瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

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自分の履歴を自覚的に手放す

2013年08月10日 | 瞑想日記
一度目の脳梗塞は、2008年1月2日(水)に起こった。暮れの12月28日からはじまった八王子での瞑想合宿の6日目であった。午前中の、先生のダンマトークをメモする字が乱れ、面接時に話す舌の動きが鈍く、歩行瞑想でもふらついた。父が脳梗塞で倒れた時の経験があるので、すぐ病院に行く必要があると感じた。いくつか電話してもらったがベッドの空きがなかった。しかしたまたまキャンセルが出た八王子市内の脳神経外科の病院がありその日のうちに入院できた。そのためか麻痺は軽くすみ、右手で字が思うように書けなかったのと、少しろれつが回りにくくなった程度であった。5日間の入院と退院後2日の病欠後、すぐ職場に復帰した。その20日ほど後のブログで、私はすでにミンデルとの関係で自分の脳梗塞の意味を考えていた。

1ヶ月もたつと麻痺もほとんど消え、発病前と変わらぬ生活に戻っていた。ところが1月27日、急にまたろれつが回らなくなった。回復するどころか明らかに後退している。少し、不安になった。また小さな脳梗塞が起っているのではないか。かかりつけ病院にいった。医者の判断は、本人がまたしゃべりにくくなったと感じるなら、ほぼ確実に小さなな脳梗塞が起ったのだろう、とのことだった。しかし、入院するほどのこともなく、結果を追認するだけのことだからと、MRIもとらなかった。

ただ不安に感じたのは、小さな脳梗塞が波状的に繰り返される可能性があるということだった。そんな不安の中で私は、ミンデルの『うしろ向きに馬に乗る―「プロセスワーク」の理論と実践』や『シャーマンズボディ―心身の健康・人間関係・コミュニティを変容させる新しいシャーマニズム』を再読した。

「うしろ向きに馬に乗る」とは、日常的な意識のあり方を裏返すことの比喩である。それは、たとえば病気に対して「とんでもない」と言いながらも、一方で「しかし、これは何と興味深いのだろう」と言うことを意味する。

「普通、死は恐ろしいと思われていますが、うしろ向きという異端の考え方では、死が何かを教えてくれると捉えることもできます。‥‥苦しみに対して『嫌だ』と行って何を試しても効果がないときには、苦しみに『なるほど』と言ってみてください。そうすると、トラブルが何か面白いものに変化して、喜びにあふれ、笑いをこらえきれなくなるかもしれません。」

プロセス・ワークは「世界に対して今起りつつある出来事の可能性を見抜き、何かが展開しようとしている種子として世界をとらえる」ことだという。この時、私は「自分にとって脳梗塞は、可能性に満ちた種子なのかもしれない」と書いている。

次に再読した『シャーマンズボディ』。 読み出してさっそく、思わず感嘆してしまう言葉に出合った。人は、何らかのワークや修行をすることで、あるいは年齢を重ねるだけでも、「自分のアイデンティティはいずれ消え去らなければならない」ということを学んでいく。個人のアイデンティティ、ないし個人の履歴は、消し去らなければならない。アイデンティティは、「社会的な役割やコミュニティから期待される型をあなたに押しつけ、あなたの境界を定めてしまう」からだ。

「自分の履歴を自覚的に手放すか、あるいは、それにしがみついて死や病気によってそれが奪われることを恐れるか、どちらかしかない。」(何と強烈な言葉か!)

「自分の履歴を手放すことが、この世に生まれた以上は誰もが必ず学ばなければならない決定的に大切なレッスンである」とミンデルは言う。

夢に現れる敵は、実は自分に強い影響力を持つ「朋友」だ。病気も、家族とのトラブルも、同じように強烈な「朋友」だ。「人生の神話とは、望もうと望むまいと、この朋友との対決の物語だ。」 それは、自分のアイデンティティを消し去るまで、何度も何度も繰り返し襲いかかってくる敵であり、「朋友」なのである。人生は、強固なアイデンティティを手放すというたったひとつの主題をめぐって、学習を続けていくプロセスだともいえる。

2008年2月9日付のブログで私は次のように書いている。

―― 私が軽い脳梗塞を体験し、その意味を夢で確認した(夢の内容は省略)のは、「自分のアイデンティティを消し去る」という課題に、私がこれまでにもまして真剣に立ち向かわなければならない、ということだったのだろう。

「自分のアイデンティティを消し去る」とは、今度の脳梗塞の後に私が使った言葉で言えば、「透明になる」「魂の浄化」と同じことだ。私が二度目の脳梗塞を経験してしまったということは、一度目の後、この課題に真剣に取り組まなかったということだろう。だからこそ、もう一度だけチャンスを頂いたのだ。

それにしても「自分の履歴を自覚的に手放すか、あるいは、それにしがみついて死や病気によってそれが奪われることを恐れるか」は、ずばりこの二つの選択肢しかないことを突き付けられる。私は、「自分の履歴を自覚的に手放す」チャンスをもう一度だけ頂いた。このことを肝に銘じよう。
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病後にミンデルを読み返す

2013年08月09日 | 瞑想日記
今回の脳梗塞の発症とその後の入院生活、そして病院のスタッフの人々の働く姿を見ての喜びなどを思い返すと、何かとても静かな心でその全体を肯定的に捉えている自分を発見する。だからこそ、ミンデルをもう一度読み返そうという思いが湧いた。しかし、本を読み返すまでもなく、過去にこのブログにミンデルの言葉をたくさん載せてきたのを読み直す方がよいことに気づいた。このブログの右上の検索欄で「ミンデル」と入れて「このブログ内で」で検索した。それらを読み返していると、前回の脳梗塞(2008年1月)に触れているものもあり、その頃のブログも読み返した。ともあれ、病気のあとミンデルの言葉を読み返すと、また感慨深いものがある。

