トンボが留まった!

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運命の出会いから40年(その2、結婚・夫婦って)

2018-04-13 23:04:42 | Weblog
結婚というのは、最初からあるものではなくて、

何もないところからから、2人で、苦労しながら、努力を重ねて、少しずつ築き上げるものだと思う。

したがって、結婚の誓いは、”~します”ではなくて、

”~する努力をします”の方が、誠実で、正しいとと思います。

そうすれば、離婚に終わっても、再婚しても、神様に嘘を言ったとか、馬鹿にしたということにはならないと思います。

結婚する時は、真剣に、心の底から、誓いを立てているんですから。
ただ、添い遂げられるかは、その後の二人の、頑張り次第ですから、
不完全な人間、未完成でも、仕方ないと思います。

大切なのは、最善をつくすことではないでしょうか?

神様も、それ以上は、望んでいらっしゃらないと思います。

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熟年夫婦

長年連れ添った夫婦の関係を、
“馴れ合い“とか“妥協”とか悪い意味で言うことがあります。
しかしそれは、いい意味で、言い方を変えれば、
”水と空気みたいな存在”とか、”慈しみ許しあう“と言うこともある。
私は、ただただ、“許しあう気持ち“、“相手の幸せを願うこと”に、安らぎを抱くことじゃないだろかと思います。

先日バンクーバーであった結婚式に、
面白い老年夫婦と同席しました。
もう金婚式を済ましたであろうお2人は、
6人の孫の世話をするために忙しく、
イギリスとオーストラリアを行ったり来たりして、
しかも、別々すれ違い、
あの時も、奥さんはオーストラリアからイギリスに帰る途中、
カナダのバンクーバーで旦那さんと合流、
旦那さんは、イギリスから来ていて、この後オーストラリアに向かうとか。
こんなことしょっちゅうやっていて、
お金を使い果たしそうだが、可愛い盛りの孫達に会いたくて、
そのためならお金なんて関係ないって言っておられました。
私は一言、”夏と冬、春と秋とひっくり返る気候に
しょっちゅう順応するのも大変でしょうね“と申し上げたことでした。

その旦那さんのスピーチに、こんな一言がありました。
”神様は、不完全を越えたところに本当の愛を見出される、

激しく燃え上がる感情は、
恋愛であって、本当の愛ではない、

これから、少しずつ、不完全な2人が
困難を共に乗り越えながら築き上げるものが本当の愛だ“と。

銀婚式を過ぎたくらいの私たち、子供達も巣立って、
これから、二人向き合って、その”本当の愛”が試されるんですね。

武者奮いでしょうかね、これは・・・それとも ただの身震い?

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“ロマンス、恋の物語は、出会いから、結ばれるまでの物語でめでたしめでたしで完結” されている。
だけど、二人が、それからどういう風に添い遂げて行くのかは、ロマンスにはならないようですね。

結婚の誓い、一生、いまと変わらないなんてあり得ないのに、神様に約束していいのかな?

二人で一人なんてことはあり得ないのです。
一人一人別々の人間が、それぞれに人として成長していきながら、ギャップも、世界を見る目も変わるでしょう、 でも、
“カップル、家族”
という場所を大切な場所として二人で向き合って守っていけばいいのです。

どんなにお互い成長しつつも、それぞれに受け止めあって、うまくやっていこうと、努力する覚悟と 信じあい 向き合っていれば、やっていけるのではないでしょうか?

