いとうな日々

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文字が乱れるとすべてが乱れる─経世済民

2006-12-15 | WEBLOG
安岡正篤著、「論語に学ぶ」の一節である。

また従って、その一番の根本である文字(昔は漢字と言いました)が、どれだけ日本人の精神・思想・文化を培養したか、本当に量り知れないものがあります。

その意味において、われわれは文字を大事にしなければならぬのでありますが、戦後それを誤って、文部省自らの浅はかな考えによって、一時滅茶苦茶に致しました。漸くこの頃になって、その非を悟り、旧に戻しつつあることは、当然の事乍ら喜ばしい限りであります。文字を大事にすることは、即ち言葉や文章を大事にすることであり、精神・行動を大事にすることに外ならない。従って文字が乱れると、すべてが乱れて参ります。

その好い例が経済です。これは儒教の「経世済民」をつづめたものでありますが、戦後、日本人はその真義を忘れて、全く私事に解し、経済万能でやって来ました。その結果、ご承知のようにふとしたきっかけから、今日のような混乱に陥っておるわけです。間違ったという点では学校にも責任があります。

私共が学校におりました時分は、経済はポリティカル・エコノミーと言ったのでありますが、戦後、それがいつに間にか、ポリティカルを落として、単なるエコノミックスになってしまった。然し今日は政治を離れて経済というものは到底考えられないのであります。それも世界政治の影響を受ける。アラブの政治家達がちょっと石油の価格をひとひねりするだけで、日本経済は大恐慌に陥るのです。そこでこの頃ではまた、ポリティカル・エコノミーということが言われるようになりました。いずれにしても経済というものは、ただ金を儲けるということだけではなくて、儒教の語の通り経世済民でなければならないのであります


この講和は昭和50年代に行われたものです。しかし、現在我々が直面している問題と何の変わりも有りません。世の中は「生成発展」するものだと松下幸之助翁は言っておられましたが、所詮人類は愚かなものです。だからこそ「生成発展」を信じ日々真剣に生きることが必要なのであろう。

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