まずは簡単にミンデルの紹介。

ミンデルは、身体と夢とを同じ本流から流れ出た支流と考えて、その「つながり」、「関係性」を注意深く見ていく。体の症状も夢と同じように無意識の創造的な発現である。夢に意味があるように身体に起こっていることにも恐らく意味がある。それは単に悪いものではない。夢=身体(ドリームボディ)における夢と身体との関係には、原因も結果もない。夢と身体には鏡を介在したような相互に反映しあう関係があるだけだという。 夢と身体症状は、お互いに分身であり、夢のイメージも、身体の症状も根元は同じと考え、その共通の根元を夢と身体の一体になった「ドリームボディ」と名づけた。

ミンデルは、かかわりをもつ人間の中に、あるいは人間同士の関係のなかに、さまざまな現実そのものの中に、それらに即して、全体性を回復するうねりのような力を見ている。押さえつけていたもの、無視したり抑圧していたりしたものを明るみに出し、それらが充分に働くようにすれば、それが展開することで全体的な調和が生み出される。「大きい力」を心身や社会という現実そのものに内在する運動と見ている。

タオ=「ドリームボディ」=「大きい力」=「時空を超えた世界」が、実はこの日常的現実とひとつであり、夢や身体症状や偶然の一致や、一見不幸な出来事などの形をとって、絶えずこの現実の中でプロセスを展開しているということ。タオと現実とがひとつらなりであること。その働きかけを自覚してそのプロセスに自らをゆだねることが心理療法という実践のかなめであり、人間の心理的成長にとっても大切なことなのだ。

現実の中の病や人間関係のトラブルや苦悩や絶望や挫折、それらがすべてタオからのメッセージ、いやタオそのものが発現するための大切なきっかけなのだとしたら。そうだとすれば私は、日常を生きながら、その現実のプロセスの中により深い次元を発見し、その深い次元を生きることができる。そこに気づかせてくれるのが、ミンデルのたまらない魅力なのだ。

以上は、以前書いた文章からの抜粋なのだが、改めて読み直して、今回の脳梗塞を私は最初からこのような視点で捉えていたなと確認した。私にとって今回の病がタオからのメッセージ、働きかけであることは最初から明らかだった。病気を通して、妻との関係も以前よりよくなっている。病院のスタッフの人々の私心のない働きぶり(すべての人がそうだとは言わないが)は、私に静かな影響を与えている。これらすべての経験が、私に深い影響を与えている。

ミンデルは、ドン・ファンの「第一の注意力」、「第二の注意力」という言葉を借用して次のように言う。

「第一の注意力は、私たちが日々の仕事をこなし、定めた目標を達成し、自分のアイデンティティを保つのに必要な自覚である。一方、第二の注意力は、普段無視している内的な出来事、主観的な体験、非合理的な体験に焦点を当てる自覚である。第二の注意力は、無意識的(で夢のような)動作、偶然の出来事、うっかりした言い間違いといった、四六時中生じている自発的なプロセスへ向けられたものだが、それは夢見の世界への鍵なのである。(『シャーマンズボディ―心身の健康・人間関係・コミュニティを変容させる新しいシャーマニズム』)

第二の注意力を育むことによって、日々の生活の場である現実が、豊かな意味をもって働きかけてくる。夢が、私にそっと何かを教えてくれるように、体の症状も夢と同じメッセージを伝えようとしている。日常の中で延々と続けられる散漫な思考や夢想も、気づきさえすれば、私の奥深くから湧きあがってくる「傾向」を物語っている。それは、気づきさえすれば夜見た夢と同じプロセスを物語っている。そして気づき(サティ)は、日常の中でも研ぎ澄ましていくことができる。
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新たな生活

2013年08月08日 | 瞑想日記
退院後一日目の今日は、午前9時から通院のリハビリで、入院していたリハビリ病院に行った。家から電車と歩きで30分ほどだが、乗り換えが2回ある。一人で電車に乗ったがさほど不安はなかった。いちばん苦手だった下りの階段も手すりにつかまりゆっくり下りれば問題ない。通院は9月からの通勤のリハビリになる。

通院は理学療法だけ、担当は若い男性だ。彼も「脳梗塞の2度目は1度目より麻痺がかなり重くなる場合がほとんどだ」と言っていた。私が実は2度目だと言うと驚いていた。いずれにせよ、3度目が起こる可能性は充分あり、その時は今回のような軽い麻痺ではすまされない。そういうリスクを負ってこれから生きていくのだということをあらためて自覚した。

だからこその徹底した食の管理と適度な運動、そして私はそれに加えて気功やヨガ、ゆる体操と瞑想が加わる。食の面では一日半断食も再開しようと思っている。入院中の小食に慣れているので一日半断食もかんたんにできそうな気がする。

夕方、荒川の土手を40分ほど歩いた。後半、家に向かう道では痛みはなかったが、両足がかなり疲れていた。この足の疲れも徐々に消えていくのだろう。発病は、この土手をジョギングして帰り、風呂に入ってビールを飲んだ後だった。アルコールはもう飲まないが、いずれジョギングは再開したい。その時はもちろん水分を充分とりつつ。かつては、この土手をサティしながらよく歩いた。その時々のサティの状態をこのブログでもよく報告した。今日も後半、思い出したようにサティをした。明日はもっとサティに集中しよう。

