ひとり語り 劇車銀河鐵道 いちかわあつき

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忍び寄る師走。

2013-11-26 15:18:48 | 日記
 久しぶりの更新になります。

 山に何度かの積雪を見て、里に雪が降るのも時間の問題のようです。

 庭や畑の草は伸びなくなりましたが、そのかわり落ち葉・枯葉が積もってきていて、しばらく何もしていないうちにキーウイの落ち葉で、にはの一隅は敷き詰まってしまいました。
 それでも、なかなか手をつけられないくらいにやることに追われていて、今も横目で見ながらパソコンに向かっています。

 初冬の庭の静寂とは裏腹なこの頃、ひとつひとつをクリアして、忍び寄る師走を前にしっかりと気持ちと身体を引き締めていこうと思います。

 

映画「四十九日のレシピ」

2013-11-15 20:04:43 | 日記
 今公開中の映画「四十九日のレシピ」は、昨年の今頃瑞浪市を中心に撮影された映画です。
 私もエキストラながら四十九日の大宴会のシーンに参加して、少しばかり映っているようです。
 今年もいつのまにやら寒い11月になりましたが、去年も寒かったです。
 
 私がロケに参加したのは、映画の撮影も大詰めを迎えた最後の方の2日間でしたが、本当に寒い日で、冷たい雨と風の中を土岐川沿いに設けられたテントの中で長時間待機して出番を待っていたことが思い出されます。

 そのほかにも、あの季節での夏祭りシーンなどあって、浴衣姿で寒い思いを味わったエキストラの方々も居られたと思います。
 が、その寒さもなんのその、出来上がった映画はホッとあったかな思いを見た人の心に灯す映画になっているようです。

 どうぞ、映画館に足をお運びになって、ご覧になってください。
 私もほんの少しですが、大宴会シーンで姿を見せますので。わりと主演の石橋蓮司さんの近くにいますから、わかる人にはわかると思います。

初雪と初霜。

2013-11-12 13:40:41 | 日記
 恵那山に初雪が降り、今朝はこの町に初霜が降りました。
 例年通りなのか、やや早いのか微妙なところですが、今月のはじめから雪虫が飛んでいましたから、もうそろそろかなとは思っていました。

 台風が来たり、日中温かかったりで、深い秋の装いもまだ今ひとつの面持ちの中でも、虫たちは忠実にその前触れでもって知らせてくれます。

 いっきに冬が来てしまったようなこの寒さですが、まだカエルたちは冬眠に入ってはいなくって、人間だけでなく動物たちも、冬支度に大童なのではないでしょうか?

 私も昨日ようやく、畑のオクラを片付けました。が、まだトマトはそのままで、生っている実がもうちょっと待てば赤くなるのではと、ついつい先延ばしにしているうちに、とうとう初霜が降りてしまいました。

 何かと忙しく、冬に向けての畑作業ができないこともその理由のひとつですが、それでもこの時期、来年の土作りに堆肥作りができたらなあ、とは思っています。
 枯れ葉集めをして、肥料を混ぜて発酵させて・・・・・・。

 土さえ作って置けば、春になって何とかなるでしょう。
 なるべくお金をかけない野菜作りがモットーです!

秋晴れの空に・・・・・・想うこと。

2013-11-08 14:31:23 | 日記
 雲ひとつない快晴となった今日の空は、見渡す限りに爽やかで、四方の山並みを美しく浮き立たせていました。

 ですが、よく見るとその色具合というのが、私の秋の印象と少し違って、薄いようにも思えるのです。
 例えば春の霞のような・・・・・・。それはやはり少しばかり大気が靄めいているからなのでしょうか?

 私の印象に濃い、秋の色あるいは秋の空気というものは、もうすでにないものなのかも知れません。
 日増しに増すひんやり感は、冬布団を干す綿埃を運んで肌を撫でる秋風の、冷たさと匂いを否応なく醸しました。
 電灯の温もりは、じかに感ずるものではなくて、いわば心に感ずる温もりで、見えない柔らかさが、確かにそこにあったはずなのです。

 けれど、それを失ったのだと嘆いているのではないのです。
 昔はよかったのだと思うのは、幻想に過ぎません。

 無くしてしまったものを取り戻そうというのではなく、今ある中に新たに想像しなおす努力こそが必要なのではないでしょうか。

 常に、取り戻すのではなく新しく創り出す。それが本来の人の営みなのだと思うのです。

 秋の空から、また大きく飛躍してしまいましたかね?

箱の中。

2013-11-07 09:06:29 | 日記
 エレベーターに乗ることが続いてあった。様々な箱の中である。
 ガラス張りのゴンドラのような透明性の高いものから、鏡の設置してるもの、きわめて明るい照明の施された空間であるもの。そして、意外に茶系の装飾に囲まれて上り下りする閉鎖的な箱のもの。

 そう、その最後のエレベーターの中に入った時、はじめて箱の中に納まって運ばれる感覚を認識し、わずかの時間であったが、計り知れない孤独感が身を包んだ。

 それは決して恐怖に繋がる不快な孤独感ではない。静かな瞑想的孤独である。
 この感覚はなんだろうと思い、考え続けているとそれは子供のころに好んで入ったダンボールの中や、あるいはもう少し成長した段階での遊び、秘密基地に直結する感覚なのではないかと思い当たった。

 この感覚は子宮回帰を希求する本能的感覚なのではないかとも、思ってみたりする。
 無のままに、ただひたすらに誕生までの日を、守られ養われてある極上の安らぎを、脳はかすかに記憶し続けていて、ふとしたことにそれを思い出すことがあるのか。

 話を大きくすれば、宇宙という箱の中に存在するささやかな生命体の右往左往が、日常の私たちの存在でもあるのか?

 そんなことに思いをめぐらしていると、エレベーターは「チン」と電子音を鳴らして止まり、扉が開らかれ、私はまた日常の営みの中に吐き出された。