いいたい放題

 右でも左でもない風来坊が、社会・経済・政治などの問題について、
好き勝手に、支離滅裂に、傍若無人に書き込むブログ

恫喝・陰謀・謀議・隠蔽・密約

2008-03-11 | Weblog

 少し前に友人の所から帰ってきました。上京していたので会いに行っていたのですが、夕食をご馳走になりながら、じっくりと話が出来ましたが、素面では話がしにくいほどの内容です。生憎、友人は一滴も酒が飲めないので、まったくの素面です。それに、俺も自転車で行ったので、酒気帯びで捕まると、車の免許も免停になるのでいろいろ問題があり、結局最後まで飲まずに話をしてきました。今は横に焼酎のお湯割りがありますが‥‥‥

 二台のノートパソコンを使って、日本聖公会京都教区の性的虐待事件の時系列データベースを見ながら話をしたのですが、被害者の父親が武藤主教に被害手記を渡した時、武藤主教は直感的にそれが事実であると考えたというところでは、友人と意見が一致しました。そして、翌日には、被害者の自殺未遂を聞いて、夫人を連れて駆け付けた原田文雄司祭が土下座して謝罪したということからも、武藤主教は原田文雄司祭は明らかに性的虐待をしていたということを認識していただろうと思われます。そしてその翌日、原田本人に辞表を書かせ、午後になって被害者が入院している病院を訪れ、父親に「原田を辞めさせます」と伝えたのですが、この行動からも武藤主教は明らかに事件が事実であることを認識していたことが判ります。極めて常識的な判断だったと思います。高等裁判所もこの土下座に注目しているように思えます。にもかかわらず、翌日2001年4月7日の臨時常置委員会では結論が出なかったということですが、まず最初の恫喝が武藤主教に対して行われているのではないかというのが俺の考えですが、友人はここでは恫喝は行われていないだろうと言っていました。そして、翌8日の常置委員会で退職という結論が出たのですが、友人はこの夜、誰かが武藤主教に電話した可能性を否定できないと言っています。前日に結論が出なかったことを翌日になって結論が確定しているということは、夜の間に何かあったと考える方が自然だというのです。勿論これは想像の域を出ません。主教邸の着信記録や通話記録が残っていれば、これは明らかになります。

 しかし、何故一晩で結論が出なかったのか。俺はここに大きな問題を見ています。被害者は2000年3月の段階で、既に被害者に対して「謝罪手紙」を書いています。それは、県立病院の医師がPTSDの診断書を書いているのですから、原田文雄司祭はそれを認めざるを得なかったのだろうと思います。それを武藤主教はそれを知っていたはずです。にもかかわらず、なぜ4月7日の常置委員会で結論が出なかったのか。そして、翌日の常置委員会で退職が決定したのか。既に問題はこの時に発生しています。
 と同時にもう一つ大きな疑問があります。
 「聖光教会信徒の皆さまへ」と題された、2001年5月7日付けの原田文雄司祭の文書があります。乙第14号証として裁判記録に残っていますが、この文書の中で原田文雄司祭は次のように記しています。
「9、4月9日(月)聖週ミサ/武藤主教が司式
① ミサ後、古賀司祭に『どうしても心に残るひっかかりを禁じ得ない』と電話。
② 古賀司祭が動いてくれた。主教と牧師館に来て、古賀司祭が手記を読むようにすすめた。他の常置委員に読み聞かせたことを知った(半ばで切り上げるよう文屋司祭が要求)。
③すごいことが書かれてあった。事実に反することばかりの列挙。『そんなことはありませんでした』と、初めて反論した(心が震え、吐き気を催した)。」
 友人は「ここに問題の発端があるし、これが日本聖公会の盲点だ」と言っていました。常置委員会決議として原田文雄司祭の退職を認めているにもかかわらず、それの関連して常置委員である古賀司祭がなぜ「動い」たのかということは、古賀司祭が既に決まっている常置委員会決議を、常置委員会の了承を得ないまま、勝手に覆そうとしていることは、大きな問題だ。議決された案件に関しては、常置委員はその議決に対して誠実でなければ、委員会の権威は失墜してしまう。武藤主教が強引な仕方でこの決議を常置委員会にさせたというならまだしも、常置委員会は被害者手記が「半ば」までを読み上げられた段階で、その悲惨さに驚愕して被害手記の朗読を停止したのであろう。だとしたら、その場に古賀司祭もいたのであれば、何故その時に、すべてを朗読することを要求しなかったのか。そして、それが事実であるかないかを原田文雄司祭に確認することを提案しなかったのか。
 「古賀司祭が動いてくれた」という表現はきれい事に聞こえるかもしれないが、ここからが陰謀のはじまりではないのか。友人はそう考えています。これに関しては、俺も同意見です。委員会の開催中に発言したり、あるいは原田文雄司祭の喚問を要求すべきであるにもかかわらず、決議が為された後で何故古賀司祭は「動い」たのでしょうか。