そのために、絶対守らなければならないルール;
相方にされたくないことを 自分も絶対やらないこと。
相方の愛と、自分の愛を信じること〜誠実であること、
結婚、家族に向き合い、培う、手間かけ、決して不在にならないこと。
できる範囲で手間かけ、気持ちを言葉で伝え合うこと(コミュニケーション)。

血は水よりも濃いと言います、親子ならそうかもしれませんが、
他人同士のかプルは、鉢植えの盆栽と同じ。せっせと、細やかに、手をかけてやらないと、生き長らえないのです。

理想は、


"老いへの道 "

老いへの道を学んでいます。

老い・・・
誰もが感じるこの年代
その考えたくないであろうその事から目を逸らさずに、
しっかり向き合って生きたい。


60過ぎた夫婦がうまくやっていけるのは、

”長年がんばってくれてありがとう!の
感謝の気持ち”を、暖かく伝え合うことのように思えます。

想っているだけじゃなく、
”ちゃんと言葉にして伝え合うことが大切なんだ”なってこのごろ想います。

今まで当たり前に出来ていたことが、
毎日少しづつできない、消えていく、

寂しいくだり坂道を歩くんですから、
一人じゃなく、一緒に手を繋ぎあって、
2人で支えあって歩いていこうって気持ちを伝えながら、

”大丈夫、傍にいるから”、
” 大丈夫、ちゃんと見てるから”、
”それで良いんだよ、ゆっくり行こう”って声掛け合ってね。

若い時は、言葉で言わなくても解ってるはずなんていきがっていても、
だんだん、足場がぐらついてくると不安になるもの、

ちゃんとできなくても許しあい、助け合い、
何気ない手を差し伸べながら、声かけながら、
昔話を懐かしみながら、
家族の成長を喜びながら、
安心できる伴侶が、やっと何十年もして出来あがっていくんですね。
そんな夫婦を目指したいですね。

心にも身体にもガタが出てきているけれど そっと手を差し伸べながら歩いてゆきます。

きっと同じ時間、場所を共に生きていく中で最高の融合できる時が来るかもしれない・・

いくつかの時代を乗り越えながらも、夫婦として、ともに人生を分かち合う時間が一番長い付き合いではないでしょうか?(親とは一生の関係ですが、18年で、親元は離れて生きていきます。)
燃えるような恋愛の時代、

子育てで、自分たちより子供優先、二人の時間なんて、それどころじゃない時代、
仕事と家庭それぞれの役割の中で、それぞれ人間として社会人として成長しながらも、子は鎹で、何とか支え合っていく時代、

子供が巣立ち、また二人で向き合っていくことになり、第二の新婚時代を迎える人もいれば、どうしよもない溝を埋めきれずに離れていく夫婦も多い。
家族のために我慢してやれなかった事を今しかないという思いで踏み出す、大きな人生の岐路に立つとき、未だやり残したことをやれるのではないかと不安を抱きながらも、冒険、情熱に齧り付きたい時代。

65歳を過ぎた頃から、体力低下や機能の故障など、今迄おもいもしなかった健康上のいろいろ支障が生じてきます。確かに下り坂、老いの道をあるている自覚が生まれます。
お先真っ暗、いつどうなるともしれない、不安で心細い時代です。
昨日までできていたことが、翌日目が覚めた時、何かが失われている.......
そのとき、
長年連れ添った相方が側にいるというのは、同居人と化した相方でも、この世に一番身近で、想いを理解し合える心強い仲間;許し合い、慈しみ合い、愛し合い、支え合える、信頼おける仲間なのではないでしょうか?

いま、私は、いろんな想いと向き合いながら、自分の心と語り合いながら、
自由と孤独を謳歌しながら、自分同様、相方を信じ、彼の幸せを素直に祈ることができる気がします。私は、誰にも属さない 私自身なんですね。

そんな事を想いました。

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大好きな方が私と両想いになるより…

大好きな方が
私と両想いになるより
幸せなことがあるなら、
ずっとそのままで
いてほしいですわ。

(カードキャプターさくら、CLAMP)


愛、それは、恋が燃え尽きた後に、残るものだ。

恋に落ちるのは簡単だ。
誰にでも、その状態に
なったことが分かる。

だが、愛自体は、
その状態が終わって、
恋が燃え尽きた後に、
残るものだ。



こんな言葉に、親みを感じているこの頃です。



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