瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

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心身の浄化と言いながら

2005年09月12日 | 瞑想日記
◆心身の浄化と言いながら
IT関係の研修で深谷まで出張。駅から30分歩くか一駅前で降りてバスで行くか迷ったが、結局歩いた。9時過ぎでもすでに暑かったが、小さな川沿いの道や緑の多い街路を通って行く道は、気持ちよかった。もちろんサティをづつける。「見た」というラベリングが多い。当然のことだが、ラベリングによって常に知覚対象に立ち戻ることを心がける。

強い日差しが街路に濃い樹木の影を作っている。それが強い印象となって迫って来る。「見た」とラベリングしながら「樹木の影」を見ているという明確な判断がすでに働いている。

帰りも同じ道をサティしながら歩いた。途中、最近の一日断食のことで思考が入った。それは、健康のためであり、瞑想のためでもあったが、私にとって何かそれ以上の意味があるような気がした。食べることに自覚的であること、食べることの無明をできるかぎり少なくすること。それはやはり、日々の生命の営みに自覚的であることにつながっていた。食のコントロールは、直接に日々の命の営みのコントロールにつながっていた。それはやはり心身の浄化の道につながっていた。正直に言っていまいちばん強く引かれるのは、断食や食養の本なのである。

といいながら、上野駅の構内でラーメン屋を見たとき、久しぶりで食べたいという誘惑に負けて店に入った。そのときはサティはすっかり忘れていた。無明で腹が満ち足りたときには、先ほどの浄化の道などという思いからはほど遠く‥‥。まあ、こんなことをしたり、一日断食のあとついつい間食をして食べ過ぎてしまったりを繰り返しながら、それでも私は、一日断食を続け、少食と断食への関心を深めていくだろう。なぜ、少食と断食への関心がこれほどに強くなっているのか、もうすこし掘り下げるべきだとは思っている。

結局、朝の瞑想はできなかった。やはり金曜の断食をしばらく続けるべきかも知れない。

◆本が届く
電車のなかでは岸田秀の『唯幻論物語』を読んだ。数日中にエポケーの方でかんたんに取り上げるだろう。帰宅すると、アマゾンで注文していた久保田展弘の『週末断食―空腹から見えてくる「空」の思想』(used)が届いていた。これは読むのを楽しみにしている。
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