COUGHCHAN-KNIT

その日の気分によって、突然閃いて、色を合わせて作る私式ニットです。

NO.169 3月の終わりに    *

2011-03-30 13:45:03 | 
2011年の3月は長い長い1ヶ月でした。
ほとんど編物に手が付けられない状態の一か月でした。

大地震、大津波に次ぐ原発事故の国難。異次元の旅。


私は私のペースを取り戻さなければなりません。
題して、<3月の終わりのセーター>



ちょっと襟を付けたす気分で




不在の間に、庭の片隅にいっぱいツクシが出ていました。
便利ではあるものの、これはすぐにスギナが生えることを意味します。
「草取りが大変だ」と、ぶつぶつ言いながら、今日もこれを「いただきまーす」


BY SHIP........from OSAKA to PUSAN

2011-03-27 17:21:52 | 日記
東北の大災害をよそに、我が家では春の花々がどっと咲き始めました。
寒い日が続くせいか、花の咲く期間が長いように思えます。<ローズマリー>



地震の起きる数時間前に申し込んだ旅に出かけていました。
出発までに10日ありましたが、ある種の罪悪感を伴うモノでした。
通関手続きは物凄く混んでいました。大荷物で日本を脱出する韓国人。
東京からわざわざ大阪に来て船で、飛行機は混んで取れないからです。
そこまでの危機なのか、とますます場違いな旅だと思い船に乗りました。
ところが、
知り合いになった人々との会話が楽しく、初めての船も乗り心地良く、
暮れて行く瀬戸内の風景は素晴らしく、食事は美味しく、
とりわけ、個室はシャワー付きでちょっとホテル気分だし、気に入りました。
行きは混み込み、帰りはスキスキの満足な船でした。



久しぶりの釜山の街は物凄く綺麗になっていました。
KOREAN DRAMA を見ていたせいで、挨拶なんかは困らない。
春からいよいよ本格的にNHKで勉強しようかなと思うほどです。

KTXでソウルに行き、ここは得意分野ですから、短時間でも目的は果たせます。
いたるところに「日本の皆さん、頑張ってください」の幕が掛っていました。
息子の友人たちとかなり片言英語で飲んだのもとても愉快でした。

どのTVも原発が第一ニュースで、その関心の高さを示していました。
知らない人にもいっぱい心配され、
30年前、初めて韓国訪問の際、道を歩くだけで怒鳴られた経験のある私は
何度も韓国を訪れるうちに徐々に友好的になって行くのを感じていましたが、
今回のように、そう言う気持ちをダイレクトに言われることに、
戦争で日本人に酷い目に会っているにもかかわらず、
そういうことを言ってくれる韓国の人々に「ありがとう」と感じました。
そして、やはり「ごめんなさい。昔にしたことを」と。






NO. 168 一週間たちました

2011-03-19 18:12:47 | 
この一週間、ラジオ、TVで国難を嘆きつつ、自分がその立場だったらと考えるばかり。
絶対耐えられない、生きられない、無理だ。チリの時と同じ、想像するだけで苦しい。


ずっとラジオを聞きながら、<せめて明るいもの作ろう>と、ピンクで。
この冬最後のウール、合太の糸を使い、
カラフルなこの冬(発明の)お気に入りの縞を組み合わせ、
あれこれ組み合わせて着られる3P。
制作が始まると、それだけに集中する性格。ラジオの警報音にハッ。
(カ-ディガンはちょっと前に作ったものです)


大きな、前後同じ型のベスト。脇ボタン、ボタンをはずすとビッグマフラー





シンプルなミニセーター



縦縞のゆったりカーディガン





さて、これらを組み合わせて着ます!!(単独でももちろんOK!)







先日も書きましたが、ちょっと旅に出ます。
次回はたぶん、1週間後になります。「じゃあ、またね」







諸行無情

2011-03-12 16:09:34 | 日記
今日は、本来、ブログを更新する予定でしたが、無理、やめました。
昨日の地震はなんという恐ろしい自然の力の爆発なのでしょう。

他人の災難を座って見ていていいものかと思いながらTVの映像に釘付けでした。
せっせと作った人間の知恵や工夫や虚栄の作品はあっと言う間に壊され、ゴミ同然。
瞬時にモノと同じ廃墟の一部になった人間。

当地はゆらゆら揺れただけでしたが、他所事ではすみません。
モノの価値観、国のあり方、これからの生き方、等
考え込んでしまいました。