◆小さな転換
昼食後すぐにまた座禅をした。家族から乖離していくことの淋しさが再びよみがえってきた。しかしその時、思考モードのなかではあったが、ちょっとした転換が起こった。私は、断食で贅肉を落としていくのと同様に、心にまとわりついた様々なものを瞑想によって落としていくだろう。内面において徹底的に捨てていく道を歩むだろう。
しかし、徹底的に捨てていく道は、身近な人間関係や社会関係においても開かれているではないか。「自我」の損得勘定に惑わされずに徹底的に家事や家族サービスに打ち込んでいくことは、そのまま徹底的に捨てていく道ではないか。「自我」の利害関心を超えたところで徹底的に職場の仕事に打ち込んでいくことは、そのまま捨てる道に通じているではないか‥‥。家に帰ったら徹底的に家族サービスをしよう。仕事をしよう。捨てていく道として。
そう思ったとき、家族との乖離の不安や淋しさが完全に消えていた。そしてサティが、苦もなく続きはじめた。眠気はまったくなく、透明な瞑想状態がつづいた。みごとに善心所モードに切り替わったのだろう。気がつくと、昼前にはあったメガネの錯覚が消えていた。
さらに、翌日になってから気づいた。これが、合宿の出発する日の明け方に見た夢のメッセージではなかったのかと。瞑想合宿への参加を遅らせてでも自分の使命を果たすという夢。内面に向かう道としての瞑想と外的な世界での奉仕、あるいはクーサラ。合宿に向かう中央線の電車のなかで感じていた、何かをやりのこしているような、こんなことをしていていいのかというような漠然とした不安。すべてが、ここにつながっていたのかもしれない。
結局、合宿前に見た夢に戻ってきたのだ。あるいは、夢の意味を深めるような形で今回の瞑想合宿全体が展開していたのか。