入院中、ほぼ毎日「ストレッチボード」というのを使って15分ほど、ふくらはぎの筋肉を伸ばしていた。左脚は麻痺の後遺症か、疲労すると夜こわばりやすいので退院後も充分なストレッチが必要だ。それで病院で使っていたボードの簡易版のものをAmazonで見つけて注文した。こんなイメージのものだ。病院では壁を背にこの上(病院のは金属製のもう少し複雑なもの)に毎日15分ほど立っていた。家でもやろうと思っているのだが、どうせやるのだから、私としてはこれをヴィパッサナー瞑想の「立禅」として行うつもりだ。足裏の一点に集中し、その感覚の変化にサティを入れていくのだ。麻痺の関係で足を組むことは今の私にはできない。とすれば、歩行瞑想や立禅、椅子に座っての瞑想が中心になっていく。立禅はこのボードの上でやれば、ストレッチを兼ねることができる。
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退院

2013年08月07日 | 瞑想日記
今日、リハビリ専門病院を退院した。6月30日に脳梗塞で倒れて以来、38日間の入院生活だった。退院を前にした一週間ほどはリハビリのトレーニングはさらにハードになった。疲れて夜はぐっすり眠れた。家に戻ってすぐ体重を計ったら66.2キロだった。入院前が71.5キロだったから一か月ちょとで5キロは痩せたことになる。目標の65キロには届かなかったが、次の一週間の目標としよう。

最初の入院生活も、その後のリハビリ病院での生活も私にとっては始めての貴重な体験だった。最初の病院だけではなく、リハビリ病院という職場で働くケアワーカー、看護師、理学療法士、作業療法士の方々の姿にも深い感銘を受けた。こんなに素晴らしい方々が揃っているのは、ここが特別な病院だからとは思はない。たぶんこれが、日本の病院の当たり前の姿なのだろう。

麻痺が軽く、回復も順調だったため、心に余裕があったこともあって、病院での出会う人々との会話も楽しんだ。私を担当してくれた理学療法士や作業療法士、そして食事のとき同じテーブルだった患者の人々との会話も貴重だった。退院を楽しみにしている人も多かったが、私はもう少しこの病院にいてもよいと思ったくらいだ。スタッフの人々の気持ち良い働きぶりや患者への気遣い、声掛けなどを見ているだけでもうれしかった。

一方で、発病後に強くあった退院後の生活への気負いが薄れているのを感じる。二度とも麻痺が軽かったことの幸い、だからこそこれからの人生は魂の浄化を第一に思って、徹底的に生活を管理していこうという思い。もちろんその思いが消えたわけではないが、「しっかりやれよ、ともう一度だけ与えられたチャンスなのだ」という意識が当初のように強くはなくなっているようだ。発病前以上に、これをやりたい、あれをやりたい、あるいはあの本を読みたいといった欲も出てきている。これはこれで、平凡な人間のどうしようもない心の動きなのだろう。

ブログを書いていていいなと思うのは、二度も軽い麻痺で済んだことへの感謝の思いを書いた自分の文章を読み直すことができることだ。その思いが薄れてきたら何度でも読み直そう。しかも、こんなブログでも見ず知らずの人が読んでいてくれていて、時々コメントをくれたりする。入院中にもいただいたし、今日もいただいた。

脳梗塞で二度入院し、いずれも軽い麻痺で職場復帰できるということが、私にとって何を意味しているのか。その重い意味をずしりと受け止めよう。二度目は自分で動けなくなっていても不思議はなかった。普通の生活ができる命を「いただいた」のだと受け止めなければ、申し訳ない。「いただいた」命として生き、その生き方を報告しなければ、このブログを続ける意味はないのだ。


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リハビリと回復

2013年07月30日 | 瞑想日記
6月30日に脳梗塞で入院、7月16日にリハビリ専門病院に移った。発症してちょうど一か月、専門病院に移って2週間が過ぎた。リハビリは順調に進んでいる。左手の機能はほぼ9割は戻っているだろう。日常の動作には何の問題もないが、力はまだ、発症前の8割程度しか出ないと感じている。

歩行も、急速にもとに戻りつつある。4・5日前は、300メートルほど歩くと、左足が十分に使えない分、右足に負担が来て足の付け根が痛んだが、今は左足もだいぶしっかりして来て、軽く3キロは歩けるようになった。しかしまだ敏速な動きや複雑な動きは難しく、まして走ることはできない。それでもこの調子で回復して行けば、9月から職場に復帰できるのは、ほぼ確実だろう。

リハビリは、かなり体力を使う。椅子に座った姿勢から立ち上がって、また座る動作を繰り返す「立ち上がり」運動を、自主トレも含め、一日300回。四つん這いの状態で右手、左足を水平に10秒ほど保ち、挙げる手足を交互に変える「体側バランス」も、20分から30分行う。この他にも手足の様々な筋トレ的な運動を行うので、かなりエネルギーを使う。一日1400キロカロリーの食事でこれを続けているから、2週間で3キロほど体重が減った。たぶん、退院時の8月8日ごろには、発症前と比べ6キロほどの減量となるだろう。

体重が減ったせいか、この2・3日、体がかなり爽快である。これまでの日常の中では、これだけの食事制限とトレーニングを行うことは、意志の弱い私にはとてもできなかった。しかし、脳梗塞という病気を与えられ、病院でのリハビリ生活という環境を与えられて、これまでの食生活の間違いを、自分の体で学ばされた。体のこの快調さを保つことを忘れてはならない。この爽快感を忘れなければ、再び過去の食生活に戻ることはないだろう。

トレーニングの合間にゆる体操と気功のスワイショウは行っているが、瞑想はほとんど行っていない。今後、瞑想の時間も徐々に取っていこうと思う。

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感謝すればするほど

2013年07月24日 | 瞑想日記
7月20日(土)から21日(日)にかけて、入院先から自宅に外泊した。電車を利用して帰ったが、10分ほどの徒歩が思ったより足に負担になったこと以外は、大きな問題はなかった。家での生活も風呂やトイレも含め、注意してゆっくり行えば自分ひとりで行うことができた。