 そして、原田文雄司祭は同じ文書でこうも記しています。
「11、4月12日 京都教区 聖油 聖別ミサ(於聖アグネス教会)
① 4月9日(文書を読んだ日)以来、『退職』の文字が非常に希薄になっていた。
② 教区主教と古賀常置委員が午後に来訪。『姿勢をただして聞いて下さい』と前置き、『京都教区は、原田の退職願いを受理した。しかし、退職の公示(教区内全教会、および全教区への)は、行わないものとする』と。次いで『次回常置委員会(4月17日)に再度協議する』と。
③ 私は感謝の言葉を……
④ 主教『いつでも退職願いを取り戻しに来て下さい』。それに対して『とんでもない。取り戻すのではなく、教区から返すべき種類のものであると判断します』と反論。」
 ここからが謀議のはじまりだろう。「教区から返すべき種類のものであると判断します」という言葉は、この退職願の理由は消えているということを原田文雄司祭自身が主張し、彼が退職願を書いたのは、被害手記に書かれているようなことをしたからではなく、まったく別のことをしたことに対する退職願であったということになります。しかし、原田文雄司祭は病院で、PTSDに罹患している被害者の父親に対して土下座して謝っているのです。

 2001年4月17日(火)に行われた常置委員会に関して、原田文雄司祭は次のように記している。
「① 常置委員会に、先程の文書の事実を否認。
② 全ての委員(私も含めて6人/聖職3人、信徒3人)が前回の退職同意を撤回した。
③ ここでも『教区の責任で差し戻すべき』と……
④ 先方に告げているので、それを告げるまでは祭壇奉仕は遠慮したいと告げた。
⑤『用意も出来ていることだから引っ越しはしたほうがいい』と主教。『そうします』と。」

 ここに信じられないことが記されています。
 「 全ての委員(私も含めて6人/聖職3人、信徒3人)が前回の退職同意を撤回した。」
 何故この委員会に原田文雄司祭が出席しているのか。常識では考えられないことです。これは傍聴ではありません。陪席でもありません。議決に加わっています。何故これが可能なのか、俺にはまったく判りません。友人はただ笑っていました。そしてその笑いの意味を問うと、「日本聖公会は、所詮はそうした集団だから」と言っていました。教会の総会でも、教区会でも、会議の原則がまったく無視されているし、採決の時に扉を閉めることもないし、採決前にその時の出席者の人数を確認することもない。その採決の場に議員以外の人が、傍聴を許可されたわけでもなく参加している。そして、拍手で議決などということになれば、そうした参加者も拍手をしている。」
 日本聖公会は会議をなんだと考えているのでしょうか。「議会制民主主義の出発点はイギリスだ」と自慢げに話していた司祭がいましたが、日本聖公会はイギリス国教会の系列の教会ではなかったのでしょうか。
 既に退職が決定している原田文雄司祭は、自分のことを決定する常置委員会に、出席し発言し、採決にも加わっています。常識的には、この常置委員会は明らかに無効であると考えざるを得ません。これが日本聖公会の仕来りだというのであれば、日本聖公会は議会制民主主義の根本を踏み外しているとしか言いようがないのではないでしょうか。そして、こうしたことがまかり通っている団体では、ともすると重要な問題が隠蔽され、個人の意見が無視されたり、あるいは反対する少数派が多数派から陰湿なイジメを受けることがないでしょうか。日本の社会の悪弊が、正に日本聖公会の中に残っているようです。

 5月2日(水)、原田文雄司祭は武藤主教と共に被害者の父親に面会しましたが、その時のことをこう記しています。
「① 父と会見
② 主教が『退職願は差し戻した』と話された。
③ 4月9日の文書について否定
④ 父親は、全ては原田に原因との一点張り。
⑤『主人にどうなってもらいたいのか』(と、家内が被害者の姉に電話で聞いた時)
⑥ 被害者の姉は家内に『乞食にでもなって、世間から追放されて欲しい』と……。」
 一旦は退職願を書かせておきながら、武藤主教は原田文雄司祭の復職を告げています。そして、原田文雄司祭は復職しました。これが日本聖公会京都教区で実際に起こったことです。
 しかし、確定した高等裁判所の判決では、被害者が主張する原田文雄司祭の性的虐待の加害行為に対する、原田文雄司祭の反論をすべて退けています。にもかかわらず、日本聖公会京都教区は、原田文雄司祭を「陪餐停止」にしただけで何の処分もしていませんし、京都教区主教は幼稚園から支払われた退職金の返還を要求していません。

 友人と最後に意見が一致した点は、ここのところに関することでした。原田文雄司祭にはもう信仰はないということです。陪餐停止はクリスチャンにとって極めて重い裁定です。陪餐出来ないということは、クリスチャンにとって生きる力を失うということです。にもかかわらず、原田文雄司祭は高等裁判所が事実と認めた加害行為を認めていません。他の4人の被害者の申し立てには謝罪しているにもかかわらず、裁判を提訴した被害者ともう一人の被害者に対しては、その加害行為を認めていません。これを認めて、謝罪し、和解が行われなければ、いくら無効であっても日本聖公会内の教会では陪餐停止は解けないはずです。原田文雄司祭の中では、陪餐するということの意味がもう消えているのかもしれません。

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