いとうな日々

MLB、プロ野球他野球全般、ニュースなどについて、勝手にコメントさせて頂いてます!

悲報 寂寥感でいっぱいだ!

2006-12-08 | WEBLOG
今朝から東京は雲が低く肌寒い。出かけようかとしていたら、田中君よりの電話が鳴った。悲しい知らせだった。高校時代の野球部の友人が10月に亡くなっていたというのだ。年末で「喪中につき・・・」のはがきが届いたという。わが修猷館硬式野球部41卒の誇りであった並木和夫君の悲報だ。彼は我々と一緒のハードな練習をこなし、ストレートで東大・理系に合格し、神戸製鋼㈱でも輝かしい職責を残した天才だ。

彼については二つの忘れ難い思い出がある。現役時代キャッチャーの小生がサードスチールを刺すべく送球したのだが大暴投になってしまった。レフトの並木君がバックアップ、本塁で刺そうと構えたとたん、彼が後ろに走り出した。彼もトンネルしてしまったのである。試合後、「これは修猷野球部の球史に残る珍プレーだなー」と二人で大笑いしたことだ。

もう一つは、社会人になってから彼から突然電話が。インターネットで「並木和夫」で検索したら小生のHPにたどり着いたというのだ。彼は喜んで「ありがとう」といってくれた声が昨日のように耳に残っている。西日本新聞社、昭和46年版の「修猷山脈」より並木君に関する記述を引用していたためである。
”球史”に誇りあり

(略)
「数えあげるとキリがないほど”サムライ選手”が多い。あいつも、こいつも・・・・。坊主たちはみんなかわいいよ」”カモシカ少年”の異名をとり盗塁王といわれた日高輝幸(昭和34年卒)中西太をびっくりさせるほど重いバットを軽々と振り回し、第一球をのがさず打った内田成人(昭和35年卒)名マネージャーの中島安彬(昭和40年卒)模範選手の並木和夫(昭和41年卒、東大理学部、神戸製鋼)・・・。

行徳監督の記憶のスクリーンは限りない群像であふれていく。
毎年、年賀状だけの付き合いになってしまっていたが、来年で「還暦」を迎える「団塊世代真っ只中」の我々が「昔話に花を咲かせながら」一献酌み交わせる時が持てるようになるはずであるのに。

心より並木和夫君のご冥福をお祈りします 合掌

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