問題は、食生活の管理かもしれない。乗り換え駅の構内の飲食店からいい匂いがしてくると、病院では感じなかった空腹感を感じた。病院内では一日1400キロカロリーの減塩の食事になれてしまい、ほとんど空腹を感じなかったが、俗世間にはあまりに誘惑が多い。自宅にも菓子類やらなにやらがやたらに目につく。さっそく小さなクッキーを二つ食べてしまった。しかしそれ以外は、かろうじて小食を守ることができた。

すでに何回が触れたが、今回の私の脳梗塞はいくつもの幸運が重なって、いろいろな意味で深刻な事態に陥らずに済んでいる。これらがすべて偶然だったとは思えないのだ。

まず看護師だった妻のおかげで発見が比較的早く、発症の翌日には入院することができたこと、そのため麻痺が軽かったこと。さらに、発症、入院が時期的に絶妙なタイミングだったので、職場への迷惑が最小限で済んだことなどだ。発症が期末試験の直前だったので、授業は、一日2時間分しか穴をあけずに済み、期末試験の問題作成も採点も、その後の成績処理もほどんと病院で自分でできたのである。その後は夏休みに入るので、「再任用」という身軽な立場の私は心置きなくリハビリに励むことができる。しかも8月31日まで病欠という診断書がで、2学期からは職場に復帰できそうなので、この点でも職場に迷惑をかけず、私自身、任期いっぱい仕事を続けていこことが可能なことだ。

長男が、時間の自由がきくため、試験問題の受け取りや、採点の終わった試験問題の持参に学校まで行ってくれたのも幸いだったし、次男が理学療法を学ぶ学生で、マッサージをしてくれたり、リハビリについての助言をしてくれるのも大きい。

しかも、二度目の脳梗塞がこれだけ軽かったこと自体がかなり幸運で、私は三度目を起こさないように生活の質を変えていかざるを得ない。それ故これは、「生活の質を変える」ように何者かに仕向けられたとしか思えない。生活の質を変えるとは、心と体の浄化を第一に考える生活ということである。もともと私にとって、心の成長、魂の浄化こそが生きることの意味であり、人生の目標だった。最近、その道を踏み外していたのを、「もう一度だけチャンスをやるから、しっかりせよ」と最後の機会を与えられたのだと思っている。

もちろん、これらすべてを「単なる偶然だよ」という人もいるだろう。しかし、私にとっては「何者かがこうしてくださった」としか思えない。また、そう思うことが、自分自身の生き方を変える力になる。そう信じることによって生じるプラスのエネルギーは計り知れない。

だから、こういう事態が起こったということに「ありがとうございます」という感謝の言葉しかでてこない。そして、そう思えば思うほど、様々な誘惑に耐えて自分の生活をコントロールしていこうと強く思うのだ。

自宅に戻り、日常の生活が始まっても、生活のコントロールは続けていくことが出来るだろう。そうしなければ、三度目の脳梗塞の危険がありうるし、何よりも「もう一度あたえられたチャンス」を活かせないことになるからだ。感謝の気持ちは、実行することで示さなければならない。
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これからの生き方

2013年07月19日 | 瞑想日記
今日、主治医との面談があった。脳梗塞に加え、脂肪肝になっていることは前の病院でも指摘されたが、加えて糖尿の傾向があるとのことだった。前の病院の医者は、動脈硬化はそれほど進んでいないと言っていたが、こちらの病院の医者はとくにそれは指摘しなかった。逆にこう言われた。

「動脈硬化は、よくなるということはない。退院していちばん心配なのは、病院でのように食事の管理が出来ず、またもとの食生活に戻ってしまうことだ。その結果、3度目の脳梗塞があれば、今度は手足の重い麻痺が残る可能性が高い。」

もし三度目の脳梗塞があれば、今度は軽くは済まないだろうということは、私自身、充分に自覚しているが、医者に改めて言われてみると、ズシリと心に響いた。

今後は、いつ三度目の脳梗塞があってもおかしくないという覚悟の上に生きていくことになる。自分で動くことができない体になって生きていくことはもちろん可能な限り避けたい。そのためには、徹底的な食と生活の管理が至上命令となる。病院では今、一日1400キロカロリーの減塩食を食べている。自宅でもこれに近いカロリー摂取量を保たなければならない。食べ物も自然食品や添加物の少ないものなど、かなり選んでいかなければならない。気の合う友人と飲食するするのはいいにしても、アルコールや食べ物は大幅に制限しなければならない。

ともあれ、自分の命が限りあるものであることを意識し、生活を徹底的に管理し、制限しながら生きていかなければならない。そんな風に生きていく上で、私が最も優先して行うべきことは何だろうか。自ずとそういう問いが湧いてくる。その問いを思いめぐらしているとき、何となく浮かんできた言葉は、「透明になる」であった。自分自身の心と体を可能な限り透明にいしていく。

今、一日1400キロカロリーでもほとんど空腹感はない。つまり、発病以前に食べ過ぎていた分はすべて、心の中の本質的な満たされない部分を食べることでごまかしていたのだ。人間が、心の中にいつも満たされないものを抱えていることの根底には、この世に限りなき命として投げ出されているという、命あるものの本質的な条件が横たわっている。だからこそ人間は、本質的に満たされないものを満たそうとして、過食に走ったり、金銭欲に走ったり、名誉欲や権力欲に走ったりするのだ。

たぶん、自分を限りなく透明にしてくとは、満たされないものを満たそうとする無駄なあがきを削ぎ落していくということだ。そしていつ死んでもいいように、死ぬ準備をしていくということだ。だからと言って、死に急ぐという意味では決してない。いつでも死を受け入れられるような心と体になっていくということだ。それは、魂の成長という意味である。つまり、人生の最優先課題は、魂の成長であり、悟りだ。

