いいたい放題

 右でも左でもない風来坊が、社会・経済・政治などの問題について、
好き勝手に、支離滅裂に、傍若無人に書き込むブログ

何故真相を究明して、反省しないのか

2007-06-01 | Weblog

 聖公会京都教区の主教や司祭達が、何故真相を究明して、反省しないのか。一般社会人から見たら実に不思議なことに見えるだろうな。しかし、最近はこれをカルトというんじゃないのか?国家の法秩序をも無視して、犯罪を宗教的権威で隠蔽している。ただ、彼らは既に「謝罪の記者会見」を奈良県庁でしてしまっている。勿論これは「謝ったんだからいいじゃないか」というようなものではない。そうではなく、彼らは原田司祭が犯した準強制猥褻を事実として、公の席上で認めたということなのだ。俺たちはそこを見失ってはいけないと思う。

 最高裁判所の上告棄却が出た時点でもまだ、京都教区は「事実無根」を貫いていた。このこと自体に犯罪性はない。最高裁の決定は絶対的真理だとしたら、最高裁は独裁者になれる。今、冤罪事件が問題になっているし、狭山事件に関して最高裁はいまだに逃げている。しかし、原田司祭の準強制猥褻事件は、冤罪やでっち上げられた事件とは、まったく質的に異なる。明らかに、準強制猥褻があったからだろう。彼らは、その後「事実無根」で声をあげていない。

 2001年に自主退職が決定した原田祭の辞職を、その10日後に主教と常置委員会は撤回した。そして、原田司祭は聖光教会の牧師に復帰し、聖光幼稚園の園長に復帰し、ウイリアムス神学館の説教学の教授に復帰した。俺が去年、ネットで見た限りでは、教会外の団体の役職にも就いていた。ところが、大阪高裁と最高裁は、「事実無根」を100%否定した。これは、村岡氏のレポートで明らかになっているし、俺も近いうちに友人と一緒に奈良まで行くことにしている。
 「FH司祭問題を駁す」というブログに、「糾す会」の方が「故に被害者家族は武藤主教とこの古賀司祭に対し、当時の退職撤回した種々の工作について詳細に文書化していただきたいと一貫して申し入れているのです。」と記されているが、これが問題究明の第一歩だろう。大阪高裁や最高裁が100%あったとした事件に関して、加害者の「事実無根」発言だけを理由に退職撤回してしまったのだから当然のことだ。

 そして、問題はまったく風化していない。被害者のPTSDは治癒していない。このことに関して、京都教区の主教や司祭はまったく認識がないだろう。もし、これを認識しているとすれば、これこそ正にカルトだと言わざるを得ない。しかも、この事件が発覚した後、つまり原田司祭が被害者が入院している病院の待合室で土下座した後、原田司祭の関係者はとんでもない暴挙を考えたそうだ。俺はその話を耳にしたとき、加害者とその関係者の考え方の異常さに身の毛がよだった。人権無視も甚だしいことだ。俺はいつかこれを公表しようと思っている。
 このことに関して、京都教区は知らなかったと弁解するかもしれないが、しかし、この情報は確実なところから俺の耳に入ってきた。人間は物ではない。それを車の中で聞いたとき、俺は確実にそう思った。一人の人格として聖公会は被害者を見ていないのかもしれない。

 確かにそうだ。
 京都教区の常置委員会を大和高田の教会で開き、被害者やその家族と話し合いをしたことがあったのか?陪席さえしていただいてないだろ。これは、「権威主義」などという生やさしいものではない。一人の人間を人間としてみていないから、こうした失態が続いているんじゃないのか?
 教会員の中に格を付けていないか?
 東北教区の主教座聖堂の墓地には、古くからの教会員の家の墓と共同埋葬墓があるらしいな。そして、「私の家はあそこに墓地を持っています」という言葉が、妙に冷たい響きを持っているそうだ。そして、すぐ隣には、とあるプロテスタント教会の墓地があるのだが、かなり大きな共同埋葬墓があるだけだそうだな。聖公会らしいな。貴族の教会だろ?その他大勢はどうでもいいんだよな。古くからの教会員を大切にするんだろ?日本の教会にはそうした雰囲気があるからな。何代目のクリスチャンかということを耳にすることがある。プロテスタント教会に多いな。ローマ・カトリック教会には、何代目か判らなくなっている人たちがいるがな。16世紀に洗礼を受けた人たちの子孫がいる。
 これは京都教区だけの問題じゃないだろ。日本聖公会、ひいては日本のプロテスタント教会に見られることだ。それでいて、「伝道」という言葉を耳にすると、「伝道とは、自分たちの下に人々を招き入れること」を意味しているように思えてならない。イギリスのケルト教会の信者は何代目か判るか?と言っても、理解できない司祭がいるだろうな。「ケルトってなんだ?」と言いそうな司祭がな。聖公会はアングリカンだろ?イギリスだよな。

 「こう言う司祭や主教を黙って献金で養ってる我々信徒も共犯者ではないかと思えてくる。」
 2ちゃんねるにこう書かれている。このブログを読んでくれてるかな。最近、アクセス数が少しずつ増えてきた。この前の火曜日は300人を越えていた。アクセスIP数も毎週250以上あるということは、常連さんが増えてきているんだろうな。しかし、こんなことを書くと、「大本営」から戒厳令が出そうだな。そして、このプログへのアクセス禁止だよ。既に「『糾す会』のメールを読むな」という禁令が京都の御所から出ているみたいだしな。
 聖公会には人権という考え方はないんだろ。16世紀の教会がそのまま延命しているんじゃないのか?

 ところで、日本聖公会はいつになったら女性主教を按手するんだ?
 プロテスタントでも、改革派は女性聖職を一切認めていないよな。勿論ローマ・カトリック教会もだが、聖公会は女性司祭を按手してるだろ?「司祭はいいが、主教はまだだな」と言った人がいるそうだが、理由は何なんだ?日本聖公会にとっては、女性は物だからか?
 主教や司祭は酒を飲んで酔う暇があったら、真剣に考えろよ、素面でな。