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-「大東亜戦争調査会」叢書3-(GHQ焚書図書開封 第103回)

2018-03-25 20:21:36 | 近現代史
GHQ焚書図書開封 第103回
-大東亜戦争調査会叢書3-
「米英の東亜制覇政策」第3章 米英の侵略的文化工作
 米英、特に米国は、領土的、経済的侵略に立ち遅れたので、支那に伝道施設、教育施設、医療施設、文化施設をつくり侵略的文化工作に力を入れた。このことが、目前に、具体的な恩恵を施された人々の民心を把握することを容易にし、拝米、イギリス信者を生み出し、侮日、抗日の気分を高まらせることとなった。
アジア植民地における文化対策については、日本は遅れをとっていた。それは、仏教を研究するにはオランダ語の翻訳本から学び、インド学を学ぶには英語の翻訳本、インドネシアについて学ぶにはオランダ翻訳本から学ばなければならない状態であったからである。日本人が自らアジアに出向いて研究した文献は皆無であった。
英米は、支那から得た団匪賠償金(北辰事変の賠償金)を支那に対する慈善事業費と称して使った。
英米の対支工作には、①プロテスタントから始まった②最初慈善、奉仕的であったが、現地収入が得られるようになり、米国からの送金が不要になった③英米は大学、研究機関の教育に力をいれ、フランスは小学校教育に力をいれた④実利的な医療事業に着目し、重きを置いたという特徴がみられる。
アメリカは、キリスト教布教を主に、文化工作に熱意を示し、特に、医療・教育に資金の6~7割をつぎ込んだ。このことが、今日の米中の親密な関係につながっている。教育については、後に、キリスト教会が反日教育の温床になっていった。一方イギリスは、経済的、政治的、軍事的な対支工作を露骨に行った。
伝道施設数、教育施設数、医療施設数、文化施設数の多さがそれを示している。
これら欧米の文化的侵略に対して、敢然と戦ったのはアジアにおいて日本一国のみであった。そのことに同情し、理解してくれた国は、インド、西南アジアの国々、ビルマ、タイであったが、憎んで欧米の戦略にのせられた国は支那、韓国であった。
インドのイギリスに対する感情、ベトナムのフランスに対する感情、支那のアメリカに対する感情は、虐殺され、搾取された怨みと同時に欧米の文化に浴したことからくる尊敬の念ももちあわせた複雑なものである。これらの植民地の人々が宗主国の文化について詳しい知識を持ち、誇りをもっているという矛盾は日本人には到底理解できないものである。
 アメリカは、単純で幼稚であり、支那を4大文明の一つとしてみており、日本の文化は「武士道」とみている。
 欧米文明は近代日本のモデルであり、理想であり、基準であった。そんな欧米文明に立ち向かい、力の敗北でなく精神の敗北を喫したことは日本にとって致命的打撃であった。
 欧米の文明はヤーヌス(二面性「悪-善」、「正-邪」をもった)文明である。戦争に敗れた日本は二面性の内「正」の袋に入ってしまい、「正」の袋の外にある「邪」の部分をみることができなくなってしまった。
参考文献:「米英の東亜制覇政策」「米英の東亜攪乱」「米国の世界侵略」「大東亜の建設」「米英挑戦の真相」大東亜戦争調査会


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