私は、あまりに凡夫なので、魂の成長のためにわざわざ、二度の脳梗塞という条件を与えてもらったのかもしれない。

病院で出会う、様々な人々との会話が楽しい。ちょっとした会話の中で、魂の深い部分で触れ合える機会が増えればいいと思う。

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リハビリテーション病院

2013年07月16日 | 瞑想日記
今日、これまでいた病院からリハビリテーションの専門病院に移った。歩いても10分ほどのところにある系列病院だ。

この病院のスタッフの人々、病室の環境も気に入っている。恵まれた環境を最大限に生かして、リハビリに、気功に、ゆる体操に、そして瞑想に取り組みたい。今、私にとって望ましい最高の環境が与えられたと思っている

午後からさっそく本格的なリハビリが始まった。この病院は、かなり運動量の多いリハビリを行う傾向が強く、いきなりかなり汗をかいた。左足の筋力を鍛えるために、椅子からたったり座ったりを30回繰り返すのを1セットとして、それを10回繰り返した。私としても、早く回復したいので、厳しいのは願ったりかなったりだ。

空き時間も、パソコンでの作業(ブログや2学期のプリント準備)の合間は、極力自主トレをやっていきたい。ゆる体操は前の病院でもやっていた。先程、自発動気功をやってみたら、自然に動きが出てきた。両手の間の気の感覚も戻りつつある。気功は膝をまげた状態で体重移動が多いので、左脚のリハビリにもなる。

今日から、ベッドの脇にすわっての瞑想も始めようと思っている。先程、理学療法士の方と雑談していたとき、座禅で組んでいた足の血の巡りが悪い時に、足のどこかで血の塊ができ、それが脳に移動してその血管を止めてしまうことがなきにしもあらずという。正確には専門家に聞かぬと分からないが、少しでもリスクのありそうなこは避けたい。今後、歩行瞑想や立禅を多くしたいと昨日書いたが、座る場合も足を組まず椅子などに座る形にしようと思う。

ともあれ時間的にも環境的にも恵まれた状態を、有効に使っていきたい。病気で入院というこの機会を無駄な使い方はできない。最大限に大切に意味深く使いたい。
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脳梗塞後の瞑想をめぐって

2013年07月14日 | 瞑想日記
病室でこうしてパソコンに向かっている。このブログを開いた。それぞれの日のエントリー記事の最後に「このブログの人気記事」という欄がある。やはり最近の記事がいちばん読まれているが、おやと思うような古い記事も意外と人気だったりする。そんな古い記事のタイトルをぼやっと見ていると、かつて精神世界や魂の成長が関心の中心だった頃と今とでは、やはり何かが違うと感じた。

一昨日「病と食と瞑想」の記事で書いたことを反芻した。これからの私は、もちろん小食を保ち、食を徹底的に管理していくことになるだろう。脳梗塞の再発を避けるためには当然のことだ。同じ理由で、ヨガや気功やゆる体操も、自分なりに工夫して、おおいに実践していくだろう。

では瞑想はどうなのか。やはり5年前の軽い脳梗塞が瞑想合宿中だったことが少し引っかかっている。これまでの数回の瞑想合宿で私は、そのつど重要な抑圧への気づきを促されてきた。しかし合宿の前半は、猛烈な雑念との闘いに陥ってしまうことが多かった。それは自己との苦しい闘いでもあり、ストレスでもあった。5年前の脳梗塞はそのストレスも少しは関係していたかも知れぬという疑いを捨てきれない。もちろん自宅での40分や50分の瞑想は、むしろ精神的なリラックス状態を作るから、問題はないのだろうが、もしかしたら足を組み、呼吸もかすかになっていくことが、血流に関係するのかという引っかかりもある。

しかし瞑想で、雑念や思考のない状態が人間にとってどれだけ重要な意味を持つかということをまがりなりにも知ってしまった。大切なことは、肉体的にも精神的にも、自分に無理を強いることなく、脳梗塞再発の危険をもつ自分にとって最適な瞑想のあり方を工夫していくことだろう。とすれば私にとってこれからは、歩く瞑想や立禅、そして日常のサティ(気づき)にもっと力を入れていくべきなのだろう。歩く瞑想は、座禅に比べはるかに苦手だったがこれからはこちらに重心を移していくべきかもしれない。

精神世界や魂の成長、覚醒がわたしにとっての関心の中心だった頃、覚醒をめざすこと自体がエゴの欲求からだったように思う。エゴからの解放をエゴの欲求として求める矛盾。今は、エゴの欲求として魂の成長や覚醒を求める傾向があまりなくなっている気がする。そしてエゴの関心はもっと別のところに移っていた。教壇に立つことの面白さや、友人と飲んで語ることの楽しさや、政治・経済への関心など、より俗っぽい世界への関心が強まっていた。

今後はどうなるだろうか。食と健康の管理は、瞑想的な生活につながっていくだろう。しかしそれは、かつてほどエゴの欲求に根ざすものではなくなっていくだろう。俗世界への強い関心もつづくだろうが、より地に足のついたかたちで精神世界の探求が深まっていくかもしれない。
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病と食と瞑想

2013年07月12日 | 断食・少食
脳梗塞をきっかけにチャンスがもう一度与えられたと覚悟して生活習慣を改め、過食を止めることは、私にとってもう一つ大事な意味をもつ。一応瞑想を志す人間として、過食がマイナスであることは嫌というほどわかっていたはずだ。中途半端だった瞑想を深めるためにも、いい機会を与えられたのだ。この程度の麻痺で、これから食生活をすっかり改め、心と体の両方からの修行をやり直す機会を与えてくれた何ものかの計らいに、心から感謝している。

私の元来の関心分野は精神世界にあり、魂の成長(究極的には開悟)こそが生きることの意味だった。それは今も基本的には変わらない。しかし最近の関心は政治経済分野に移り、精神世界への関心は薄れていていた。その分、瞑想にも熱心でなくなり、同時にその条件たる小食への関心も薄れていた。

