いとうな日々

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カンニングの中島さん死去、岸田今日子さん、青島幸男氏も

2006-12-21 | ニュース
お笑いコンビ、カンニングの中島忠幸(なかしま・ただゆき)さんが20日午前11時46分、白血病ウイルス性肺炎のため都内の病院で死去した。35歳。中島さんは04年12月に急性リンパ球性白血病で入院。今年8月に退院し、一時快方に向かっていたが、11月末に再入院した。19日に容体が急変し、帰らぬ人となった。21日、相方の竹山隆範(35)が会見する。
「戦友、夫婦みたいなもの…」

竹山さんは「家族であり戦友、夫婦みたいなもの。とにかくいいやつでした」とパートナーの死を悼んだ。中島さんの闘病中、自分の出演料を二人で分け合っていたことについては、「小学校からの同級生で、芸能界に入ってつらい事が続いた時もお互いに助け合ってきた。二人でまた漫才をすることを目標にやってきたが……」と残念そうに話した。(Yomiuri Online)
怒鳴り漫才の掛け合いで、マジギレの竹山をなだめて突っ込むキャラで人気の中島さんが力尽きた。白血病と分かった04年12月から1年での復帰を目指し治療に専念。今年8月末には、化学療法で寛解(かんかい=白血病細胞を消滅させること)し退院していた。

先月末に体調不良で再入院したが、相方の竹山は今月5日のイベントの会見で「入院したり退院したりですが、徐々に快方に向かっていまして。来年春にまた一緒にやる計画があります。入退院を繰り返していますが、生きていることは確かです!」と、相方の復帰を心待ちにしていた。

しかし19日、中島さんは肺炎を併発し容体が急変。そのまま帰らぬ人となった。竹山は中島さんの容体を気にしながらバラエティー番組の収録に参加。最期をみとることができなかったが、スタッフを通じて悲報を知り大きなショックを受け、この日深夜のラジオのレギュラー番組も「心の整理が付かない」と出演を取りやめた。

中島さんは92年に小学校の同級生の竹山とカンニングを結成。日本テレビ「エンタの神様」で03年から人気が出始めた。私生活でも、04年に3年間交際した夫人(35)と結婚した。同年9月に長男が誕生し、公私ともに順調だった。だが、長男誕生直後の12月、体調不良を訴え検査入院。その結果、白血病と分かり、長男と初めて過ごすはずだった正月は、病院のベッドで迎えていた。

カンニングは現在のお笑いブームに火を付ける人気コンビで、将来が有望視されていた。しかし、最も注目を浴びたはずの時期に中島さんは闘病生活を送った。病床から竹山にメールでアドバイスやダメ出ししながら、相方の隣に立つ日を待望していた。

◆中島忠幸(なかしま・ただゆき)1971年(昭和46年)6月14日、福岡県生まれ。92年、吉本総合芸能学院(NSC)で小学校からの同級生、竹山隆範と漫才「カンニング」を結成。東京・中野の総菜店の副店長をしながらの下積みが続いたが、03年ごろに貧乏をネタにした自虐漫才でブレーク。怒鳴る竹山に、戸惑う中島さんというスタイルを築き、売れっ子に。04年12月から、急性リンパ球性白血病で休養していた。趣味は魚釣り、特技は料理。168センチ、血液型O。

(ニッカン・スポーツ)

岸田今日子さんが死去

「砂の女」などの映画やテレビでも活躍した俳優の岸田今日子(きしだ・きょうこ)さんが17日午後3時33分、脳腫瘍(しゅよう)による呼吸不全で死去した。76歳だった。

個性的な面立ち、神秘的な響きを持つ声を生かし、濃厚なエロチシズムからメルヘンの世界まで多彩な演技を見せ、高く評価された。

劇作家・小説家の岸田国士の次女として東京都に生まれる。舞台美術を志し49年に文学座研究所に入ったが、俳優に転じ52年デビュー。60年には三島由紀夫演出「サロメ」の主役に選ばれた。

63年に劇団雲の結成に参加。75年には芥川比呂志らと演劇集団円を設立した。別役実、清水邦夫、太田省吾、岩松了さんら多くの劇作家の新作に精力的に取り組んだ。99年には「猫町」「遠い日々の人」で紀伊国屋演劇賞個人賞に選ばれた。

カンヌ映画祭審査員特別賞を受けた主演作「砂の女」(64年、勅使河原宏監督)や、「黒い十人の女」「秋刀魚(さんま)の味」「卍(まんじ)」などの映画、「男嫌い」「傷だらけの天使」などのドラマに数多く出演。アニメ「ムーミン」の主人公の声で子供たちに親しまれた。児童劇上演や童話創作にも力を入れ、小説などの著作もある。「妄想の森」で98年に日本エッセイストクラブ賞。

05年10~11月に円の公演「オリュウノオバ物語」に主演したが、06年1月に脳腫瘍が見つかり、薬物治療などを続けていた。

54年に俳優の仲谷昇さん(今年11月に死去)と結婚し、のち離婚。姉は詩人で童話作家の岸田衿子さん。俳優の故岸田森さんはいとこにあたる。

(朝日新聞)


青島幸男前東京都知事が死去

マルチタレント、参院議員、東京都知事として活躍した青島幸男(あおしま・ゆきお)氏が20日午前9時31分、骨髄異形成症候群のため東京都内の病院で死去した。74歳だった。東京都出身。

自宅は東京都江東区。告別式は27日正午から港区南青山2の33の20の東京都青山葬儀所で行うよう調整中。喪主などは未定。

1932年東京・日本橋の仕出し弁当店の二男に生まれた江戸っ子。早大商学部卒業後、27歳で放送作家としてデビュー。テレビ番組「シャボン玉ホリデー」の脚本・構成を担当、自らも出演し、「青島だぁー」というギャグでお茶の間の人気者に。

「スーダラ節」「無責任一代男」など反体制ソングを作詞、テレビ番組「意地悪ばあさん」では毒舌の主役を好演した。自ら制作、監督した映画「鐘」がカンヌ映画祭批評家週間で入選、小説「人間万事塞翁が丙午」で直木賞を受賞するなど、多彩な才能を発揮した。

68年に参院全国区で初当選。故市川房枝氏に師事、金権政治を批判し続け、公報、政見放送以外は選挙運動をしなかったにもかかわらず、連続4回当選した。佐藤栄作首相(当時)を「財界の男メカケ」と呼んで懲罰問題に。自民党による消費税の強行採決に抗議し89年に議員辞職。92年、参院比例代表で5回目の当選を果たし、佐川急便献金事件で金丸信・元自民党副総裁の議員辞職を求め、ハンガーストライキをした。

95年の都知事選に議員を辞職し出馬、無党派層の圧倒的支持を得て知事に当選。世界都市博覧会を公約通り中止した。しかし、指導力を発揮できない場面も目立ち、1期で引退した。 

2001年、04年の参院選に出馬したが落選。その後、タレント活動を行っていたが、自宅で読書やビデオ鑑賞で過ごす時間が多かったという。06年11月、自宅で転び頭にけがを負ったため、都内の病院に入院。検査の結果、骨髄異形成症候群と診断され、治療を続けていた。

(時事通信)

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