明源寺ブログ

浄土真宗本願寺派

第3回親鸞聖人関東二十四輩を訪ねて・・③(鹿島神宮へ)

2012-12-23 00:09:40 | Weblog
12月19日午後1時過ぎに鹿島神宮に到着。

この鹿島神宮は、茨城県の南東の端っこに位置します。大和朝廷の時代から、政治・文化・経済の中心地。そして、鎌倉時代に入ると「武人の神」として源頼朝の篤い信仰を受けて発展。それ以降も、武士からの信仰を集めました。
写真・・・鹿島神宮の神域です。多くの参拝者が訪れていました。驚いたのは、参道の清潔さです。参道の両側はうっそうとした木立が覆い茂っています。しかし、掃き清められていました。落葉一枚落ちていないのです。これには、本当に驚きました。自坊は、報恩講以降は境内の掃き掃除はしていません。ですから、どこからともなく飛んできた落ち葉が目立つ境内なのです。余りの違いにションボリです。

それにしても、真宗僧侶の私達が何故に鹿島神宮を訪ねたのか?それは、親鸞聖人と深い関係があるのです。聖人は、数多くの著作を残していただきましたが、関東時代に原型が成立したという『教行信証』がその思想体系の中心です。しかし、『教行信証』は膨大な書物からの引用で成り立っています。幾ら博学な聖人といえども、全てを暗記されていた訳ではないでしょう。それは無理というものです。どこかで書物をご覧になり引用されたと考えるのが普通です。実は、この鹿島神宮には仏教書が揃っていたといわれています。鹿島神宮は、神宮寺を中心に仏教でも一大センターであったのです。聖人は、鹿島神宮の仏教書をご覧になり、『教行信証』等の親鸞教学の理論付けをされたといわれているのです。
写真・・神宮寺が存在したといわれているのが、鹿が養育されている付近であったといわれています。

残念な事に、現在は親鸞聖人と鹿島神宮との関係を示すものは何も残されていません。しかし、聖人の門弟のなかで最有力の横曽根の「性信房」も、また鹿島の「順信房」も鹿島神宮の神官出身であるといわれていますし、今に伝わる関東での聖人伝説の中には、鹿島明神と聖人の交わりを示す伝承が数多く残されています。午前中に訪問しました、浄光寺さんの「親鸞聖人像」は、もともとは鹿島神宮にあった親鸞像であるとの伝承があります。私達は、鹿島神宮の神域を散策しました。そして、たどり着いたのが「御手洗(みたらし)の池」です。


実は、昔はここで精進潔斎をして鹿島神宮に参拝したのです。「御手洗(みたらし)の池」横の休憩所の一休さんには、その禊(みそぎ)風景の写真がありました。180名までの裸の男達が入れるそうです。

「花より団子」とも言いますが、一休さんの店先には美味しそうなみたらし?三色団子?が串刺しになっていました。これが、実に美味しそうなのです。

香ばしい香りに誘われて店先をウロウロ状態。

しかし、我慢できずに三色団子を注文。美味しかったです。お店の女将さんでしょうか?私達に、古代米で作った赤飯を出していただきました。

お腹も空いていましたから、これも「アッ」という間にお腹の中に・・・・やはり、「花より団子」の昔の格言は今も立派に生きているのです。
続く・・・・

最新の画像もっと見る

コメントを投稿