明源寺ブログ

浄土真宗本願寺派

明日(9月6日7日)から秋季永代経法要と小さな学習会(9月2日)

2014-09-05 13:28:44 | Weblog
秋季永代経法要ご案内
日程 9月6日7日と秋季永代経法要
時間 午後2時から
講師 山田教尚先生(東海教区鈴鹿組存仁寺住職)

すっくりしない天気が続きますが、上記日程で秋季永代経法要を修行いたしますので、お誘いあわせのうえご参詣いただきますようご案内申し上げます。

小さな学習会(9月2日)
この学習会は、「太子信仰」を勉強する小さな学習会です。「太子信仰」とは、基本的には聖徳太子を信仰する事をいいいます。参加者は、いつもの2人+息子。
本日の講義内容は以下の通りです。
この「太子信仰」の具体的源泉は、「天平の甍」で有名な鑑真和上が来日(754年)に求める事ができます。鑑真和上といえば、日本に仏教の戒律を伝えた事で有名。しかし、もう一つあるのです。それは、『法華経』を中心とした天台法華宗を具体的に日本に持ち込んだという事です。つまり、鑑真と共に来日した中国僧、恩託(おんたく)は『上宮皇太子菩薩伝』を著し、聖徳太子を菩薩と呼んで讃えました。以来、天台法華宗は聖徳太子を『法華経』を招来した人物であり、中国天台宗の大成者である天台大師智(ちぎ)の師匠である南岳大師慧思(えし)が、『法華経』を広めるために日本にて聖徳太子として生まれ変わったのであると宣伝し教線拡大に利用しました。ですから、『太師信仰』の具体的源泉は奈良末期から平安時代末期まで、日本天台法華宗により広められたと言えます。
ここまで読んで「難しいな」と感じた人は、以下は読まないで下さい。益々難しくなります。

天台法華宗の日本における確立者は、比叡山に延暦寺を建立した伝教大師最澄(さいちょう)です。最澄は、自分は『法華経』の初伝者である聖徳太子の玄孫である事を高らかに宣言し、心を聖徳太子に寄せ、法華一乗の教えを広めようと聖徳太子に祈願しました。つまり、聖徳太子は自分にとり天台教学の始祖であると宣言したのです。
又、最澄の弟子である慈覚大師円仁(じがくだいしえんにん)も、師である最澄の影響を受け聖徳太子を敬慕しました。円仁は、苦難の中国留学をしていますが、この時の様子はマルコポーロの東方見聞録にも匹敵するといわれている『入唐求法巡礼行記(にゅうとうぐほうじゅんれいこうき)』に詳しい。この書のなかで、中国天台山の大華厳寺で、中国天台宗の座主である志遠和上(しえんおしょう)に、南学大師(慧思)が日本に聖徳太子として生まれたと語り、一同の共感を得たと書き記しています。
比叡山東塔山中にある円仁御廟・・・2010年6月に東海中仏通信生徒4名と共にお参りしました。真宗門徒からみれば、御廟の前に鳥居があるという異形の御廟ですが、この前でたたずむ時、日本に浄土の法門を取り入れた円仁のご恩を思い涙がでました。

平安初期から中期にかけて、天台宗の隆盛のなかで、『法華経』を背景して、数々の聖徳太子伝が生まれました。中でも、『上宮(じょうぐう)聖徳太子伝補闕記(ほけつき)』や、太子伝の決定版といえる『太子伝暦』がうまれ、太子伝は大幅に豊になりました。特徴は、『法華経』のなかの『観音経』に基づき、聖徳太子は救世(ぐぜ)観音菩薩の化身であると説かれ信じられるようになりました。・・・ここ大事です。親鸞聖人29歳の『六角堂の夢告』をし想起せよ!!!!
ここまできますと聖徳太子建立のお寺となれば参詣の人は倍増です。ですから各地に聖徳太子建立と称するお寺が激増・・・・(商売繁盛の基本は今も昔も変わらぬもの)
なかでも、崇仏排仏の論争に際して、聖徳太子が建立したとする四天王寺は聖徳太子のメッカとなり上下(天皇・貴族から庶民まで)の崇拝を集めました。知恵者が表れました。聖徳太子作といわれる『荒陵寺(あらはのてら)御朱印縁起(ごしゅいんえんぎ)』なる本が四天王寺の僧侶である慈蓮(じれん)により発見された。この僧が一番怪しいのですが?????なんと、この本で聖徳太子自らが、『四天王寺の西門が、西方極楽浄土の東門』にあたると宣言されたのです。こうなると、人々は西門で念仏をとなえるものが激増しました。自坊からも、こういう本が発見されないかとつくづく思います!!!
人々は、争うように四天王寺に参詣しました。それは、法王・高級貴族達も相次いで参詣しているのです。
浄土真宗寺院本願寺派寺院にかかる聖徳太子像。柄香篭をもった教養太子像と呼ばれる真宗系の聖徳太子像です。

この太子像は、裏書により西本願寺第12代准如宗主が慶長16年(1611年)に、滋賀県大津の某寺院に下付したことを記しています。裏書の形式から一般末寺に下付したものではなく、直属寺院に下付したと推測されます。色彩も豊かで一級品です。しかし、現在は藤原町の某寺院に流転しています。
今日は、ここまでの勉強でした。
次回は、藤原道長と御嵯峨上皇の太子信仰を解説します。



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