いとうな日々

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老いの才覚

2010-12-21 | 読書

少子高齢化社会である。「高齢であるということは、若年である、というのと同じ一つの状態を示しているだけで、それは、善でも悪でもなく、資格でも功績でもない」と著者・曽野綾子氏は説く。

昔の老人には「才覚」があった。しかし、現在は年の取り方を知らない老人が急増しているのだと指摘する。

超高齢化の時代を迎える今、わがままな年寄こそ大問題なのだという。

年をとっているという事は、多種多様な経験があるのであるから、老人は「自立」と「自律」して、他人に依存しないで自分の「才覚」で生きることが大切だと教えている。

五木寛之が林住期の中で言う、「人生のクライマックスは50歳から75歳までの「林住期」にあるのではないか」ということと異言同義ではと考えることができる。

最後は、カトリックのクリスチャンらしく、神とのかかわりの中で本書は締めくくられている。本書の最後に引用されている、アデマール・デ・パロスの「神われらと共に」を一語一語かみ締めながら詠んでいる。

夢を見た、クリスマスのよる。
浜辺を歩いていた、主と並んで。
砂の上に二人の足が、二人の足跡を残していった。
私のそれと、主のそれと。

ふと思った、夢のなかでのことだ。
この一足一足は、私の生涯の一日一日を示していると。

立ち止まって、後ろを振り返った。
足跡は、ずっと遠くに見えなくなるところまで続いている。

ところが、一つのことに気づいた。
ところどころ、二人の足跡でなく、
一人の足跡しかないのに。

私の生涯が走馬灯のように思い出された。

なんという驚き、一人の足跡しかないところは、
生涯で一番暗かった日とぴったり合う。

苦悶の日、
悪を望んだ日、
利己主義の日、
不機嫌の日、
試練の日、
やりきれない日、
自分にやりきれなくなった日。

そこで、主のほうに向き直って、
あえて文句を言った。

「あなたは、日々私たちとともにいると約束されたではありませんか。
なぜ約束を守ってくださらなかったのか。
どうして、人生の危機にあった私を一人で放っておかれたのか、
まさにあなたの存在が必要だった時に」

ところが、主は私に答えて言われた。

「友よ、砂の上に一人の足跡しか見えない日、
それは私がきみをおぶって歩いた日なのだよ」




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