俺の翼に乗らないか?

スターフォックスの一ファンのブログ

作り手の孤独

2016年04月03日 23時37分02秒 | 日々のつぶやき
 私のドット絵とか小説とか。

 ほんのささやかな作品だけど、それでもそれなりに苦心もするし葛藤もするよ。


 作っているあいだの、生みの苦しみを背負っている作り手は孤独だね。誰のアドバイスも受けることはできない。
 いや、ほんの一部なら受けられるかもしれないけど。もし、誰かが逐一アドバイスしてくれて、言われるがままに作ってしまったら、それはもう自分の作品じゃなくて、アドバイスした誰かの作品だろう。


 もしかしたら、作品を作り上げるあいだの苦しみを共有したくて、創作者は仲間を求めるのかな?


 同じイラストを見たとしても、創作する人間としない人間とでは、感じ方が違うだろう。
 創作する人間は、そのイラストの中に、作り手の孤独と葛藤を想像することができる。自分も味わったことのある気持ちだから。


 ……創作しない人を見下したような言い方になってしまって恐縮だけど……私だって、ドット絵を作り始めてからだよ。このことに気付いたのは。
 やっぱり、自分でやってみるに限る。経験したことのない感情は、想像することもできない。
(たとえていうなら私は、月経痛ってどんなものなのか一生わからない。そういうこと)


 作品の質や完成度が高いということは、それだけの孤独と葛藤に打ち勝って作り上げたということ。そこを想像できるからこそ、作り手へのリスペクトが生まれるんだろう。
 逆に、想像が及ばなければ、リスペクトが生まれない。


 絵を描く人同士が仲間になるのは、孤独との闘いを知る者同士、戦友のような絆を感じているからじゃないのかな。




(私がその絆をめちゃくちゃうらやましく思っているのは、誰にもナイショだぜよ)

鎖と天秤

2016年04月03日 20時25分42秒 | 日々のつぶやき
 あのね、あのね、成歩堂と御剣が鎖でつながってて、引っ張ると大地が割れて巨大な天秤が現れるあのシーン、
 あれは「二人の間には確かに絆があるけど、それは法廷で弁護士と検事として弁論をたたかわせることではじめて見える絆であって、なまやさしいトモダチなどではないのだ」ってなことを表現したモンなんかいな?と思ったよ。勝手な想像だけど。

泳いだら楽になった

2016年04月03日 19時01分51秒 | 日々のつぶやき
 焦燥感と劣等感のいりまじった、猛烈にイヤな気分は、肩こりのせいだ!と気づいたので、娘は妻に見てもらって市民プールで泳ぐ。

 あと、映画館にも行かせてもらう。

 ……心をコントロールできなくて苛立っている私に、フツーに「行ってきなよ」って言ってくれる妻はすごい。生ける女神。

 不思議と、水泳すると肩こりが治るんだよな。その他のどんな運動しても治らないのに。
 妻にも水泳をすすめてみるが、一緒に来たことはない。

 ……女性は気にしなきゃいけないことが多いから、仕方ない……のかな。

情緒不安定

2016年04月03日 10時08分03秒 | 日々のつぶやき
 一晩寝たら、かなり楽になった。

 しかし、むかし自分が書いたものを読んで泣いてしまったり……、どうも情緒が不安定。


 『題名のない音楽会』で、ファイナルファンタジーの音楽を聴く。

 私、ファイナルファンタジーを一作も遊んだことないんだけど(!)、それでも「メインテーマ」が名曲だということはわかるよ。
 これを聴いただけで、これから始まる壮大な冒険の旅の予感がするもんなぁ。


 『どうぶつ王国 ワンだランド』で、ゾウの親子と飼育員さんの話。
 育児放棄した母ゾウに代わって、飼育員さんが母代わりになって、でも子ゾウが将来母親になるためには、やはり母ゾウから愛を注がれることが必要で……。弟ゾウが生まれたことをきっかけに、母の元へと戻ってゆく。
 泣けるなぁ……。

 歩き回って足の裏に傷を負った子ゾウのために、トラックのシートでお手製の靴をつくってあげたり、夜も一緒に寝てあげたり。飼育員さんのご苦労は、「仕事」という域を越えている。

 「ある種の動物が絶滅しても、遺伝子を保存しておけば将来いつでも蘇らせることが可能」だなんて言うことが、どれだけ無意味かわかるな。
 遺伝子だけを保存したところで、生身の動物たちが命をつなぐこと、それを手助けするためのノウハウが失われてしまったら、なんの意味もなさない。

 増してや。仮に遺伝子から蘇らせても、その動物たちが帰ってゆく世界が、自然がもう残っていなかったら、これほど哀しいことはない。

 一つの種を守ろうと思うなら、その種が組み込まれている生態系のすべてを守らないと意味がない。





 朝から映画館に『仮面ライダー1号』を観に行きたいな……、と思ったけど、
 娘が泣きべそかきながら足にとりついてくるので、あきらめた。

 いまは、娘となるべく一緒にいて、いちいち抱っこしてあげたり、鼻水拭いてあげたりするのが大事なことの気がする。



 もしや自分のことが書いてあるのではないか?と思って『愛着障害 ~子ども時代を引きずる人々~』という本を買ってみた。
 まだ読み始めたところだけど、面白いなあ……


 「一人の母親が一人の子供を育てるのではなく、複数の母親が複数の子供を育てれば、一人が負担を背負い込まなくてもよいので合理的だろう」という試みが、昔イスラエルで実際に行われたそうだが、そうして育てられた子供は、大人になっても他人と良好な関係を築けない、という結果になったそうだ。
 複数の相手から愛情を注がれるよりも、特定の相手から愛されることの方が重要らしい。

 祖父母と同居していると、母親があまり子どもに関わらなくなり、結果、この実験と同じことが起こることもあるとか。
 それが本当なら……。核家族であることにも、利点はあることになるな。