ひとり語り 劇車銀河鐵道 いちかわあつき

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身近な山野草。

2013-05-30 17:32:25 | 日記
 ひと雨降るとグングンと伸びてくる草草を、草刈機でもって無造作に刈ってしまうのですが、しかしこの時期、小さな草草には花が咲いていまして、これがなかなかに可愛かったりすると、ちょっとこれは刈らずに残しておこうかと思うようになり、機械はやめて手作業で草むしりをしたりして疲れるということも間々あるのです。

 何を残して、何はむしり去るか、その選別の基準はじつに勝手なもので、背丈を伸ばすものや見た目によくないものは除去という、こちらの都合で決められる。
 草たちにとっては、実に理不尽なことと思われます。

 ハルジョンとヒメジョンの違いはお解かりでしょうか? おそらくは背丈の高いのがハルジョンではないかと思うのですが、残念ながらこのものたちは刈ってしまいます。
 それから、クローバーとして馴染みのあるシロツメクサ。
「あらいぐまラスカル」の主題歌を唄いながらも、除去します(草刈機を使うと絡みが酷いです)。
 ハルノノゲシも背丈を伸ばしてしまうのでアウト! あとどうしようかと迷いながらも抜いたり抜かなかったりなのが、カタバミの類です。

 ヘクソカズラなんて名前が悪いので印象がよくないですが、そんなに変な花ではないと思います。しかし、蔓性のものははびこり方がたくましいので、考えものですが・・・・・・。

 あと、ネーミングが悪いけれどさほどではないものに、ジゴクノカマノフタというのがあります。家の庭にもあります。

 写真があるといいですね。出来たら撮ってご紹介します。

もう梅雨に入ったのですね。

2013-05-29 23:03:52 | 日記
 今年は早いですねえ。まだ5月ですよ。
 この分だと、早くに梅雨が明けて、そのあと途轍もなく暑い猛暑の夏が来るのでしょうか?

 堪りませんねえ。夏生まれですから夏は好きですが、それにしても暑さも寒さも程々がいいです。
 この今くらいの状態が持続したら快適なのですが、そうも行きませんねえ。

 じめじめする季節ですから、食中毒なんかも気をつけないといけません。
 生ものはあまり口にしないように、加熱をしっかりしたりと、神経使いましょう。
 とにかく、健康には留意して、この季節を乗り切り真夏を迎えましょう。

ワタシのほんだな ⑦

2013-05-27 22:59:42 | 日記
 リニューアルしてから、はじめての「ワタシのほんだな」になりますか。
 前回から数えては7回目となります。

 さて、階段の脇に本棚を設置してどのくらいになったでしょか? たしか一昨年のことだったようにも記憶しているのですが、正確なところは忘れてしまいました。
 そして、そのスペースにどんな本の類を納めたかもすぐには思い浮かばなくて、あの本はどの棚のどの辺りかと考えたとき、一番思い出せないのがその場所に置かれている本たちのことです。

 一応、ジャンルや作家、外国文学・小説・戯曲・新書等々で棚を分けてはいるのですが、その一角にはどのようなジャンルのものをどのように置いたかが、すぐに出てこないのです。
 それは何故か。まだ馴染んでいないからということと、そこに並んだ本たちも比較的に馴染みの薄い、近年いたるところから我が家へやって来た本たちが多く、手にとって広げる機会も少ないものたちが多々あるということなのです。

 馴染むということは大事なことで、ワタシの場合、身体に沁み込むということがないと、なかなか潜在意識の中までそのものは記憶されず、身体感覚の領域から遠いものは日常の意識からも薄いということになってしまうようです。

 ワタシはこれまで4回の転宅を経験していますが、引っ越してからかなりの日数を重ねないとその時住んでいる場所の夢、というものを見ることがありませんでした。
 現在の住居に越して12年にもなりますが、最近ようやく身体に馴染む空間としての居住スペースとして認識されたという感覚が芽生えてきたと思えるくらいです。

