですが、そのころ、もう40年以上も前のことだから、そんなものはありません。おまけに新聞なんて取っていなかったので、情報源といえばテレビかラジオですが、それはいっさい見ない聴かないというルールのもとに、Mさんたちは出発しました。
とにかく雨雲を求めて、西へと向かったのです。運転を交替し、乗る席を替わってはして走り続けました。
しかし、行けども行けども空は晴れていて、その日に限っては日が傾いてきても夕立ちの気配すらありませんでした。
やがて日が沈み、誰も知らない町の片隅で、仲間たちは思案しました。けれど、誰ももう止めて帰ろうと言い出す者はありませんでした。みんなはなけなしのお金を出し合い、その晩の食料を調達し、郊外の公園に車を止めてなかば野宿のようにして眠りました。
次の日、彼らはまた雨を求めて出発したのですが、現実問題としてはガソリンです。
ほぼ満タンに近かったガソリンは、まだ給油ランプは付かないものの、すぐに尽きようとしていました。給油するにしても手持ちのお金は限られています。
彼らは四方の空を眺め尽くしました。そこに雨を降らせそうな雲を探しました。すると、前方の山際に少し灰色がかった雲が掛かっています。
「あれに賭けよう」と、Mさんたちは走り出しました。あの雲が雨を降らせてくれなかったら、その時はもうあきらめて帰らなければなりません。誰も何も言いませんでしたが、それは暗黙の了解ごとでした。
2キロも走らないうちに、フロントガラスにポツリと水滴が落ちてきました。彼らは路肩に車を止めて空を仰ぎました。みるみる雨粒は大きくなって、地面を叩きつけるように降り出しました。仲間たちはシャワーを浴びるように雨に濡れました。
それはほんの一時の通り雨で、さっと降り止むと雲のあいだから太陽がのぞき、小さな虹まで掛かったというのです。
Mさんは私に言いました。若いときは馬鹿をしなきゃ面白くない。意味のないことでもそれが自分の財産になることがある、と。彼は重ねてこうも言いました。
「世間じゃ晴れた空を良い天気っていうだろう。でも、俺たちはそのときからそうじゃなくなった」
私は後年、中東辺りの砂漠のある国では、雨の日を良い天気だということを聞いて、Mさんのことを思いだしたのですが、今では彼も還暦を過ぎた年頃で、私も負けないくらい、いいオヤジになったのだけれど、今でもMさんには馬鹿をやっていて欲しいように思います。
そう、私は間違いなく馬鹿やってますから・・・・・・。
バカが出来なくなるとつまらないですね。人の目を心配し、ああなるかもと結果を心配し、お金を心配し、心配だらけや、損得ばかりで結局やめてしまう。つまらないですね~ばかでいられるという事は楽しいかも♥
ひとそれぞれバカの度合いも内容もちがうけど、私もいつまでもばかでいたいですわ
私は性格からして男に生まれても自分からそういう行動はしないかもしれないけれど、そういう話を聞くのは大好きです。いいなって憧れます。
ん?劇団は近いものがあるかもしれませんね。特にうちは…。
最近読んだ本に、お金のサイクルから外れるという頁ありまして・・・・・・また紹介しますね。
私のようなものとお付き合いしていると、多少は世間からずれてしまうんじゃないですか?
アリにはアリの行き方があり、キリギリスにはキリギリスの生き様もあって、何につけ馬鹿をやるのにも、覚悟が必要かもしれませんが、どうせ一生を生き抜くなら、楽しくなくちゃつまりませんよね。