少なくとも私の場合、瞑想の深まりや無意識への気づきが、小食と密接な関係があることは何回かのヴィパッサナー瞑想合宿の体験から嫌というほど分かっていた。にもかかわらず最近は食への欲求に安易に身を任せていた。体が要求するより旨いものを食べたいという欲求で過食になっていた。両者の違いにサティも入れずに。

入院して明日で2週間。その間病院で出る食事とお茶以外は飲食していない。それで空腹と感じることもない。これまでの私がいかに必要以上に食べていたかだろう。瞑想者であるなら、その時々の自分の食べたいという心理の動き、実際の満腹度等にしっかりサティ(気づき)を入れるべきだったのだ。


が、これからはそのようなサティ(気づき)の入らない過食、旨いものを食べたいという欲求に無自覚に身を任せることは許されない。三度目の脳梗塞は、実質的に人生の終わりだからだ。求道こそが人生の意味だとすれば、この病は私に与えられた最後のチャンスだったのだ。ある意味で私を追い詰めてくれたのだ。体と心の両方を整えて修行をしていくための最高のシチュエーションを与えてくれたのだ。だからこそ、この病に感謝している。

午前中の作業療法のリハビリ時、左手の機能回復度を見る簡易検査をした。驚いたことに結果は100%の回復だった。パソコン操作の感覚からかなり回復している感じはあったが100%とは!自分ではまだ多少の違和感は残る。力入れようとしも、まだ8割ぐらいしか入らない感覚だ。

今日いちばんうれしかったのは、院内を一人で自由に歩いてよいという許可が出たことだ。これでベッドわきの簡易トイレに頼らずに済む。一人で補助具なしに自由に歩き回ることの喜び。しかし、足の機能回復はまだ7割程度だろう16日にリハビリ専門病院に転院し、リハビリを続けることになる。
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病を肯定的に捉える

2013年07月11日 | 断食・少食
7月7日(日)今日はリハビリ指導なしなので自主トレのメニューをいただいた。採点関係の仕事に疲れるとベッドに横になり静かにできるメニュー(息子に指示されたものや自分独自のも含む)から始め少しきついものに移っていく。ベッドに腰掛けて行うものもある。終わるとまたパソコンに向かう繰り返し。

今日は七夕なので病院の昼のメニューもそれにちなんだ心のこもった料理。病室で一人である程度時間をかけて食べれるので、できるだけ雑念を追わず食べる動作やゆっくり噛むこと、飲み込むことなどに集中して食事をしている。原始仏教の流れをくむヴィパッサナー瞑想では食事瞑想が重視される。
リハビリも一つ一つの動きをゆっくり筋肉の動きなど確認しながら、あるいは動きを見ながら行うことが重視される。それが脳との回路をつなげるのに重要らしい。つまり他のことを考えずに集中してそれぞれの動作を行う。ヴィパッサナー瞑想でも一つ一つの動作をゆっくり確認しながら行う。

食事はヴィパッサナー瞑想の要領で一つ一つの動作に気づきを入れてゆっくり行う。食後もしばらく各動作に気づきを入れ続ける。たとえばお盆をテーブルからベッドの脇へ移す時、腹の筋肉に力が入る。「腹」と言葉で確認しその動きに気づく。使う筋肉の動きを意識するのがリハビリでも重要だ。

結局ヴィパッサナー瞑想は、意識を100%クリアに保つ訓練なのだ。色々な思いがほとんど無意識に流れていったり、日常の主動作を無自覚に行うのではなく、ひとつひとつに完璧な気づきを入れることを目指す。これはリハビリにおいて自分の動作をひとつひとつゆっくり確認しながら行うのと重なる。

父も脳梗塞で麻痺はかなり重く、外出は車椅子だった。しかし再発はなかった。私もそれを見ていたせいか再発はないだろうという思いがどこかにあった。薬を飲んでいれば大丈夫だろうと、生活習慣を顧みることがなくなっていた。しかしこれからは再発を意識し徹底的に食と生き方を変えていく覚悟だ。

もし三度目が起こったら、それは二度と普通の生活には戻れないということだと覚悟している。だから三度目を起こさないため生活パターンのすべてを変えていかなければならない。食事の量、質、運動‥‥。体重を今より7~8キロ落とし、血圧も下げる。ヨガやゆる体操や気功の再開、そして瞑想。


7月8日(月)午後、作業療法士の方が来てくれリハビリ。リハビリ室まで補助具も介添えも一切なしで歩く。ほとんど不安も感じなかった。しかし左足の機能回復は6~7割程度と感じる。足首を軸に甲を左右に動かすなどの動きは4割も回復していないか。

朝、校長から今夕行くと電話があった。リハビリが終わる頃、激しい雷雨の中を見舞いに来てくれた。校長としての部下への心遣いからなのは間違いないが、2学期以降大丈夫かという心配は多少あっただろう。だから私としては廊下を補助なしに元気に歩行する姿を偶然に見てもらえるのが、最も望ましいことだった。それが実現した。

実は、3時になっても答案が届かず少しイライラしながら病室で待っていた。その時、作業療法士の方がリハビリに迎えに来てくれたが、4時に時間を変更してもらった。3時半に答案が届き、4時前からリハビリ開始。ちょうど終わった頃に校長が訪れ、彼が廊下で待っているところへ私は「颯爽と」近づき病室へ案内できた。まさにグッド・タイミングで一人で歩く姿を校長に見てもらえたわけだ。

6月30日の日曜日、看護師だった妻が簡単なテストで脳梗塞と判断しすぐに入院していなければ症状はもっと重かったろう。長男がフリーの立場にあり答案の受取り受渡しなどしてくれなければかなり厳しい状況だった。次男が就職前で比較的時間があり、毎日来て専門家としてマッサージやアドバイスをくれる。

