日本基督教団中津教会

中津教会での出来事を書いていきます。

ルカによる福音書24章44節-53節「キリストの昇天」

2013-05-23 15:24:18 | 説教
そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。
                 ルカによる福音書24:51


 本日は主キリストの昇天について共に学びたいと思います。十字架にかかり甦られた主イエスは、復活されたお姿を弟子達に現されました。使徒言行録1:3には「 イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された」と書かれています。40という数字は神の導きのシンボルであります。復活のお姿で弟子達と共におられ、教育をされました。そして、信仰と希望を与えられました。
 主イエスはそれから天に昇っていかれました。天とは神のおられる場であり、信仰者が至福を受ける場であります。天国は何か無縁の世界ではありません。私達の知っているお方、私達を兄弟と呼んでくださる方、私達と同じ姿で地上を歩まれた方が立たれ、今や神の側に立たれています。
 主イエスがどこから天に昇られたのでありましょうか。エルサレム南東3キロメートルのところにあるベタニアと呼ばれるところです。ここはラザロの兄弟マルタとマリアの住んでいたところです。ご自身も復活された主イエスは、死んだ人間ラザロも生き返らせるお方です。その方が天に昇っていったことは、大変意味深い事であると思うのであります。
天国で私達の住処を用意して下さっておられると思うのです。
 24:50 イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。24:51 そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。
手を上げながら天に昇られたとあります。これは天の恵みを祈るための祭司の祈りの姿勢です。主イエスは自由に消える栄光のお体をお持ちでありました。31節、36節を参照して下さい。人々に見えるような形で主は天に昇られました。別れの時の最後の姿は人の心に焼きつくのです。最後の表情・姿を人は忘れることは出来ません。
私達に天よりの恵みが注がれるように主は祈りながら天に昇られました。愛する人に見送られた人は手をふりつづけますが、主は私達に祈り続けながら分かれてゆきました。
ここにキリストの大きな愛が示されているのであります。
 
主イエスとの別れを経験した弟子達はどうでしょう。24:52 彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、24:53 絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。表情は心を現しますし、そこに、その人の心の状態を知る情報があります。
信仰に生きる者にとって、主イエス・キリストの昇天の出来事は、喜ばしいことだということが、ここで教えられています。

 お別れのときなのですから、ある程度、寂しさとか、哀しさとか、そういうものがあるはずなのに、ルカ福音書は、そういうことは一切記さずに、イエス様の昇天の出来事は、弟子たちを喜びに満ち溢れさせた、としております。
イエス様が天に上って行かれる。・・・それは言い換えれば、イエス様が天から来られて、なすべきことを成し終えて、天に帰って行かれて、天に私達の場所を用意されたということです。
 これは、私たちにとっても同じことです。
 私たちもやがて、この命尽きる時を迎えます。また、こうして生きている間に、家族や友人を天におくる時があります。
 悲しいことですが、地上での務めを終えて、天で豊かな祝福を受けていることを思うと
希望が与えらています。
 主イエスと弟子達の別れは、喜びに満ちていたというこの記事は、私達を再会の希望へと招いています。

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