いとうな日々

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WBC開幕 日本はコールド勝ち

2006-03-04 | プロ野球
WBCの一次リーグ(アジア予選)が開幕した。王ジャパンは緊張感からか、序盤は硬さが見られた。2点リードの4回先発上原が中国・王偉に思いもよらぬ同点本塁打を喫しムードは最悪かと思われた。

重苦しい空気も漂うなかそれを一変させたのが、五回表1死一、三塁殻飛び出した西岡の左越え3ランだ。続く福留も右中間に連続ホームラン。これで吹っ切れたのか、終わってみれば日本は先発全員の計15安打で着実に加点し、18-2のコールド勝ち。

一発勝負は怖い。国際試合のプレッシャーが選手たちに必要以上の緊張感を感じさせていた。一度打線に火がつけば、結果は実力通りとなった。見逃してはならないのは、2ランこそ喫したが緊張感の中先発の務めを十二分に果たした上原、そしてそれを引き継いで完璧なリリーフの清水、野球はやはりピッチャーだ。

午前11時30分からの第1戦は台湾対韓国。やはり緊張感漂う僅差のゲームとなった。韓国が2-0で台湾を下した。日本、韓国がそれぞれ4日の試合に勝利すれば、早くも一次リーグ突破となる。
WBC:日本はコールド勝ち 中国は投手陣に切れがなく

 ○日本18-2中国●

日本は先発全員の計15安打で着実に加点し、コールド勝ち。同点で迎えた五回、西岡、福留の連続アーチで勝ち越し。六回に3連続長短打などで計3点を追加すると、七回、八回にも加点した。上原はやや不安定ながらも5回2失点の及第点。中国は投手陣に切れがなかった。

▽日本・王監督 国際試合のプレッシャー、緊張感があった。上原は最初、制球が定まらなかった。

▽中国・ラフィーバー監督 四回まではいい試合ができたと思う。投手の層が薄いので、第2戦以降を考えて投手を温存した。

▽日本・松中 (二回、先取点を引き出す右翼線二塁打を放つなど活躍)自分も良いスタートが切れたと思う。何があるか分からないので、明日も勝つために頑張りたい。

▽日本・清水 (六回から救援登板、3回を無安打無失点)普段通りにシーズンと変わらずに投げられた。ツヨシ(西岡)のホームランが効いたね。投打がうまくかみ合った。

 ◇西岡、決勝3ラン…重圧解き放す

短期決戦だけに、王監督が最も気にしていたのが初戦の入り方。実力が下の中国が相手とはいえ、気合が空回りすることも考えられるし、国際大会の重圧もかかる。四回までは同点の接戦で重苦しい空気も漂った。それを振り払ったのが、意外とは言っては失礼だが、王監督が「スモール・ベースボールの申し子」と呼ぶ西岡のひと振りだった。

同点の五回1死一、三塁。西岡は「セーフティーバントでもして走者を進めればいい」と考え、打席に入った。しかし、1打席目に2回試み、ファウルに終わっている。外野フライを打ち、三塁走者を迎え入れられればいいと気持ちを切り替え、カウント1-2からの外角高めの直球をたたいて、左中間スタンドに勝ち越しの3ランを運んだ。

この一発が他の選手たちの重圧を解き、打線に火が付けた。3番の福留が「前の西岡が打ってくれたので気楽に打てた」と2者連続となるソロを放てば、5番の多村も七回に左中間に特大の一発。「3、5番が固まらない。長打力不足」と王監督が心配していた打線はつながった。

伏線もあった。四回に上原が王偉に打たれた同点本塁打だ。右中間に見事な弧を描いて飛び込んだ打球を見せつけられ、日本は目が覚めた。王監督も「上原も、ベンチも、ファンも、中国ベンチも、みんなびっくりしたんじゃないか。あれでピリッとした」と話した。

15安打で18点の大勝。まずまずの船出となった。だが「打線はいい形で点を取れた」と語った王監督に笑顔はない。第2戦の台湾戦に向け、「もう一度気を引き締める」と、かぶとの緒を締めた。

○… 球数制限に上原がほん弄された。WBC1次予選での1人の投手の投球上限は65球。三回を終えて37球だった上原は「六回ぐらいまでいけるんちゃうか」と考えた。だがこれがあだになった。2点リードの四回、1死一塁カウント2ー1から、上原が投じたのはストライクをとり急ぐ余りの甘い変化球。これを王偉に右翼席にたたき込まれた。王監督は「あれで(チームの堅さが)ほぐれた」とかばったが、自らの投球を振り返った上原は「情けない。心の中で今も泣いています」と悔しさをにじませた。

○…日本代表の上原から四回、右越えに2ランを放った中国の捕手・王偉は「打てると思わなかった。優れた投手から打てて、自信になった」と振り返った。米アリゾナ州での合宿の特訓の成果が出たことを打ち明け、「監督の指導が良かった」と話した。主に若手投手が登板した中盤以降の大量失点には「これは良い経験になる。でも日本の打線の爆発ぶりはすごかった」と舌を巻いていた。

毎日新聞 2006年3月3日



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