脳梗塞しないに越したことはないが、その後の様々なことは順調に回っている。これをキッカケに本気で自分の生活パターンや生き方を変えるよう誰かが計らってくれたのだと考えて、本当に実行しないていかなければ。むしろそのように仕向けられたのかもしれない。

今回の脳梗塞についてかなり肯定的に捉えている自分に少し驚いている。一般に病気を肯定的に捉えることはかなり難しい。しかし否定的に捉えるほど、自己治癒力も発揮されにくくなる。私の場合は麻痺が軽度だったこともあり、生き方の立て直しのチャンスが与えられた。


7月9日(火)昨日の午後3時過ぎに自分の科目の試験の答案が届いてからは、ひたすら採点。今日も朝5時半から採点。ちょっと疲れたら軽くリハビリ運動をするが、採点が始まってからの運動は少ない。その分、足が固まっていくような不安が少し。リハビリ室への往復でも昨日より若干ふらつきあり。


7月11日(木)昨日、成績処理関係の仕事もほぼ終わり病室でインターネットに接続できる環境になった。それでリハビリとインターネットを交互にしている。ただこれまでウェッブでだらだらと時間を使ってしまう傾向があった。これからはウェッブ上でやることのメリハリをつける。これも重要な生活の立て直しだ。

歩行時の左足の動きは一昨日よりかなりスムーズになり、不安も少なくなっている。ツイッタ―で何人かの人が励ましの言葉をくださったのも励みになっている。この調子でリハビリを続けていきたい。
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脳梗塞、再び

2013年07月11日 | 断食・少食
6月29日(土)夕方3キロ程ジョギングをして入浴し、夕食時に軽くビールを飲んだ。その後少し足がふらつく感じがあった。その時は、あれ位のビールでふらつくのは体調のせいかなと思った。しかしそれが脳梗塞の前兆だった。夜中2回トイレに立った時も、ふらつきは続いていた。

翌日、朝起床して居間への階段を上った時もふらついた。そのことを妻に告げると看護師だった妻はすぐに簡単な脳梗塞のテストをしてくれた。両手を肩の高さに挙げると左腕が下がった。私はかなりためらったが妻の説得で救急車を呼んだ。日曜なので診察してもらうにはそうするほかなかった。

病院でのMRI検査で脳に9ミリ程の梗塞ありと判明し、即入院。点滴を始める。驚いたことに一晩たち(7月1日)、病院のベッドで目覚めると、左手足の麻痺があり、思うように上がらず一人で歩こうとすると転倒しそうな状態だった。左手も自分でうまく制御できなかった。

同日の朝、働いている高校に連絡を取る。5日と8日に自分の科目の試験があり、まだ未完成だったので病院にパソコンを持ち込み、完成したらメールで送ることを伝える。今後、採点から学期末の評価まですべて病院で行いメールで送ることになる。答案は息子が取りに行ってくれる。

7月2日(火)午前中再びMRI、脳と首の部分で併せて40分。その後、首と心臓のエコーを取る。心臓のエコーを取っていただいた年配の技師が面白い方で、ご自身が体重92キロから65キロへ半年で減量したという。私の脳梗塞については2回とも軽度というのは信じられないほどラッキーとのこと。

実は5年前に一度軽い脳梗塞を経験している。その時は右手の軽い麻痺と軽い言語麻痺があったが、冬休み中に5日入院しただけで職場も2日休んだだけですぐに教壇に立った。麻痺は1か月ほどでほぼ正常に戻った。脳梗塞は再発が多く、しかも2回目は重症になることが多いという。

脳梗塞が2回とも軽度だったにせよ3度目はそうとは限らない。何ものかによってもう一度だけチャンスが与えられたのだと理解し、今度こそは生活習慣や生き方自体の立直しをしようと真剣に考えている。まずは減量だ。私は入院前167センチ、72キロだったが65キロまで落としたい。


7月3日(水)両足で自分で立っていることは出来るが、一人で歩くことは困難な状態。左手は食事のお椀を何とか持てるがかなり不安定だ。ともあれ自分が教えている2科目分の試験問題を作らなければならない。左指はかなりゆっくりならキーボードを押せる状態。授業プリントをテスト用に改編して作成。

昼頃、リハビリを担当してくれる20代前半の理学療法士の女性が来てくれ、いよいよリハビリ開始だ。ここは救急病院でリハビリ専門ではないので一日2時間程だが、専門の方の懇切な指導を受けられるのはうれしい。また次男が理学療法の学生で毎日来て指導やマッサージをしてくれ有難い。

9月には脳梗塞前と変わらぬ状態で職場復帰するのが私の目標だ。そのためできることは何でもやろうと強く思った。自分でできるリハビリは時間と状況の許す限り全力でやるつもりだ。とりあえず左手足の関節や指の運動でベッド上等で出来る動作を試験問題作りなどの合間にできる限りやっている。

7月5日(金)担当の理学療法士の方が休みの場合は他のスタッフが来てくれる。理学療法士の指導に個性の違いがあって面白い。この日は、病室のある三階の廊下を、補助具を使って三周歩いた。自分が現段階でどれほど歩けるのか確認できてよかった。これだったら何とか普通に歩けるようになるぞと思った。

7月6日(土)昨日は私が右手に補助具(点滴棒)を持ち左手を理学療法士に支えられて歩いたが、今日は補助具のみだ。小股に、かかとからつま先へ順に踏んで、膝を突っ張らず柔らかく。指導されたことを守ると、かなり滑らかに歩けるようになるのを感じる。急速な回復を理学療法士の方々も驚いていた。
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私は私のエゴを嫌っている