 なんてまあ、少し大袈裟かもしれませんが、しかしそのような身体感覚というものは大事ではないかとも思うのです。
 
 何事も身体で覚える。そう、読書というものも身体で読んでいるのかもしれません。
 言葉と身体は実に繊細な関係で結ばれていて、絶妙なバランス感覚でその感情を表現します。

 あら、階段脇の本棚の話はどこかへ行ってしまいましたねぇ。

 

高野文子著「黄色い本」-ジャック・チボーという友人-

2013-05-23 21:39:06 | 日記
 私がお勧めする本ですが、小説ではなく漫画です。
 これは面白かった。嵌りました。
 
 といって、私が自力で新しい漫画作家を探し当てられるわけはありません。
 そう。川上弘美著「大好きな本」という書評集の中にあって、それを読んで「へえ~、それなら」と買い求めてきたのがこの「黄色い本」でした。
 実はもう一冊「棒がいっぽん」という作品を探したのですがなくて、これから度々探して回ろうかと・・・・・・。

 こう見えても少女漫画も時には読むんです。むかしは森脇真末味とか山岸涼子とか吉田秋生とか、はたまた弓月光なんて、若い頃よく読んでましたよ。

 とにかく私としては高野文子、久々の大ヒットでした。

 近頃想うこと。世の中には知らないことがいっぱいあるなぁということです。
 世間一般には有名でも知らないこと、人って言うものがこの歳になって増えたような気がしてなりません。
 そんなもんなんでしょうか?

映画「マダムと女房」を観る。

2013-05-22 08:45:41 | 日記
 日本初のトーキー映画といわれる「マダムと女房」をようやく観ることが出来ました。

 これまで何度かの放映時に、仕事などで観ることが出来なかったのですが、今週月曜日にまたBSプレミアムで放映してもらえたので、ようやく観ることが出来ました。

 前回ご紹介した同人誌「おおきな木」14号に掲載した私の「映画をめぐる断片」の中に、この「マダムと女房」のことを書きました。が、そこの父親から聞いた話で、『火鉢にキセルでトントンする・・・』と記述したのですが、映画を観てそれは間違いだったことがわかりました。父親が間違えたのではなく、おそらく私の記憶違いだったのだと思います。

 それは、この映画の主人公渡辺篤演じる芝野新作の女房(田中絹代)が、箱火鉢の灰の中に埋まっていたお金(何銭玉かな?)を掘り出して、脇に置く音だったのです。

 丸いお金がビダビダビダッと、はじかれたように回って止まるまでの音、誰もが聞いて知っている音です。

 私もいま実際に10円玉をテーブルの上に置いてやってみましたが、この音、オノマトペで表現するの難しいですね。ビダビダッとしましたが、小刻みな濁音皆さんにはどのように聞こえるでしょうか?

 さて、この「マダムと女房」という映画、最初にチンドンヤさんの演奏の音から始まります。そうして後にはちょっとした楽団のジャズ演奏もありますが、面白いのは先ほどのお金を置く音や、主人公の脚本家が書き損じの原稿をクシャクシャと丸める音、幼い娘の鳴らすベルや目覚ましの音、また引越しに来てくれた仲間と行うマージャンのパイをジャラジャラする音など、実にその細かい効果音に力をいれているということが、私には面白かったです。

 そうして私の父親が、そんな数多の音の中から箱火鉢の灰の中からお金を取り出して置く音に強く印象を残したことがおかしい。なぜ彼は他の音よりその音を記憶に留めて語ったのか・・・・・・。

「マダムと女房」は昭和6年の作品です。私の父親は大正8年の生まれです。
 彼は幾つの時にどこでこの映画を観たのでしょう? 
 公開時に観たのならば13、4歳の少年だったわけですが、貧乏な田舎の少年だった父親が、おそらくはなんらかの理由で名古屋まで出向き、何らかの折に誰かに連れて行ってもらったのだと思います。
 
 父親が鬼籍に入ってもう22年、今更に問いただすことは出来ません。