いとうな日々

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学生運動の時から進歩のない輩の代表

2006-12-07 | WEBLOG
本日の産経新聞『断』に下記のようなコラムが掲載されていた。オ・チヨン(오지영)とかいう評論家である。失礼千万、厚顔無恥な奴がまだこの日本に生息しているのである。まずは文章をお読みいただきたい。
Kan Sanjunとは一体誰か

半年も前のことだけれど、「プレジデント」七月三日号に政治学者の姜尚中が写真入で登場している。これがどうもひどい。いや、内容ではない。
姜の名前の読み方がひどいのだ。にっこり笑った写真の横には漢字で「姜尚中」。これに振り仮名はない。だが、下の略歴欄にローマ字で「Kan Sanjun」と読み方が書いてある。
これで「姜尚中」のことだと分かる朝鮮人はいない。これだと、朝鮮人にあまり多くない名前だが、「千山準」ぐらいである。
「姜尚中」は日本語読みなら「きょうしょうちゅう」、朝鮮語読みなら「かんさんじゅん」。日本人は日本語読みでなんら差し支えない。だって、日本人が外国語を強制される理由はどこにもないんだもの。むろん、朝鮮漢字音を知っておくことも悪いことではない。漢字文化のアジア的広がりが分かるからだ。バカ下ているのは、朝鮮語読みを日本人に強制することだ。結果、このざまだ。
日本語と朝鮮語では音韻体系が違い、相互に存在しない音がある。それを無視してローマ字書きしても何の意味もない。イギリスの元首相サッチャー女子(Thatcher)をSattya女子と書いて国際性の証だと思ったらバカだ。これと同じ愚行なのである。
自分の名前の朝鮮語読みを強制だか誘導だかしている姜尚中にも責任はある。『姜尚中の政治入門』で、社会を見るには「カンを磨け」と説き、「姜がカンでは洒落にもんらないが」と言い訳している。朝鮮音では、姜はKang、勘はKam、確かに洒落にならない。きょうしょうちゅうさん、どうお考えですか。
(評論家・呉智英
自分の名前がオ・チヨンと呼ばれれば気分はいかがか? クレ・トモフサとかゴ・チエイとか自分が意図する音で読んでもらいたいであろう。所詮、『日本語と朝鮮語では音韻体系が違い、相互に存在しない音がある』のであり、音節文字で生活する日本人はパッチム:終音は苦手なのだ。

日本人にとってはKan Kam Kangも同じなのだ。もし、姜尚中氏がローマ字で「Kan Snajyun」と表記すことを許したとすれば、彼のささやかな日本人に対する抵抗であろう。

名前は人間にとって人格そのものである。やはり、できるだけ本来的な発音で読んで欲しいものである。右よりの産経新聞であるからこんなコラムを載せてもおかしいとも思わないのであろう。

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