2013年06月29日 | 瞑想日記
遠い親戚筋にあたるAさんとは、関心分野がおなじこともあって、ある歴史研究会に誘い、その会ではよくあっている。しかし、最近、お互いの政治的立場や歴史のとらえ方の食い違いからよく議論をするようになった。私は、彼の歴史解釈のここが違うと事実を示して説明するのだが、彼もまたかれなりの根拠から私の意見を受け入れようとはしない。

最近私は、彼との意見の違いが非常に気になり、瞑想中にもその件をめぐって考えてしまうことが多い。今日、以下のようにツイートしたのは、彼を巡ってのことである。

「もしAさんを嫌ったり、その言動が気に障ったりしているなら、それは確実に私の中のAさんと戦っているのだ。頭でそう分かっていてもやはり現実のAさんのことが気にくわない。でも瞑想中にやっと分かった。私は私の中のAさんと戦っている。つまり私が、私自身の自我を許容せず、それと戦っていると。」

これに「難しい文章だけど何か納得する」とコメントをつけてくれた方いたので、それに次のように返信した。

「コメント感謝。好きな言葉『自分を愛せる程度にしか人を愛することもできない』。自分を受容できる程度にしか人を受容することもできないのだと思います。自分を嫌っている部分があるとそれを人に投影してその人を嫌う。昔イイカッコしいだった私はカッコつける人がまじ嫌いでした。」

私が、Aさんとの議論にこだわってしまうのは、あくまでも私自身の問題であることは、頭ではよくわかっていた。それが私自身の自我、我執をAさんに投影し、その投影された自分自身の我執を嫌っているのだということも何となくは分かっていた。しかし頭でわかっているだけではどうにもならないのが、難しいところだ。

しかし今日、瞑想中、雑念がまたまたそのことにおよび、それを巡ってサティをしているうちに、これが私自身のエゴの問題なのだということが、これまでの頭の部分での理解より、かなり得心の行く感じで分かった。

私がAさんを巡って、気に障ったり反発したり、何とか納得させようと考えたり、いろいろと考えてしまうのは、すべて私のエゴがそうさせているのだし、自分で自分のエゴと戦っているのだ。それがよくわかった。私は、私自身のエゴを心の奥深いところで許していないのだ。そういう我執に囚われた自分をどこかで嫌っているのだ。それをAさんに投影してAさんのことが気に障るのである。私は、私のエゴを嫌っているのである。それが今までに比べ深い部分で見えてしまった。

今日は、瞑想の前半、いつもに比べ雑念が多かったが、その分、充実した心随観が出来たと思う。
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さ迷う心に気づくようになる

2013年06月25日 | 瞑想日記
週に4日は、朝40分から1時間ほど瞑想をしている。昨日は45分ほど。これまでずっと続いていた比較的クリアなサティ(気づき)があまり保てなかった。今日は1時間ほど。雑念は比較的多かったけど、後半によくなった。

次のようなツィートをした。

「心は常にころころとあちこちに転がるから心という?心は四方八方に飛び、これを思っていたと思えば次の瞬間はあれを考えていて、自分でもフォローできない程だ。だからこそ瞑想中は基点となる一点を設け、心がどこかへ飛んだと気づいたらそこに帰るようにすると、自分の心の動きがクリアに見えてくる。」

確かに私たちは、一瞬前に考えたことも覚えてい程、様々な思いが湧いては消え、湧いては消えを繰り返している。だから腹の動きなら動きを基点にして、心がそこから飛んで行ったらそれに気づいて(サティして)また基点に戻るという作業が、シンプルだが大切な意味をもつ。

心をある程度は基点に据えられるようになると、たとえ心がどこかへさ迷っても、そのままあちこちさ迷い続けることがなくなる。こころが今何を考えたがすぐに分るようになる。そして基点に戻る。それを繰り返していると、「つねにさ迷い脳内に波紋を増幅し続ける」という心の性癖が、だんだんとコントロールできるようになる。少しさ迷ってもすぐに気づき、戻る。そうなると波紋が少なくなり脳内が澄んでいく。それがはっきりと分るようになる。その喜び。心が澄んでいくその感じが分かるようになると、瞑想は大きな喜びとなっていくだろう。

さ迷う心に気づいたら腹への集中に戻りまた戻るということを繰り返していると、さ迷う心が作る波紋が少なくなり、脳内が澄んでいくのが分かる。そうするとさらに脳が澄んだ状態になることを願い、ますます瞑想を続けることになるだろう。
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グリーンヒル瞑想研究所

2013年06月24日 | 瞑想日記
6月10日付の「瞑想の不思議」にリンクして紹介した瞑想合宿のレポートは、グリーンヒル瞑想研究所の合宿に参加したときのものだ。瞑想の指導者は地橋秀雄先生である。この方のツイッターを去年の12月分から、先程じっくり読ませていただいた。以下がそのツイッターのサイトである。

グリーンヒル瞑想研究所

読みながら、瞑想を行っているときのようなシーンとした脳の静まりに包まれていた。最近、瞑想を復活し、かつての瞑想合宿での体験を思い出すことも多い。地橋先生の言葉からくる様々なものを受け取るのも久しぶりだが、読むほどに瞑想への思いがよみがえる。7月か8月の東京瞑想会に参加し、先生ともお会いしたいという気持ちになっている。

何回かの瞑想合宿は、みな八王子の研究所で行われた。ツイッターを読んで知ったのだが、研究所は八王子から下館に移ることになるそうだ。グリーンヒル最後の合宿が6月18日で終了したとのこと。読んでいて胸にこみ上げるものがあった。あの緑多い研究所の部屋のひとつひとつが懐かしい。

瞑想中の雑念に苦しんだり、内面での思わぬ展開や気づきに感動したり、信じられないようなゆっくりとした動作で食事しサティをする中でも様々な気づきがあったりと、私の人生の中でもとりわけずしりと充実した体験の記憶が、あのグリーンヒルの合宿所につまっている。

それらの体験が、これからの私の瞑想の原動力となっている。
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