いいたい放題

 右でも左でもない風来坊が、社会・経済・政治などの問題について、
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お天道様はお見通し

2008-12-09 | Weblog


 鞍馬天狗が上京しているというので、TERAさんと彼奴の所へ押し掛けてきた。例のある教区の機関誌を持っていったのだが、鞍馬天狗はあの文書を知らなかった。気が付かなかったらしい。そして、あれを読んで驚いていた。「信徒には、本当のことは一切知らされていないのだろう」というのが彼奴の感想だった。TERAさんは近藤勇師からメールで送られてきていたそうだが、TERAさんはこれを読んで言葉が出なかったそうだ。

 この文書の中で、「2度とこのようなことが起こらないようにと思いから、この議案が決議されたことを、今改めて確認しなくてはなりません」とある人物が今年の5月の管区総会で「演説」したそうだが、これでは、信徒は、もうあの問題は解決しているとしか思えないだろう。それだけではない。今まで、問題の経緯を隠し続けてきている日本聖公会京都教区の重大な過ちを棚上げしているしかいいようがない。そして、俺のには、FH司祭がその加害行為を否認している2人の被害者のことを無視しているとしか思えない。こうした発言は、FH司祭を日本聖公会の規則に従って正式に処分し、京都教区自身が被害者全員に心から謝罪し、責任をとるべき人は責任をとるべきなのではないだろうか。

 問題は解決していない。FH司祭を正式に処分していないのだから、当然のことだろう。にもかかわらず、こうした情報しか信徒に伝えていないということは、この事件の加害者を擁護し、被害者を切り捨てていることにしかならないのではないのか。それとも、FH司祭がその加害行為を認めた被害者もしくはその関係者が、京都教区に対して、これ以上問題を大きくしないでくれと言われているのだろうか。それで、その方々に気を使って、問題を隠匿しようとしているのだとすれば、日本聖公会京都教区は最早、キリスト教の教会ではない。キリストの十字架の意味も、聖餐の意味も、みんなどこかに置き忘れてきているとしか思えない。

 「和解」の道を模索しているルター派の教会もカトリック教会も、日本聖公会を見放すのではないのか。被害者とそのご家族が今でも苦しんでいるという現実をひた隠しに隠して、いかにも悔い改めているかのように振る舞うことは、教会として大きな過ちではないのか。もう一度繰り返す。問題は解決していない。まったく解決していない。あの加害司祭を復職させた経緯を公開しない限り、解決への道は開かれないだろう。日本聖公会はそんな道理も判らなくなっているのだろうか。だとしたら、教会としての寿命はそう幾ばくも残されていないにちがいない。信徒が真実を知らされる日が必ず来る。それも、教会の中ではなく、教会の外からだ。お天道様はすべてお見通しだから。


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