いいたい放題

 右でも左でもない風来坊が、社会・経済・政治などの問題について、
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奈良行きの準備

2007-06-19 | Weblog
 近いうちに休暇を取って奈良まで裁判記録を読みに行きたいと上司に言ったら、一週間の出張を命じられた。遠いところまで出張すると、有給以外に三日休みが取れる。丸一日裁判記録を読んで、残りの二日はあの周辺を歩いてこよう。斑鳩とか、いいところがたくさんあるからな。友人は信州へ行くと言っていた。何ヶ所か行ってきたいところがあると言っていた。

 「みんなで裁判記録を読むのは如何なものか」という意見があるみたいだが、普通はそう考えるだろうな。しかし、裁判所がどう判断したかを正確に知るためには、裁判記録を読むしかない。大きな事件の判決はジュリストに載るが、こうした民事裁判はほとんど載らない。それに、読みたいのは判決文だけじゃない。裁判記録そのものだ。ある意味では、傍聴するのと同じだ。そうすることによって、被害者の痛みのごく一部だが共有できるかもしれない。

 「最高裁に抗議する」と声明を出した京都教区は、当然読みに行くべきだ。というか、何故傍聴に行っていなかったのか不思議でならない。京都教区常置委員長の裁判だろ?会社の重役が勤務中のことで訴えられているのであれば、会社は必ず傍聴に誰かを行かせるんじゃないのか?一度も傍聴に行ってないのに「最高裁に抗議する」というのは、まったく理解できない。俺は何人もの友人や知り合いにこの話をしたが、一番強烈な返事は、「キリスト教って、カルトなのか?」という返事だった。そして、半分以上は、初めはまったくこの話を信じなかったな。現職の牧師が準強制わいせつ行為をしたこと、それに対して上層部は何の処分もしていないこと、「陪餐停止」という、規則にない処分で「お茶を濁した」こと、こうしたことは、主教はまるで指揮権発動でも出来るかのような権威をもっているのだろうかということが彼らの共通した理解だった。

 造船疑獄はいまだに闇の中だ。そして、あの時のことを記憶している方々のほとんどは亡くなられている。生きていらっしゃる方はごく一部で、それもかなりご高齢になられている。日本聖公会の主教は、法務大臣以上の権威を持っているようだな。まるで、明治体制の天皇制のようだ。ある聖公会に詳しいのが言っていた、「京都教区主教は御所の前に鎮座ましまして居られるから、天皇と同じ権威を持っていると考えているんじゃないのか?」とね。しかし、このジョークがジョークとして聞き流せないところにも問題があるような気もする。
 俺の友人はこう言っていたよ。「造船疑獄に関わっていた方たちは、おそらく一生涯その問題を背負って生きていらっしゃった。なかには、教会に深い関心を持っていらっしゃった方もいる」とね。あの事件が法務大臣の指揮権発動で闇の中に消えてしまったのだが、歴史の皮肉なのだろうが、「外航船建造利子補給法」によって日本の戦後復興が始まったとも言えると友人は言っていた。船会社と造船業が息を吹き返す前に、鉄鋼関連の会社が息を吹き返した。船に使う鉄の量は半端なものじゃないからな。
 しかし、京都教区主教の「指揮権発動」で教会は成長したか?
 最悪は、被害者が教会から出て行かざるを得なくなったということだろ。あの時の犬飼法務大臣は、検事総長に逮捕の延期と任意捜査を命じた翌日、辞任したよな。それが他からの圧力によるものなのか、本人の意思なのかは誰にも判らない。残された記録が犬飼法相の心であったとは思えないからな。それに、あの時の関係者は一斉に口を噤んだ。末端の社員までもだ。

 日本聖公会は、様々な事件を握りつぶしてきたが、今度はそうはいかないだろう。いまだに、M主教やK司祭、あるいは最高裁判決時の京都教区主教K主教は沈黙を守っている。誰かが沈黙を守らせているのか、それとも自分の意志で沈黙しているのか。しかし、彼らが沈黙している間も被害者はPTSDに苦しんでいる現実を、俺たちは絶対に忘れるべきじゃない。

 もう昼休みだな。俺が書いた報告書を早く校正しろと上司が持ってきた。うちの事務所は上司が奥で鎮座ましましていないからな。そろそろ、奈良行きの準備を始めるか?その前に仕上げて置かなくちゃならない仕事が山積みになっているが‥‥

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